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第13話 嘘八百の夜


(じゃあ)


 烙示による丁寧な説明が終わり、礼は鋭い視線で敵を睨みつけた。

 この頃には頭をぶつけたことによる頭頂部の痛みが引き始め、と同時に視界に散っていた火花も消え失せていたので、礼はクリアな視界と思考によって敵の姿をとらえる。


(えーとぉ)


 今度は今までよりももっと注意深く。

 頭の上から足の先まで、今までは気にも留めなかった細かい特徴などを洗い出すことで、会話の切り口を作ろうとした。


(そだな……この外見は……いや、外見つっても真っ黒い影だけど……)


 敵の外見は輪郭がうっすらとぼやけ、かろうじて人間の雰囲気を匂わせているだけ。どんな服を着ているのかも分からないし、そもそも服を着ているのかすら怪しい。

 というか2足歩行っぽい体勢で立っている姿から、相手をなんとなく『人間』と見なしていた礼であるが、よくよく考えてみると普段4足歩行の体勢をとっていても威嚇や警戒、または戦闘といった行為の時だけ立ち上がる類の生物は世の中にいくらでも考えられる。


(そう考えると……見れば見るほど……なんか人間とは思えなくなってきた……そういえば小幡さんも)


 この場に来てすぐに敵を『人』と見なした礼とは対照的に、十数時間もこの場に居続けていた小幡は敵の本性について色々と考える時間もあっただろう。


(だから小幡さんはさっきあんなこと言ってたのか……)


 しかし、礼は小さく首を振る。


(でも……この感じ。間違いなくこいつは『人間』だ)


 根拠を挙げろと言われれば、その要求を満たせるほど立派な理由はない。

 敵の動きの特徴。特に手足の動かし方や重心の移し方から感じ取れる人間性。

 この点は礼が直接確認できるものではなく、烙示が認識した敵の動きをワンテンポ遅れて情報共有することで得られるものであるが、敵の動きを封じていた小幡では得ることの出来ない情報である。


(うーん……あと……)


 相手の動きを封じる小幡と違い、敵が暴れ放題のこの状況では空間にまき散らされる敵の霊気の量も比較にならないほど多い。礼は空間を漂うそれら霊気の中にわずかながら人間の負の感情が混ざっていることにも気づいていた。


(これは……怒ってる感じ……かな? なんつーか、自分の縄張りを荒された時みたいな……いや……縄張りってゆーと動物っぽいけど、母ちゃんが勝手に部屋に入ってきた時の……あのイライラが10倍になった感じ)


 分かりやすいような分かりにくいような例え。しかし本人的にはこの例えが100点満点の出来だったため、礼は少しだけご機嫌になりつつ、分析を続ける。


(多分、そもそもは小幡さんたちが縄張りに入ってきたのがムカついたんだろうけど。でも……うーん。幽霊って、縄張り意識とかあんのかな?

 ん……? つーかこいつ、そもそも幽霊でいいんだっけ? それとも妖怪……?

 あれ? 妖怪と幽霊の違いってなんだっけ? 人間とそれ以外の違いってこと?

 いや、でも犬とか猫とかって幽霊って言う時もあるし、犬の妖怪とか猫の妖怪とかいたような……)


(そもそもそもそもウルセェよ。幽霊だろうが妖怪だろうがどうでもいいわ)


 余計な考え事をしている時間は無いので、ここで烙示のきついツッコミが割って入る。


(ご、ごめん……)

(あと、お前の感情を声に込めるってことが重要なんだから、攻撃対象が獣だろうが人間だろうが関係ないから。

 つーか今だから言うけど、日本語だろうが外国語だろうが関係ないから。

 だいたいさ。よく考えてみろ? お前、相手が犬だったらわんわん吠える気か?)

(そ、それはちょっと……)

(だろ? まったく……)


 ちなみに、烙示は今もなお敵の攻撃から命を賭けた回避をし続けている最中。


(こっちの立場も考えろ)


 先ほどまでご機嫌だった烙示であるが、自分がハイテンションになるならまだしも、その背中にしがみついているだけの礼がご機嫌麗しくなるのは気に食わないようである。


(ご、ごめん……真面目にやるから……)


 烙示が機嫌の悪そうな空気をにじませたたため、礼は烙示のわき腹のあたりを優しくわさわさと撫でる。


(くッ! バカッ! それは止めろッ!! あぅ、足の力が抜け……んっ!)


 礼としては余計なことをぐだぐだ考えてしまった罪滅ぼしがてらの手技であったが、しかしながらこれで烙示のご機嫌は元に戻った。

 烙示の感情の回復具合を思考の伝達で確認した礼は一安心しつつ、あらためて敵に意識を敵に向ける。


(『交渉』の時も喋る言葉全部に気持ち込めなきゃいけないんだよね?)

(あぁ。六憐いわく、交渉が長引くと結構疲れるらしいから、それは覚悟しとけ。まぁ、早く終わるに越したことはないけどな)


 その言葉に礼はしっかりとうなずく。意図的か否かは定かではないか、話の流れで烙示が父親の名前を出したため、礼の瞳はさらに真剣なものなった。


(見てろよ、父ちゃん……)


 そして礼は動き出す。

 まずは会話の切り口となるとっておきの言葉。



 ――しかし、礼が次に発した言葉は、とてもじゃないが戦いの最中とは思えないほど穏やかな言葉であった。



「いい夜ですね。梅雨が明けて、虫の声も賑やかになってきました。山の木々も夏の匂いを豊かに彩り始めています。

 あなたは夏が好きですか?」



 ぐわっ……



 礼の言葉が空間を経由して鼓膜に届き、烙示は顔を赤らめる。

 昭和中期の口説き文句に使われていたような古くてこっぱずかしい言葉。

 そんな言葉が礼の脳裏にいきなり生まれ、それが間をおかずに礼の口から飛び出してしまったため、烙示がそれ止められなかったのも無理はない。

 しかしながらやはり実際に声に出したのを聞いてみると、なかなかどうして恥ずかしい台詞であった。


(やっぱそれを選んだか……しかしまぁ、なんつー台詞を……しかもちょっと風流だし……礼、前々から思ってたんだが、お前やっぱり女たらしの傾向が……)


 そして鎖羽も烙示同様、そんな言葉を選んだ礼に対して恥ずかしさ一杯の気持ちになってしまっていた。


(そ……そうですね……さすがにここまでロマンティックだと……今後、現代の若者との男女交際を無難にこなせるのかどうか。そっちの方が不安になります)


 しかし、当の本人は敵の存在に意識を集中しているらしく、烙示たちの会話になんの反応も示さない。


(まぁいいか。あいつ、礼の声を聞いて一瞬だけ動きが止まった)

(はい。疑問というか、疑惑というか。あの敵から流れる霊気にそのような感情も感じられました。一応、礼様の声はあの者に届いたようです。問題なしですね。あとは『交渉』を続けていただければ)

(そうだな。頃合いをみて一気にとどめの台詞に移れば問題ねぇ。そのタイミングだけ教えてやろうかな……鎖羽? どう思う?)

(えぇ。それまでは少し見守る感じでいきましょう。礼様も、頭ん中で会話のフローチャートを結構しっかり組み立ててます)


 ちなみに烙示たちが思考の中で会話をしている間も、礼はあーだこーだと考え事を進めており、その内容は烙示たちの脳に逐一届いていた。烙示と鎖羽の会話はそんな礼の思考回路も頭の隅に置きつつ、また、それぞれの役目をしっかりとこなしながらのやりとりである。


(ん? 『フローチャート』? 鎖羽? なんだそれ?)

(ふふふ。最近ネットで知ったのですよ。現世の人間の経済活動を潤滑に進める技術の1つらしいです。現代の侍……つまりビジネスマンと呼ばれる種族にとって必要不可欠な技術らしいです)

(へぇー……つーかお前、毎晩毎晩よくもまぁ飽きもせずにパソコンいじってるなぁとか思ってたら、そんなこと調べてたのかよ。相変わらずもの好きな……おっと!)


 思考の中でそう言いながら、烙示は後方へ大きく跳躍する。世間話の最中も敵の攻撃は止むことがなく、烙示もそれらを回避し続けていたが、この時の烙示は鎖羽との会話に集中するあまり動きに散漫さが生じてしまった。

 敵がその隙をつくかのような上手い攻撃を繰り出してきたため、烙示は少し激しい動きで攻撃を回避する必要があったわけであるが、少し乱暴なこの動きが礼の心理に小さな変化をもたらすこととなる。


(おっ、鎖羽? 礼が次の台詞に移るぞ!)


 烙示の背中にしがみつく礼の体に伝わった少し強めの衝撃は、いくつかの候補を次の台詞として上げていた礼の考えを1つに絞ることに一役買っていた。


(そうですね。最初の台詞を放ってから意外と時間がかかりましたけど。そんなにいくつも候補考えなくったって。もっと単純でいいのに……)

(あぁ。しかも……よくもまぁ、しょうもない台詞を次から次へと……俺らと違って思考速度は常人レベルのはずなのに……それで、鎖羽? 次の台詞……心の準備しとけよ?)

(はい。まさか、それ選ぶとは……)


 烙示と鎖羽が礼に対する心の準備を済ませ、次の瞬間、礼の口から霊気のこもった言葉が静かに飛び出した。


「僕は夏も好きですが……やはり冬の方が好きですね。冬生まれでして。

 凍りつくような冷たい空気が胸に広がる感じもいいですし、暗い天からぼたん雪が音もなく降り注ぐ……そんな夜とか大好きです」


 今度は口説き文句というより詩人のポエムに似た言葉。例によってその台詞を聞いた烙示と鎖羽は恥ずかしさのあまり穴を掘って隠れたい衝動にかられる。

 しかし、当の本人はやっぱり大真面目に台詞を考えていたようなので、ツッコミを入れようにも逆に気を使う状況である。なので烙示は礼に鋭いツッコミを入れることなく、鎖羽に助けを求めることにした。


(おい。 聞いたか、鎖羽ッ!? 今の台詞、聞いたかッ!? こいつ、女たらしとか人たらしとかそういうレベルじゃねぇ!)

(は……はい。しっかりと……)


 特に、烙示と鎖羽の反応に対しての聞く耳ももたないほど礼が自分の台詞に酔っているあたりが非常に怖い。そう思った鎖羽がぶるるっと身震いしてしまったが、2人の地獄はまだまだ始まったばかりであった。


「僕は雪の深い土地で育ちました……この山も冬は雪深い土地なのでしょう? この地形、僕の故郷を思い出させます」


(なんでだよ! おいっ、礼!? 嘘つくな! お前、思いっきり東京生まれの東京育ちだろうがぁ!

 なんでここでどうでもいい嘘つくんだよ!)


 礼のこの言葉はあらかじめ思考の中に用意されていたものではなかったため、これはたまたま思いついたアドリブのようである。しかしながらそんなことは大した問題ではなく、礼が嘘をつくことへの罪悪感を心に持つことなくさらっと大嘘を吐いたあたりが、烙示たちの恐怖感を加速させた。


(れ……礼様……?)

(鎖羽。こいつ、だいぶヤバいぞ……嘘をつく瞬間、心ん中に良心の呵責が生まれなかった……これ、詐欺師の才能だ……)

(え、えぇ。これはさすがに……高貴な我々を従わせる立場として、ふさわしくない人格です。そういう行動は慎んでいただかねば。

 礼様? 礼様?)


 礼の心の奥底深くに巣くっている悪魔の存在に気づき、鎖羽が何かを訴えようとしたが、しかしながらその想いが今の礼に届くことはない。


(やっぱ台詞が長いと結構疲れるな。でも……俺がしゃべるたびに、あいつ動き止めてる。ふっふっふ。やっぱ俺の声伝わってるっぽい。それじゃこの調子で……)


 我を忘れたかのように暴れ乱れていた敵。

 冷静さを欠いた人間に対し、周囲の人物の言葉や想いが伝わる可能性は低いものである。そういった人間よりもはるかに意志の疎通が困難であろう目の前の存在が自分の言葉に反応を示したということが、礼としては非常に嬉しいらしい。

 加えて、この時の礼は自分の頭に浮かんだかっこいい台詞のクオリティとついでに飛び出たアドリブ能力にご満悦であり、烙示たちのうるさい横槍に反応する気はさらさらなかった。


(ちっ……シカトかよ……おい、鎖羽? どうするよ?)

(はい……まぁ……初めての実戦で少し我を忘れているということで……もう少し様子を見ましょう……)

(……でも、先が見えねぇ……大丈夫かよ。まだ礼が一方的に話してるだけで、相手は何にも言っこないんだが……)


 烙示たちが意図していた『交渉』とは、礼の言葉に敵が何らかの意思表示を行ってこそ初めて成立するものである。しかし、この時点で敵は礼の言葉に対して数秒動きを止めるだけであり、それだけではとても意思を示したと見なせるものではない。もちろん敵が礼の言葉に心を開いたという兆候も見られない。


(この戦い、結構かかりそうだな)

(そうですね。持久戦といきましょう。でも、烙示? 『降臨者』を2人で守る戦いは久しぶりです。これはやはりなかなかに楽しい。

 体力も十分。むしろまだまだ暴れ足りないのぐらいしょう?)

(そりゃ確かにそうだな! 今度の『降臨者』。いろいろとおもしれェ!)


 ここで烙示と鎖羽が妖しくも優しい笑みを浮かべ……


 戦況は一気に動き出した。



 まずは礼が放つ次の言葉。


「まぁ、そうですね……雪が降り積もった後の月……満月とそれを包む雪景色。そんな景色が目の前に広がっていたならば、素敵な夜この上ないですね」


 例によってくっさい台詞であるが、その台詞が終わるのを待って、少し高めの声が静かに響いた。


「お主のような下賤な民に、そのような風情がわかるわけなかろう……」


 それは禍々しい姿からは不釣り合いとも思える、とても透き通った綺麗な女性の声であった。


(んなッ!)

(なんとまぁッ!)


 とてもじゃないが外見からは想像もできない声を耳にし、烙示と鎖羽はあっけにとられる。ついでに烙示は体の動きそのものも止めてしまうが、幸か不幸か言葉を発した敵も攻撃の手を止めていたため、先ほどまでの乱戦状況は一気に収束した。

 相対的にはむしろ静寂すら感じさせるほどの空気を感じつつ、烙示は敵を見据えながら鎖羽の意識に問いかける。


(い、意外といい声だな)

(え、えぇ。予想以上に……)

(それに……こいつ、やっぱり人外の類ではなかったんだな)


 なにより早い段階でこの敵を『人間』と見なし、さらにはその相手が『女性』と見極めた上で言葉を選択していたと思われる礼の観察眼には、あらためて驚きを感じてしまうほどである。

 しかし当の本人は敵の性別を女性と断言していたらしく、礼の心の中にはその予想が当たったということに対する喜びは見られなかった。


(よしっ! やっと答えてくれた。いやはや、やっぱ無視されるのってあれだね。なかなか心にくるものが……)


 唯一、相手が自分の言葉に答えたという事実のみに対して嬉しそうに感想を述べつつ、礼が次の動きに移る。


「ほら、あそこの星。あれが何か分かりますか? 織姫と彦星の住む星らしいです。こんな山奥だと2つの星を隔てる天の川がくっきりと見えてしまいますね。まるで今の僕とあなたの様……」


 例によって女性を口説いているような台詞。しかも今度は神話の類を利用しつつ、ロマンティックな雰囲気を前面にアピールしようとしているようである。

 そしてもちろん、それを聞いた烙示は自身の心の保護にいそしんだ。


(くっ!! がんばれ、俺ッ!)


「おえぇ……」


 鎖羽にいたっては吐き気をもよおすほど気分を害してしまい、嗚咽の声が響くとともに空間に漂う礼の幻影が半分ぐらいに減少した。


「げぇ……げほ……おぅっふ。おえぇぇ……ヤバい……幻影が……うっぷ。私の……役目……」


 鎖羽が自身の幻術の弱化に気づき、必死に術を操る。烙示はそんな光景を横目で見つつ、背中の感触に意識を向ける。


(それにしても……まじか、こいつ……?)


 ついさっきまでは年端もいかない子どもを背中に乗せていたつもりが、今となってはとんでもない化け物を背負っているような気持ち。

 姿に似合わず真面目な性格の鎖羽が礼の言葉と正面から向き合おうと試みた結果、精神に多大なる実害を被ったわけであるが、鎖羽に比べいくらか気性の激しい烙示の心境は少し違った。


(あぁ、俺の芸人魂が……くそッ!)


 礼の言葉をまっすぐ受け取った上でそれを流すことなどせず、しっかりと笑いに昇華させること。

 烙示の性格を考慮すると、ここまでの流れは笑いの神がそこらじゅうで踊っているといっていいほど絶好のチャンスである。


(くそぅ……ぐぬ……)


 しかし烙示は肉球を握りしめ、自身の欲望を必死にこらえる。

 礼に対して大きな前脚で綺麗なツッコミを入れるためには、今現在背中にしがみついている礼を振りほどく必要があり、この状況でそのようなことをしてしまうと、単独で自身の身を守る術を知らない礼が敵の攻撃にさらされる可能性があった。


(ふーう……ふーう。オチツイテ……オレ、オチツイテ……)


 代わりに烙示は今の礼の酷い有様を多少歪めつつ、出来るだけ前向きに受け止めることにする。


(今流行りの……オラオラ営業……)


 相手がせっかく礼の言葉に答えてくれたのに、それを無視して七夕がどうとか――

 これには敵も呆気にとられてしまっただろうが、先ほどからウザいぐらいに話しかけてくる少年の言葉に反応を示してやったのにそれを無視されたという事実は、敵にとってもなかなか許しがたいはず。

 しかし一度会話を始めてしまった以上、無視されたからといってすぐに攻撃を再開してしまうと、それこそ『無視された』という事実を自分自身で認めることにもなってしまう。

 結果、敵は自分勝手な礼のペースに付き合わなくてはならなくなり、会話の流れの主導権は礼の手中に転がり込んできていた。


(先週特番で見たな、こういうやつ。客を無視して自分語りしかしないホストに、社長令嬢とかいう女がハマってた……礼も見てたけど……)


 烙示の脳裏に歌舞伎町の戦士の姿が浮かび、それを礼と重ねてしまうが、烙示は即座に首を横に振る。


(でも)


 敵が人間の女性と分かった瞬間、『七夕』という相手がどの時代の生まれであっても比較的通じやすい恋愛話を選んだあたりは、なかなかに手堅いシナリオを選択したと言ってもいい。かつ自分と敵をその登場人物に例えるというロマンスっぷりも女性を喜ばせるに確かな判断である。


(さて、次はどうする?)


 幸か不幸か今の礼の思考は烙示たちにだだ漏れであり、礼が次に発する台詞も事前に調査することが出来る状況であった。その利点を最大限に生かすため、烙示があらためて注意深く礼の思考を深くまで探ってみると、七夕の話を切り口にして進めていくであろう今後の会話シミュレーションを見つけ出すことが出来た。


 その結果、烙示が心に思ったこと。


(安っぽいホストか、お前は……)


 礼の心の中に『飴と鞭』やら、『釣った魚に餌を……』やら、『褒め殺し』やら、礼の年齢的にあまりにもふさわしくない言葉がいくつも確認できたため、烙示は顔をゆがめる。


(本当に価値のあるホストっていうのは客の幸せのみを考えて、そんで楽しい時間を過ごしてもらって……その上で客には財布のペースに合わせた金の使い方をしてもらうっていうのが、長く太い客を育て……いや、そんなのはどうでもいい!)

(おぇぇぇ……おえっ……うえぇ)


 その時、ワンテンポ遅れて礼の脳内シミュレーションを覗きこんだであろう鎖羽がさらなる体調不良に陥っていたが、烙示自身精神的にいっぱいいっぱいだったため、鎖羽のことは今回も無視しておく。


(いや、どうでもよくねぇ。こいつの育て方には十分気をつけねぇと……)


 実際のところ、礼の心の中に

(街中で出会った悪霊と目の前にいる新たな悪霊、どっちが強いかな? 強い方手なづけられたら、俺もっと強くなるかも! いや、いっそ両方を堕としちゃえば都合のいい時に都合のいい方を!)

 といった多重交際の心理によく似た悪意が礼の脳内に確認できたため、今後そのような行動をしないようにしっかりと礼の成長を見守る決意はしておいた。


(いや、とりあえずこいつの今後のことは後で考えよう。今は目の前の敵に……)


 そして烙示は姿勢を沈める。

 鎖羽が作り出した礼の幻影の数がさらに少なくなっていたため、それに合わせて烙示による攻撃回避の必要性が高まってしまったことが理由であるが、烙示はさらに重心を低くし敵の攻撃に備えた。


 と同時に礼の言葉が静かに響いてきた。


「ほら、あれを見てください。あれが織姫。その下が彦星です。分かりますか?」


 もちろん会話の内容は引き続き七夕のお話。

 烙示が戦闘に関係ないことをいろいろと考えていた間、頭に響くそれらの声を綺麗さっぱり無視して口説き文句を考えていた礼はやはりなかなか危険な少年であるが、なにはともあれ烙示の背中にぴったりと張り付いていた礼が右腕をゆっくりと上げ、夜空を指さした。

 その動きに呼応して、鎖羽が作り出していた礼の幻影も様々な方向に腕を上げてしまったため、烙示は「どこやねんッ!」と叫びたい気持ちを必死に押さえる。


(俺たちに何も言わずに勝手に動くな、バカッ!)


 しかしながら幸運にも敵は星座に関しての知識を有していたようであり、敵はこの時残っていた十数人の礼の幻影が指し示した方向を綺麗に無視し、こと座のベガとわし座のアルタイルが輝く方向に視線を向けてくれた。


(うわっ。あっちなのッ!? 俺、全然違うところ指さしてた! 恥ずかし!)

(あぁ、もう……本当に関わりたくないぐらいのバカ……)

(だって星座とか知らないもん! 彦星の話だって、去年国語でやったような気がするだけだし!)


 この頃になると烙示の心も崩れ落ちそうになってきていたはいた。しかし、久しぶりに礼との思考の会話が成り立ったような気がした烙示は一安心する。というかこの時の烙示はギリギリのところで心の崩壊を免れたといってもいいぐらい憔悴しきっていたため、礼がこのタイミングで烙示の言葉に反応したのは本当に奇跡のようなものであった。


(やっといつもの礼に戻ったか……)

(ん? 俺はずっとこんな感じだけど。どうしたの?)

(そ……そうか……)

(そういえば烙示と鎖羽、さっきからなんか会話してたけどなんだったん? もしかして俺も聞く必要あった? ごめん。俺、あの人とお話するのに必死で……)


 やはり自覚は無いらしい。

 烙示は礼の言葉にまたまた心を乱されてしまうが、今は敵との会話のテンポを優先すべきだろうと考えた烙示は礼にうながす。


(もういいから……さっさとあいつとの会話進めろ)



 しかし……

 烙示が礼にそう伝えようとした瞬間……


(あれ?)


(もしかして……)


(これ……)


(いけんじゃね……?)



 礼の顔が極悪な表情になり、同時に悪魔のような計画が礼の思考の中に生まれた。




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