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第12話 初志の乱れ咲


「自ら由となりけれ……『説壊浮塵』……」


 次の瞬間、敵の体が小幡の束縛から解放された。

 と同時に敵の妖気も勢いよく空間に放出され、それらを感じ取った礼の体に悪寒が駆け巡る。


(なんつー気配……怖いって)


 悪寒といえば確かに悪寒であるが、怨念とも殺意ともとれるまがまがしい妖気である。

 小幡が術とやらを解除した瞬間にその気配が急激に増加した点を考えると、どうやら小幡の術は相手の動きを拘束する以外にも、それ自体の妖気の量を抑える効果も持っているらしい。


(小幡さんって……やっぱすごい人なんだ……)


 目の前で動き出した敵に警戒をしつつ、礼はそんな敵を何時間も押さ込んでいた小幡の能力に賞賛の気持ちを覚える。その感情の流れで先ほどまで小幡が座っていた場所にふと視線を移すと、そこにあったはずの小幡の姿はすでに無くなっていた。


(もういない!? 逃げ足も速いんだ。これなら敵も?)


 もちろん礼の周りには鎖羽が作り出した小幡の幻影だらけであり、視覚的に本物の小幡を捉えることは不可能である。

 加えて空間を漂う小幡の霊気をたどってみようにもやはり鎖羽の気配が邪魔をしており、そこに鎖羽以上の気配を垂れ流す烙示の霊気と礼本人の霊気。敵本体から流れ出る妖気が入り乱れているため、敵も小幡の追撃を諦めざるを得ない状況であった。

 というか小幡の味方である礼本人も、もはや小幡の所在を確認できなくなっていた。


 なので、ひとまずのところ小幡の脱出は成功したようである。


(うしっ! じゃあこっからは……)


 案の定、体が自由になったことを理解するや否や周りを取り囲む小幡の幻影を見境なく攻撃し始めていた敵は、それが無意味だと悟った瞬間、小幡への追撃を諦めていた。


(俺らが本格的に狙われることに……)


 敵は小幡への攻撃を結構あっさりと諦めており、すぐさま礼たちに狙いを定め、右腕を大きく振りかぶって攻撃を繰り出す。

 礼がその攻撃を視覚で認識するより早く、敵のまがまがしい右腕はすでに礼の顔のすぐ脇を通過していた。


「え……?」


 いや、どちらかというと敵の攻撃はほんの一瞬前まで礼の顔があった空間を正確に突いており、礼が認識できない一瞬の世界において、烙示が鋭い動きでその攻撃を回避したようである。

 少し遅れてその事実に気づき、礼は思考の中で烙示に話しかける。


(ん? もしかして……避けた?)

(あぁ。こいつ、なかなか速えぇぞ。怪我はないな?)

(あ、うん。さんきゅう……でも……ぐぅ……首痛ぇ……)


 首が折れるかと思うほどの強い重力がいきなり礼の頭部に襲いかかっていたため、礼は首の筋肉を痛めてしまう。しかしながら、その痛みは寝違えた時の鈍痛程度のものだったので、少し痛がるだけの反応で済ませておくことにする。

 もちろん『大した痛みではない』という礼の感覚も思考によって烙示に届いていたため、烙示がそれ以上礼のことを心配することもない。


 烙示は背中ごと沈みこむように重心を低く下げ、地面に触れる4つの大きな脚に力を込める。


(礼? いくぞ!)


 烙示が高速で動き始め、それとほぼ同時に礼は前を向く。その頃には敵の激しい追撃が目にもとまらぬ速さで礼たちに襲いかかってきていた。


(うぉ! ヤバい! 動きが速過ぎ……敵も、烙示も……何やってんのかわかんないんだけど!)


 礼の動体視力では霞んでしまうほどの速さの攻撃が幾重にも重なって襲いかかり、視界一面が敵の攻撃の残像で埋め尽くされる状況。対する烙示もそれらの攻撃速度を超えるような激しく鋭い動きを見せ始め――


 ここで烙示に異変が起きた。


(ひゅー! ほい! とーう! このスリルがたまんねぇ!)


(なんで急にテンション上がったぁ!? 何がそんなに楽し……ぐっ……おぇ……酔いそう……)


 もちろん、烙示のこの変化に礼は困惑する。


(おぇ……なんでこの状況で……?)


 しかしテンションの上がった烙示から、まともな答えが返ってくることはなかった。


(うらぁ! しゃっ! しゃーんめぇ! とるふぁ!)

(無視か……? でも……なんで……)


 そして礼は烙示の変化の原因を考える。

 ご機嫌マックスな烙示の雰囲気。

 ふざけているようであるが――いや、今の烙示は間違いなく本当にふざけているが、礼自身このような烙示の姿を見たことは初めてではない。


(あれは……そう……)


 そして礼はその答えをあっさりと導き出してしまった。

 正確には烙示たちとの付き合いがそんなに長いわけでもなかったため、そんなに深く自身の記憶を探る必要がなかっただけなのだが、なにはともあれ礼はすぐに答えにたどりついた。


 今の烙示の雰囲気――それはまさにゲームをしている時のテンションそのものであった。


(あぁ……このバカ……)


 ちなみにゲームをする時の烙示のポリシーは『レベル上げは邪道』とのことであり、プレイスタイルもその言葉にふさわしいものである。

 つまりゲームオーバーするか否かといったぎりぎりのプレイをあえて選ぶという烙示のおかしな勇気は、今のような戦いを数多くこなすことによって養われていたのだろう。


(だから烙示は(ゲームの中で)すぐに死ぬんだよ)


 かっこよく言えば『俺は戦いの中で生きる男。平和な日常なんてまっぴらだ』という価値観に似ているともいえるが、烙示の隠された性格を理解したことで自分の未来もそう長くないような気がした礼は、今が戦闘中であることを忘れあからさまに嫌な表情を浮かべる。


(なんかさ……俺って、わりと早く死ぬんじゃね……?)


 しかしながら礼がこのようなどうでもいいことを考えている間にも、敵の攻撃とそれに対する烙示の動きは激しさを増していった。

 礼の頚部にかかる負担も大きくなり、痛みに耐えられなくなった礼の表情は嫌悪感から苦痛で引きつったものに変わった。


(ぬおッ! おわッ! ぐ……ぐび……首がッ……折れ……烙示……もうちょい優しく……)


 礼は頭をぶらんぶらんさせながらも心の声で必死に烙示に話しかけ、烙示がその声に応える。


(ひゃっほう! うぉーい! ん……? なんか言ったか?)

(いや、首いてぇって……なんとかならないの、これ?)


(ん? お前、もしかして顔上げてねぇか? これからもっとスピード上がるだろうから、頭を下げとけ。俺の背中にぴったりくっつける感じで。じゃないと首折れるぞ?

 それどころか下手したら体内の血液とかもおかしな方向に溜まっちまって、ブラックアウト起こしたりする可能性もあるしな。でも俺の背中に頭をくっつけとけば大丈夫。

 さっきお前が試してた『吸着力』ってやつ、ほんとはちょっとした魔術なんだ。お前の体も保護するみたいな、そういう効果もあるから)


(マジで?)


(あぁ。強いて言うなら、『お前というただの人間の体を神の領域まで押し上げる気高い神の術』とでも言おうか。ふっふっふ)


(いや、そうじゃなくてブラックアウトになるって話……)


 ちなみにこの時の礼のテンションは、首の痛みと頭を揺さぶられたことによる意識の朦朧により少し下がり気味。対する烙示はご機嫌絶好調を維持しているため、2人の会話には多少のずれが生じていた。


(ん? そっちか? なんだよ、つまんねぇ)

(面白いやりとりは求めてないから。それよりブラックアウトってマジなの? それって確か戦闘機のパイロットがなったりするやつだよね?)

(あぁ。六憐が1回やらかしたことあったから、多分お前もなると思う。

 ちなみに六憐んときは演習中だったからすぐに寿原たちが駆けつけたけど、今は実戦中だから、お前落ちたら真っ先にぶっ殺されるからな?

 移動してた時みたいに頭を俺の背中にくっつけろ。俺の霊気で守っとくから)


(ん? でも、そうしたら俺周り見えなくなるんじゃん? 大丈夫?)


(いや、お前は『声』だけ出せればいいから。それだけあれば攻撃できるから、見えなくてもいいだろ? ……うぉっと!

 あっ、あと耳に意識集中しておけ。相手の声が聞こえたら、『会話』だけじゃなくて『交渉』もやってみるんだ。

 でないと多分あいつには……ぬおッ! 今の攻撃はヤバい! あいつ、攻撃がどんどん速くなるぞ!

 ……あっ、それで……えーとぉ、耳は大丈夫か?)


 そんな会話の最中も烙示は数百を超える敵の攻撃を回避し続ける。

 時には単純な突きや蹴り。たまに敵が先ほどまでの小幡のように地面に手をかざすことで術のようなものが発動し、その後地面から手が生えて襲い来る高度な攻撃や、天を仰いだ瞬間に空から妖気の矢が無数に降ってきたりするこれまた術のような攻撃を多種多様に組み合わせてきていた。


 しかしそれらはやはり烙示によって見事に回避され、礼はそんな高度なやり取りに圧倒されながらも烙示の背中に顔をうずめる。礼の頭部が烙示の背中にしっかりと吸着され、朦朧としていた意識もすぐに明快な状態に戻った。


(おっ! 確かに楽になった。傍から見たら、とてもじゃないけど戦ってる感じには見えないけど。

 つーか俺、荷物みたい……まぁいいや。それで……)


 体を烙示に密着させた瞬間に乗り物酔いのような内臓の不快感もなくなり、礼の準備は万端。

 ここからはいよいよ反撃開始である。

 そう思った礼は言葉の攻撃を行うべく、大きく息を吸った。


 しかし――


 次の瞬間、小幡の回避を手伝っていた鎖羽がその役目を終え、思考の会話に戻ってきた。


(ふーうっ。お待ちどうさまです。やはり『降臨者』以外のサポートは気を使いますね。礼様のお姿だったら何千だろうが何万だろうがすぐにご用意できましたのに)


 礼たちがこの場に到着して以来、鎖羽なりにかなり気を使う作業をしていたのだろう。今思えばさっきまでの鎖羽は珍しいぐらい無口であった。

 しかし、そんな鎖羽も小幡の戦場離脱のサポートを無事に終えたことで、烙示ほどではないにしろいくらか機嫌が良さそうである。


(おぉ。お疲れ)


 そして、戦闘中でありながらも一仕事終えた感じの達成感を匂わせている鎖羽の雰囲気により、礼は極限まで高めていた緊張感を一気に緩められてしまった。


(でも……やっぱそういうもんなの? 『降臨者』がどうとか……俺と鎖羽たちの関係がどうとかっていう……)


 なので今度は礼と鎖羽の世間話の時間。今もなお烙示が素早く動き回っているが、彼は彼で楽しんでいるようなので、礼は頭に浮かんだ疑問を先に解決しておくことにした。


(俺の方が守りやすいってこと?)

(はい。礼様に関する幻でしたら、ぶっちゃけ時間も空間もゆがめ放題なのですが、ほかの方を守ろうとするなら、視覚的な騙しが精一杯でしょうね。あとは私の気配で相手の感覚を濁らせるぐらいしか……はっはっは! 礼様の初陣なのに、情けない姿をご披露させてしまいました。しかし、ここから私の本領発揮ですよ!)


 鎖羽が思考の中で意気揚々と叫び、周りを漂う霊気をさらに濃いものに変化させる。


(よしっ! 烙示? お待たせしました。これで楽になるでしょう)


 鎖羽の言葉にタイミングを合わせるように礼の姿が無数に現れ、混乱した敵の攻撃も的外れな方向に向けられ始める。結果、烙示による回避の頻度が下がり、烙示の動きがいくらか穏やかなものになった。


(ふーう。じゃあ、今日のお楽しみタイムはこれぐらいで終わりにしましょう。こっから先はクールダウンがてらの回避だな)


 烙示が風呂上がりのお父さんのような雰囲気で思考を伝え、その思考とともに周りの状況の変化を肌で感じとった礼もテンションを上げる。


(おぉっ! 鎖羽すげぇ! どういうこと?)

(ふっふっふ。敵は今、礼様と烙示の過去の姿を追っています。あと、敵の攻撃は出来る限り空間を飛び越える感じにしてます。ですので結果として敵は礼様と烙示を補足しづらくなっております。これで烙示も楽になりますし、礼様もじっくり敵を攻められるようになりますよ)

(うん)


 そして礼はあらためて意識を敵に集中させる。

 見ると、敵の攻撃は時たま行う全方位攻撃のような術以外まったく見当はずれな場所に向けられており、こっちの優勢は間違いない。

 しかし現段階で敵に対してなんの攻撃も与えていないことも事実である。


(攻撃は俺が……俺の役目)


 再び鋭い目つきを取り戻し、礼は大きく息を吸った。


「消えろ……」


 気持ちや思考、感情、意識といったものを全て肺の底に貯め込み、声にのせて一気に吐き出す。

 次の瞬間、礼から発せられた攻撃的な霊気の気配が周囲に満ち、それらは目標に向かって襲いかかった。


 しかし――


「ぬぉぉぉぉぉ……がぁぁ……」


 礼の攻撃を受けた敵は苦しそうな声とともにその姿を揺らめるが、この時の礼の言葉は敵を消し去るに十分な威力を持っていなかったため、敵は礼の攻撃に耐え抜く。さらには、敵は反撃と思われるおどろおどろしいオーラをカウンターのタイミングで放ってきた。

 その攻撃は例によって烙示が綺麗に回避したものの、紙一重の距離で耳元のあたりに気味の悪い妖気を感じ取った礼は驚いた声を短く発した。


「え……?」


 そしてまたまた乱戦。


(今のはなかなかのカウンター……ヤバい! こいつ、やっぱなかなか強ぇな。油断できねぇわ)


 礼の脳に機嫌の好さそうな烙示の声が響き、敵の唸り声も激しさを増す。

 自身の言葉が敵に通じなかったことで礼は混乱に陥り、一方で烙示はさらに継続して襲い来る敵の猛襲を1つ1つ丁寧に――それでいて眼にもとまらぬ速さで回避する。

 時間にしておよそ20秒。そのような戦闘が続き、虚空のような礼の心理状態を見かねた烙示が礼に話しかけてきた。


(おい? 礼っ? 起きてるか?)


 その言葉をきっかけにして、礼ははっとしたように我にかえる。


(えっ!? なんで!? なんで効かないの? 俺、ちゃんと『消えろ』って言ったのに。なんで……?

 もしかして、俺の言葉ってこの人に通じない!? え? まさか英語っ!? ちょっ……俺の英語力が試されんのっ!?

 えーとぉ……ぷ……ぷりーずぅ……き……『消える』ってなんだっけ? ぷりーず……うーんと……いや、そもそも『Please』は丁寧語だった。じゃあ……Pleaseを丁寧な言葉に……あれ?)


 先ほど意気揚々と言葉を叫んでいただけに、今現在礼が陥っている混乱は生半可なものではないようである。

 しかしその思考は鎖羽の術により烙示に筒抜けであるため、我に返った後せきを切ったように慌てふためく礼の思考を見かねた烙示が、礼の思考に割り込んできた。


(思考の迷子っぷりは……ギャグとしては、逆に素晴らしいぐらいだけどさ……)


 烙示としては不釣り合いなほど真剣な表情と、礼のことを優しくたしなめるような低い声である。


(落ち着け)


 しかし、礼の混乱ぷりは烙示の優しい言葉すらも巻きこんでしまった。


(『Ochituke』? それが『消えろ』って意味の単語? うーん……学校で習った記憶ないけど……よーし、わかった。それじゃ今度は……『ぷりーず』と『おちつけ』を続けて言えばっ!)


(そうじゃねぇよっ! お前が落ち着けって言ってんだっ! 混乱しすぎだ!)


(ん? 俺が? 俺が『Ochituke』? つまり、えーとぉ……俺に消えろってこと? ……え? 俺って姿消せんの?)


(あぁ! もぅ!)


 礼の混乱具合にいい加減いらいらし始めた烙示がここで1度敵との距離をとる。そして礼のことを正気に戻すべく、背中にしがみつく礼の頭に近くの木の枝をぶつけた。


「ぎゃッ!」


 なんの根拠もない民間療法的な処置であるが、こういう混乱状態からの脱却には頭部への物理的な干渉が効果抜群。そう思っての烙示の行動であったが、案の定げんこつクラスの痛みを頭部に受けた礼は短く悲鳴を上げた後、いつもの調子に戻る。


(痛ってぇ……いったい何が?)

(落ち着いたか)

(あ、うん)


 ちなみに礼と烙示がこんなやり取りをしている間、鎖羽が少し離れた所から(あぁ……頭を打っただけで冷静になるなんて……礼様……なんて単純な……)などと思ってしまったが仕方なし。

 そんな鎖羽の視線と思考に気づき、烙示も少し恥ずかしい気持ちを覚える。しかし、烙示は必死に平常心を保ち、またまた諭すような口調で礼の思考に伝えた。


(いいか? よく聞け。こういうこともあるんだ。お前の『言葉』が効かないってない場合が……。

 そういう場合に『交渉』が必要になるんだ)


(交渉……?)


(あぁ、『交渉』だ。敵と会話を繰り返し、相手の心の壁を取り除く。敵の心の壁は、お前にとっちゃそのまま『敵の防御壁』にあたるもんだからな。ボクシングでいうガードみたいなもんだ。

 それを先に崩さないと、渾身の一発を繰り出してもガードされる恐れがあるってことだ)


(へぇ。なるほど)


(だからお前は最初緩やかな会話から始めて、徐々に敵の心の壁を崩しつつ、最後にとどめの一言を放つ。みたいな、そういうふうに言葉の攻撃をコンビネーションとして組み立てる必要があるんだ。

 最初は何気ない会話から徐々に相手の心を開いていく感じで。もちろん1発で仕留められる程度のやつならそんな必要はないが、こいつみたいにそうもいかない場合は、『交渉』が必要になる。

 わかったか?)


(うーん。なんとなく……ようするに、あの人と仲良くなればいいってこと?)


(まあそういうこと。まさかしょっぱなからこんな厄介な敵になるとは思わなかったが、とりあえずぶっつけ本番でがんばれ。

 まずは、あいつとの会話を成功させろ)


(おっけい。やってみる)


 最後に礼が思考の中で明るく答え、再び敵に接近すべく烙示が動き出す。



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