「えっ!?」
「えっ!?」
「えっ!?」
予期せぬタイミングで予期せぬ台詞が飛び出したことで、それを聞いた礼たち3人は驚愕する。
先ほどまで神々しいほどに感じられていた星姫の高貴性。
おそらくはイノシシのことを示していると思われるが、最近のOLが自身のペットに好んでつけそうな名前を彼女が叫んだことで、星姫の品格は奈落の底まで失墜した。
「くっくっく。ショコラってこいつのことか? ほーう。見たところ悪霊の類のようだが、死者の分際で式神を操ろうとは……。
まぁ、今は礼の力で抑え込まれているようだが。ふっふっふ。さてさて、このウリ坊どう料理してやろうか」
唯一、星姫のキャラクターのギャップに戸惑わされることのない寿原が意地悪な感じで右手に持っている弱ったイノシシの霊体をぶらぶらと揺さぶり、星姫もその雰囲気にうながされる様に百点満点の反応を見せた。
「いやーーーッ! その子だけはぁッ! お願いッ! その子だけは手を出さないでぇーッ! 私はどうなってもいいからッ!? お願い。その子だけはぁーー!!」
(寿原さん……完全に悪役だから……あと、ウリ坊って……
それと星姫さん……それ、いちいち乗らなくていいから……そういうの昼ドラで見たことあるからさ……38話目ぐらいで……)
というかこの時の2人のやり取りがあまりにもベタ過ぎたため、(あらかじめ台詞合わせしてたんじゃねぇの?)とか思ってしまった礼であるが、しかし茶番はまだまだ続く。
「ほーう。貴様が一体何を出来ると言うのか? 今から消し去られる立場の分際で……」
「……お、お願い……私の年貢を分けてあげるから……」
「年貢だぁっ!? 貴様の年貢などたかが知れておるわぁ。身分をわきまえろッ!」
(あ、時代劇に変わった)
ここまでくると寿原がこのやりとりを楽しんでいるのは間違いない。しかしながら、星姫がわりと真剣に泣き叫んでいるので、礼はその雰囲気に気押されてしまい、2人の間に割って入ることができない。というか面白そうなのでしばらく見守ることにした。
「はっはっは! お前はまだ何も分かってないらしいな。お前もこいつもすぐに消える存在。希望なんて何処にもねぇんだよ。せいぜい絶望に泣き叫びながら消えろ!」
「いやーーッ!」
(おっ、魔王になった。だけど……寿原さんすごいね。父ちゃんと同い年ぐらいだっけ? 40過ぎてよくそんな台詞を……)
礼が心の中でしっかりとツッコミを入れつつ……
ここで烙示が動き出す。
「寿原? お前、ふざけんな。邪魔だからどっか行け。あと、イノシシのガキも置いていけ」
とてもとても冷たい口調。
その気配からは氷のような冷気をにじませ、と同時に怒りの凄まじさも感じさせる烙示の言葉であった。
(怒ってる……! 烙示こえぇ……でもまぁ、仕方ない)
思い返せば、戦闘開始当初はまさに殺るか殺られるかの激戦であった。その後、礼の暴言・失言の数々により空気はいくらかなごむこととなるが、緩んだ雰囲気の中でも烙示は一貫して星姫を消し去ろうという意思を主張していた。
この主張はある意味戦いに対する烙示の心構えにも通じ、今しがた寿原が見せているふざけた言動とは対極に位置するものである。
(俺だって、『戦い』ってこんな雰囲気なわけないと思ってたし。しかも、小幡さんたちだって……)
この山岳地帯を流れるわずかな霊気から察するに、他の戦場では今もなお激しい戦いが繰り広げられている。今こうしているわずかな時間の間にも味方が命を落としている可能性だって十分にあり得るため、この戦場だけふざけている場合ではない。
小幡・山県・馬場の上司にあたる立場の寿原ならなおさらのことであった。
(でも俺の意見だって間違ってないし)
もちろん星姫の存在を守りつつ、その力を自分の配下に置いておきたいという礼自身の主張も譲れるわけはなく、その意見が烙示とぶつかるのも仕方のないことであった。その時のやりとりは礼自身いたって真剣に意見を主張しており、烙示自身もそんな礼の真剣な感情は感じていたはずなので、礼が烙示の言う『ふざけている』人物の対象に入ることはない。
なのでここで問題視されている人物は寿原のみ。責任ある立場の人物がこの場の緊迫感を壊したことは、礼に戦いの非情さを教え込もうとしていた烙示としては不本意極まりないはず。
(でも……俺が星姫さんの動きとめてるからって、寿原さんのこの余裕は……? いつもこうなのかな……?)
さらには寿原との付き合いの方は礼よりはるかに長いであろう烙示のこと。もし寿原が戦場においても日常生活の雰囲気を保ったまま言動するタイプの人物だとすれば、烙示自身、過去にその点で悩まされたことも多々あっただろう。
それらのストレスがこの時に一気に爆発してしまったならば、烙示の怒りに満ちた冷たい口調も納得であった。
そこまで色々考えて、寿原と星姫のやりとりを少し楽しんでしまっていた礼は反省の気持ちを心に覚える。その気持ちは思考の伝達によって烙示の脳にすぐさま届いた。
(今さら遅ぇよ、バカ。昼ドラの38話ってなんだ、それ? つーか、お前中学生のくせに、なんで昼ドラ見れるんだ? 授業中にスマフォいじってんのか? 母親に言うぞ?)
ご立腹の烙示がここぞとばかりに礼の心に攻撃を仕掛ける。しかしながら、今の礼に反論する気力はなかった。
(うぅ。ごめん。でも……いや、母ちゃんがレンタルで借りてきたのが、リビングにあったからさ。1ヶ月ぐらい前かな? 最近レンタルDVDの価格競争が激しいから、ドラマのまとめ借りがしやすいって……あと、俺のスマフォって基本的にテレビ見れないから)
いや、一応母親に余計な告げ口をされないよう、学生としての本分はしっかり全うしているという主張だけは忘れない。
(ちっ)
烙示が礼をにらみながら舌打ちし、鎖羽に思考で話しかける。
(鎖羽? 術解除しろ。もういい)
(はい。わかりました)
鎖羽が烙示の指示に従い、それぞれの思考を繋げていた術を解除した。
(ん? あれ?)
烙示と鎖羽の思考が聞こえなくなり、礼は少し慌てる。
(もしかしてみんなの前で、『本当の声』で怒られる?)
礼としては、比較的関係の深い烙示と鎖羽だけに聞こえる思考の会話の中でのみ説教されることより、星姫と寿原も聞こえるような手法で怒られる方が公開処刑的な意味で非常につらい。
そう思ってびくびくし始めた礼であったが、礼の予想に反して、烙示の意識と視線はすでに寿原の方向けられていた。
「寿原? 聞いてんのか? 今こいつの処遇をどうするか決めていたところだ。消すか礼の手駒にするか……。
寿原ぁ? お前がこれ以上この場をかき回す気なら、邪魔だから消えろ。他が気がかりだ」
(あっ、矛先が寿原さんの方に変わった。まったく……野良犬烙示のくせに)
術が解除されたので、今現在礼が思っていることは烙示や鎖羽に伝わらない。なので礼はここぞとばかりに先ほど烙示に泣かされた仕返しをしたわけであるがそんな些細なことはどうでもよく、烙示は寿原に対してさらに強い口調でつっかかった。
「どうすんだ? 邪魔だって言ってんだが?」
しかしながら、寿原はその言葉に反応してにやりと笑みをこぼすのみである。
(あっ、喧嘩始まる……)
真剣にブチギレモードの烙示とそれをニタニタと眺める寿原。
口喧嘩にしろ肉弾戦にしろ、単純に考えれば寿原のこの反応で『烙示vs寿原』の喧嘩が始まってもおかしくはない状況であった。
(ど、どうしよう……さっきの霊気考えると、寿原さんって相当強いよね。烙示も……俺、この二人の喧嘩止められない。止めに入っても……よくて死ぬ。最悪の場合、魂まで消されそう)
礼はビクビクしながら場を見守り、状況によっては烙示の背中から離脱するための準備とかしてみた。
しかしながら次に寿原の口から出た言葉は、意外にも2人の間に生まれていた緊迫感を一気に消し去るものであった。
「くっくっく。烙示? 怒ったふりして誤魔化してんじゃねぇよ! お前。もう気づいてんだろ? 手柄は山分けしようや!」
(ん?)
寿原の言葉が理解できず、礼は不思議そうに首をかしげる。
そんな礼とは対照的に、烙示が何かを理解したかのように急に表情を緩ませた。
「誤魔化してんのはどっちだ? たち悪ぃやつめ!」
「まぁ、そういうな。俺だって確信してたわけじゃねぇから。烙示、俺のこと除け者にしなくたっていいじゃねぇか」
「途中からしゃしゃり出てきやがったくせにぬけぬけとえらそうなことを……寿原ぁ? お前、こいつの面倒は俺たちに任せたんじゃなかったのかぁ?」
「そうなんだけどさ。俺も分家への報告義務あるからな。突っ立ってるわけにもいかねぇし」
「だからってお前、これ立派な『戦闘加入』だろうがぁ? 近寄りすぎだ!
寿原ぁ? お前はいちいちどうでもいい手柄を拾おうとすんのやめろ」
「そう責めんなって。ほら、俺が上にいけば、お前らの待遇だって良くなるんだし。
それに今回のは……まぁ、これは偶然ってことにしておこうや。
お前らが車から出てった後、西呀の連中が数人お前らの後を追う気配がしてさ。ちょっとやばそうだったから、そいつら追跡して。そんで山ん中でちょちょっと……な? ほら、あれだし」
「『ちょちょっと』ってなんだよッ!? お前、また何かやらかしたのかァ?」
「や、やらかしたって言うな! ちょちょっと荒れしだだけだろッ!!」
「もういい。くそ、どいつもこいつも……西呀との摩擦が起きんの、避けたかったんじゃないのかよ……」
会話の終わりに烙示が呆れたような雰囲気で呟き、後ろ足を曲げる。これで烙示は『お座り』の体勢になったわけであるが、その後、烙示の背中にしがみついていた礼に対し、烙示が話しかけてきた。
「礼? 降りろ……」
言いながら烙示は大きな口を全開し、背中に乗っていた礼の腕を優しくくわえる。
「え? あ、うん」
うながされるままに礼が烙示の背中から降りると、烙示はそのままごろんと横になった。
「もういい。疲れた」
「つ……疲れたって……ねぇ? 烙示? 俺、全然わかんないんだけど……」
「あー、うー、あー……そだな。鎖羽に説明してもらえ。鎖羽? お前もだいたい分かってんだろ? 後は頼む」
そう言って烙示は仰向けにだらしなく寝そべり、完全なリラックス状態に入ってしまった。
しかし、ここで一番困ったのは礼である。
鎖羽に説明をうながした烙示がリラックス状態に入ったのと時を同じくして、鎖羽も臨戦態勢を解き綺麗なとぐろを巻いていた。寿原に至っては右手のイノシシをわさわさと撫で始めていた。
(さっきまで『消す』とか言ってたくせにっ! めっちゃ可愛がってんじゃん!)
大したことではないが、鎖羽に視線を移す途中、礼の視界に入ってきた星姫もなぜかリラックスしているような――はっきりとは断定できないが、『動くな』という礼の拘束力を利用し、逆にその力に体重をゆだねているような――分かりやすく言うと礼の拘束力を椅子代わりに座っているような気がしたが、そこはあえて触れないでおくとして、仲間外れのような状況が非常につらい。
「さ、鎖羽?」
礼は孤独に耐えるような視線を鎖羽に向け、その視線を受ける形で鎖羽が静かに答える。
「えー……なんというか、その……まぁ、仕方ありませんね」
まずはいきなり話を振られたことに対する困惑を匂わせる台詞。鎖羽自身、寿原が星姫と茶番を演じている時も、烙示が寿原に喧嘩腰になっている時もせっせと礼の幻影を操り続けていたので、ある意味鎖羽もこの茶番の被害者とも考えられるが、礼への説明役を即座に引き受けるあたり、やはり鎖羽は礼に対して非常に優しい。
そこら辺を必要以上に感じたため、礼が心の中で(鎖羽がいて本当に良かった。烙示と寿原さんは……要らない)などと思ってしまったが、その思いを知ってか知らずか、鎖羽はいつも通りの落ち着いた口調で話し始めた。
「まずは星姫とやら?」
「なんじゃ?」
しかし、礼の期待に反して、鎖羽が次に話しかけたのは星姫であった。
(んー……)
一瞬、礼はもどかしい気持ちを覚えながらも、黙って見守ることにする。
「あの者に捕縛されている獣に、抵抗しないよう命じなさい」
「なぜじゃ? ショコラはすでに抵抗することあたわぬぞ? ほれ、見てみよ? あやつに抱かれ、ショコラはいたく心地よさげに……」
この時、礼が星姫の言葉にうながされる寿原の方に視線を向けると、イノシシの子どもは寿原の腕の中でうっとりとした表情とともに睡眠に入ろうとしていた。
(ぐうぅ……なにそれ……すんごいかわいいんだけど……)
しかしながら、その点にいちいち言及していると全容解明の瞬間が遠のく気がしたため、礼は必死に沈黙を守る。
「いえ、あの獣にははっきりと。我々に危害を加えないように、あなたの言葉ではっきりと命じなさい」
「なんじゃ……? そないビビらんでもえぇやないの……」
「いいからしなさい。あの程度の下等霊に、今の状況を理解できるとは思えません。獣の本能にしたがって急な行動をされては面倒ですので。そもそもあなたは我々に反対できる立場にないでしょう!」
(星姫さんって結構キャラぶれるね)
現代の若者っぽい言葉の使用とここにきての関西弁の登場に、礼はツッコミ魂が燃え上がりつつも、観察者としての立場を死守するため、こぶしを強く握りしめる。
これから鎖羽がなにをしようとしているのかは分からない。
しかしながら寿原の腕でくつろぐ子イノシシが突如暴走し、礼に襲いかかってくることだって考えられる状況は未だ改善していない。もちろんその子イノシシは寿原によってだいぶ霊力を下げられているが、星姫に味方の霊力を回復させる能力。また、その逆に子イノシシに星姫の拘束を解く能力が無いとも限らない。
寿原の登場でこちら側の戦力も大幅に上がっていると思われるが、一度収まりかけたこの戦いを油断の類で再度燃え上がらせることを危惧している鎖羽なりの警戒であった。
(あ! 今、久々に『戦場に立っている』気がしてきた!)
鎖羽の意図をうっすらと理解し、礼が情けないことに気づいてしまったが、無理もない。
鎖羽の強い語気に押され、星姫がやれやれといった感情を霊気に乗せた。その後、この短い時間の間にも寿原の腕の中ですやすやと眠りについていた子イノシシに向かって星姫は大きく叫んだ。
「ショーコちゃーーん? ほら、起きて! ショコちゃん? ほらほら! 起きて起きて!」
「ぐっ……」
この時、礼がまたしてもこぶしを強く握りしめたが、幸か不幸かその想いには誰も気づかない。
星姫の声に合せる形で寿原が子イノシシの体を優しく揺さぶり、ショコラと呼ばれる小さな生き物はもぞもぞと動き出した。
「きゅーーー……?」
(くそッ! そうきたか! いいっ! なんて可愛い鳴き声! やっぱそういうの、スゴくいいッ!)
予想をはるかにしのぐ子イノシシの鳴き声を耳にし、しかしながら礼は必死に沈黙を守る。
「ショコちゃん? あのね?」
「きゅーー?」
「けんかだーめ! わかる? けんかはだーめ! お・と・も・だ・ち! みんな、お・と・も・だ・ち! 仲良くするんだよぅ!? んっ!?」
「きゅん!」
この時点で、礼は星姫の初期の姿を忘れた。
「さて、これでショコラが抗うことはない。満足か? 次はいかようにせばいいのじゃ?」
(あっ、元に戻った!)
思い出した。
「うーん……そうですね……まぁ、いいでしょう」
このあたりで、悔しそうにこぶしを握る礼の気配に寿原が気づき、5メートルほど離れた所から『どうだぁ? かわいいだろうっ?』といった感じでショコラを見せつけてきたが、無視しておく。
もろもろの欲求は後でまとめて果たすとして、礼は黙って話を聞くという意志を強く持つために一度両目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。その後、心の落ち着きを認識したところで、礼はあらためて鎖羽を見た。
するとタイミングよく、鎖羽が礼に話しかけてくるところであった。
「それで、礼様?」
「あ、うん」
「ご説明します」
鎖羽の視線を全身で感じ、礼は期待に胸を膨らませる。
「まずはこの星姫という悪霊……」
「悪霊ではない……もうすぐ土地神になるんじゃ」
「ちっ……この星姫という自称土地神志望……」
鎖羽が珍しく舌打ちしたことで、(あれ、この2人ってもしかして……性格合わない?)と思ったものの、気づかないことにしておく。
「礼様の部下にします。烙示と寿原さんも了承しています」
「え?」
会話の展開の速さについていけず、礼は固まる。
首だけかろうじて烙示の方に向けることが出来たが、烙示も烙示でショコラ同様リラックス状態だったため、覚醒と睡眠の間のような半目をしながら小さくうなずくのみ。
「え?」
鎖羽の言葉に同意を示す烙示の反応も礼の予想外だったため、礼は烙示に対してまたしても短く言葉を発する。
しかしその反応は鎖羽の予想通りだったらしく、固まる礼のことをそのままに、鎖羽は説明を続けた。
「この女。今現在味方が戦っている数体の悪霊のリーダーです。あと、他の味方が戦っている敵はそこの獣と似たような存在。おそらく生前は獣と呼ばれていた生物の霊体でしょう」
「え? そうなの?」
「はい。というか今風に言えば、飼い主とペットの関係……でしょうか?」
ここで鎖羽が星姫に視線を向けると、星姫もその通りといった感じで深くうなづいた。
(あぁ、やっぱり『ペット』って単語、知ってたんだ……昔の人なのに……情報源は多分……この山を登る登山客かな……あの雰囲気も、ショコラって名前も……キーワードは『山ガール』……最近若い女性の登山客が増えてるって……そこから情報を……)
どうでもいい事実に少し近づいているようであるが本当にどうでもいいことなので、礼はそれ以上の詮索を控える。頭を切り替えるために、首をぶんぶんと横に振り、真剣な表情で鎖羽に問いかけた。
「なんで星姫さんがリーダーって?」
「はい。その点は少し複雑なのですが、その昔、『姫』と呼ばれる人物は平民に比べ高い地位にありました。貴族や大名、豪族の統領。そういった者たちの妻や娘に好んでつけられた一種の位の呼び名です」
「うん」
礼は小さくうなづく。同時に星姫を見てみると、顔のあたりの霊気が満面の笑みっぽい輪郭になっていたので、これも間違いではないらしい。
「それで……我々に対し、星姫が名乗りました。自分が『星姫』であると……」
「ん? だから?」
「本来、姫という肩書がつく人物より上の身分は、その国の大名や豪族の統領……まぁ、この土地じゃ貴族という可能性は低いので、星姫が大名クラスの人物の妻や娘だと考えられます。その場合、夫の家督と氏を一緒に名乗るのが通例です。『風那家当主、風那礼の妻 星姫なり!』とか……『風那家当主、風那礼が二女 星姫であるぞ!』とか……」
「あぁ。そだね」
「それで……星姫が名乗ったのは『星姫』という名だけ。これはつまり、星姫が誰にも仕えていないことを物語っております。こういった風習は現代人にとってピンとこない感覚でしょうが、サラリーマンの名刺に会社名が記載されていることぐらい不可解なものなのですよ」
「そりゃあ、まぁ会社の看板背負ってるしね」
「胡散臭い会社は名刺を見ただけでわかります。会社の住所と電話番号とメールアドレス、ホームページのURL……どれを削っても信頼性を欠く。それを省いた星姫はやはり誰にも仕えてなどおらず、自分を中心とした『星姫と愉快な獣たち』みたいなゆるい集団を構築していたのでしょう。だから名乗ったのは『星姫』の名だけ。それ以外の肩書は必要なかった。そのように我々は推測しました」
例によって、鎖羽の発言に同意しているっぽい感情が星姫から流れてきているので、姫云々に関する鎖羽の推察も当たっているのだろう。
唯一、結構前の段階で頭に浮かんでいた他の疑問点について、礼は質問を繰り出すことにした。
「でも……話戻るけど……なんで他の敵はみんな動物の霊だってわかったの?」
「その点については、私が気づいたのは寿原さんが獣を捕まえた状態でこの場に姿を現して、星姫が捕獲された獣を見て取り乱した時です。
おそらく烙示も、そして状況が違えど寿原さんも似たようなタイミングで気づいたのではないでしょうか?
そもそも我々がここに来た時点では、小幡さんのみがここにとどまっておりました。
ご本人いわく、他の敵を取り逃がしたとのことでしたが、この点が非常に不可解でした。俊敏性を売りとする馬場さんですら取り逃がしたとなると……」
「ん? 馬場さんってそんなに速いの?」
「はい。生身の体で烙示のスピードを超えると言えばわかりますでしょうか。その凄さが」
「防御力がほとんどねぇけどな。俺の方が総合的に強えぇし! あいつ防御力ほとんどねぇし」
途中、プライドを傷つけられそうになった人物が割って入ってきたが、面倒な作業を鎖羽に押しつけときながら、ちゃっかり自分の威厳は保とうとするその人物がやたらとむかついたので、礼はしっかりとスルーしておく。
礼同様、鎖羽も似たような感情を抱いたらしく、烙示を無視して説明を続けた。
「おそらくこれは山岳戦における人間と動物の機動力の違い。野山で育った動物の方が圧倒的に移動速度が速いですからね。野生の生き物はたとえ小動物でも物凄い速度で木々の隙間を走り去るでしょう?」
「うーん……ウサギとかリスとか……確かに速いよね。あと、ゴキブリも……」
「ゴキブリは今の話に関係ありません。だから理科があんな点数になるのです。あと文脈を読む能力的な意味で国語も……」
ここでなぜか鎖羽から冷静な訂正と残酷な追撃を入れられ、軽くボケたつもりの礼は少しショックを受ける。
「おそらくこの地域における我々の侵攻に対して、星姫は戦闘開始当初、部下に散開と局地戦を指示しました。狭い区域でひしめきあっても星姫側の利点が有効活用できませんからね。この点はさすがに冷静。
しかも小幡さんの体力と霊力が尽きれば、今度は星姫が味方を援護しながら各地を回り、こちらの戦力を各個撃破できる。戦術的にとてもいい判断だったと思います」
台詞の終わりは生徒を褒める先生のような優しい口調になり、しかしここで鎖羽は急に鋭い視線を寿原に向ける。
(いや、鎖羽の姿って結局分からずじまいだけど……この気配、多分寿原さんのこと睨んでいるよね)
その気配が礼の皮膚さえも突き刺したような気がしたため、礼はぶるっと身震いし、時を同じくして鎖羽が低い声で寿原に質問した。
「何故今回、初陣の礼様を敵のリーダーにぶつけたのですか?」
急な援護とはいえ、もっと弱い敵に礼を当てることもできたはず。敵味方が山間部の広い地域を行き来しているため、一点にとどまっていた小幡の援護がしやすかったとも考えられるが、烙示と鎖羽の機動力もまさに野を駆ける獣ごとき俊敏性を持っている。
そう考えると、新人の礼に敵のリーダーを倒せという指示はなかなか困難なものであり、礼の安全を考えれば、そこまでする必要性は皆無であった。
(ん? でも星姫さんがリーダーだってこと、寿原さんはここにきて始めて気づいたんじゃなかったっけ? だったら無理もないんじゃ……)
鎖羽の質問の意図が誤りであると分かり、礼はその旨を伝えようとするが、その時ぐったりとしていた烙示が頭だけを小さく上げ、会話に割って入ってきた。
「あっ。それ、俺も思った。寿原? お前の力なら、こいつが一番霊気強いの分かってたんじゃねぇのか? 小幡に霊力押さえられていたつっても、お前ならこいつが一番ヤバいってことに気づいてたはずなんだが? なんだったら、他の敵が全て動物だってことも気づいてたんじゃねぇのか?」
「そうです。あなたの感知能力なら、間違えるはずないでしょう? というかあなたには感知能力しかなかったはずですが?」
「そうだな。鎖羽の言うとおりだ。お前のさっきの霊気。少し前のお前とは段違いのものだった。正攻法で手に入れたもんじゃねぇよな? おい、寿原!? どうなんだぁ? お前、本当になにをしたぁ?」
語尾を荒げる烙示の声が鎖羽の疑惑の視線と融合して寿原に突き刺さり、対する寿原が居心地が悪そうに視線をそらす。
「あっはっは! そうかりかりすんな!」
いや、寿原はいつでも寿原であり、烙示たちの追求をなんとも思っていないようである。烙示たちの質問に対し、寿原はその言葉の意味だけをシンプルに受け止め、質問に対する答えのみをシンプルに返してきた。
その雰囲気に礼はなぜか父親の顔を脳裏に浮かべるが、そんな礼のしょんぼりした表情には誰も気づかず、寿原たちの会話は続く。
「星姫っていったっけか? そいつが1番ヤバいのは知ってたさ。礼が初めての戦いってことももちろん考慮したしな」
「じゃあなぜこのような危険なことを礼様に?」
楽天的な寿原に対し、やはりといった感じで鎖羽が真っ先に反応する。
しかしながら、それに対する寿原の言葉もシンプルなものであった。
「そいつが……礼が六憐の子どもだからだ」
「え?」
突如耳にした父親の名前に、礼は驚きの表情を浮かべる。いや、直前にたまたま父の顔を思い出していたため、礼の反応はそれなりのものであったが、寿原は礼に視線を向けることなく鎖羽たちに話を続けた。
「この程度の戦場。はっきりいって、礼とお前たち3人で片づけることが出来る。その程度のものだ。
もう少し時期が遅ければ、礼1人でもいけるだろうな。
だが誤解すんな。俺は礼を過大評価してるわけじゃねぇよ。無茶をやらせる気はない。
それに、礼は友人の子だ。なおさら無理なんかさせることできねぇよ」
「は、はぁ……」
「あ、あぁ……」
「あと、烙示と鎖羽のことも信用してる。人間には従えることすら危険極まりない位の精霊だが、お前らが六憐の子を死なせるわけがない。
それはお前らが1番よく知ってんだろ? だからお前らをこいつにぶつけた。一応そういう戦力配備なんだが……」
寿原は恥ずかしそうに台詞を並べ、最後に小さく息を吸う。この呼吸で会話にワンテンポの間を生み出しつつ、次に寿原はやや低めの凄みを含んだ声で烙示たちに言った。
「文句あるか?」
これで烙示と鎖羽は撃沈。
「ねぇよ……」
「そ、それなら……失礼しました……」
2人はバツの悪そうな雰囲気で下を向き口を閉ざす。唯一、この流れを切れる立場にいた礼が、割り込むように口を開いた。
「寿原さんの……その……パワーアップ……? その話は?」
自分の話と父親の話。
14歳の少年にはいくらか恥ずかしい気持ちを覚えてしまう内容だったため、話題を変えたいという意味も含めての質問である。
礼の思惑は上手くいき、礼の質問に対し寿原は静かに答えてくれた。
「これは六憐から預かっている力だ。いつかお前にくれてやる。今は無理だがな。お前が自分の『言葉』を自由に扱えるようになったら」
「お前の今の不器用さにこの力が加わったら、本当に俺ら巻き沿いくらいかねないからな。はっはっは!」
最後には寿原も恥ずかしさに耐えきれなくなったという感じで無理矢理明るい雰囲気を出しながら笑う。
しかし、笑う直前まで礼に見せていた寿原の表情は、礼の父親が見せてくれていたものとよく似た笑顔であった。