ある程度の軽食を召喚してから、カウンターをリリーベルとミルフィーユに任せて、村上は船長の席に向かい合って座っていた。
(なんでこうなったんだ……)
むしろここは船長室。
鹿の頭部が壁に飾られ、熊の敷物が地面を彩る。
壁にはマスケット銃のようなものが×の形で掲げられ、想像通りの船室だった。
テーブルの上には航海図が広げられていたが、「飯を食うか」の一言でずらされ、今ではテーブルの端でくしゃくしゃになっていた。
「……ほう、この口の中でとろけるような魚、マグロンに味が似てるな」
船長が素手で掴んで食しているのは、酢飯と鮮魚が織りなす高級飯の一つ――寿司だ。
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【本日の昼食】
・ウタゲ二人前(キンノウツワ)
・5,340G
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「ふむ、この尻尾が付いてるやつはプリプリとした食感で甘みが詰まっている。エビィそのものだな」
食事を楽しむように、次はイクラ軍艦に手を伸ばす。
「ほほう、口の中ではじけるこの粒の触感は――シャッケィの卵に味を付けたようだな……実に珍しい食べ物ばかりよ、ふははは!」
元が強面のお爺さんだが、笑うと優しそうで安心する。
「でだ、村上君。
君を招いたのは他でもないホワイトラビット商会のアリスのことだ」
船長が手を拭きながら、村上に向き直る。
違和感を感じたが、どうやらそれは、この船で初めて
「率直に聞くが、どういう関係だ?」
まるで警察の尋問のような重さを感じて、胃が重くなる気がしたが、船長は、気が付いたように髭を撫でた。
「いや、すまない。
まずはワシから話すべきだな」
「い、いえお気になさらず」
「この見た目のせいか、恐縮する者が多くてな。
どうだ、一杯?」
瓶を持ち上げ、村上はこくりと頷いた。
普段飲まないが、話し合いの席程度なら、酔わずに合わせることができるのは、社会人生活で唯一感謝できるスキルの一つだろう。
「ホワイトラビット商会の親父とは知り合いでな。
娘がお忍びで乗るから、影ながら見守ってて欲しいと言われて様子を伺っとったのさ」
船長から酒を受け取ると、船長が気にせず飲めと視線で促す。
――喉が焼けるような度数だが、スピリタスほどではない。
「ほう、これが行ける口か。
良い飲みっぷりだ」
「ありがとうございます。
それで、アリスさんのお話ですが」
「ああ、そうだな。
アリスを取り巻く環境を村上君は知ったうえで、露店を開いてくれたんだろう?」
「――よく分かりましたね」
「そりゃ分かるさ。
友人の娘だ、あの災厄の噂にはワシも心配してた。
アリスも過去を振り払うため、何かきっかけになると思って船に乗ったようだが、もし君らがアリスを利用しようとしていたら――」
船長は壁に目を向けるので、村上も追うと、巨大な曲剣――カトラスがかけられていた。
「サメィの餌にしとるとこだったな」
「あ、ははは」
「だがみたところ、村上君に悪意はない。
それに君を慕う者たちで分かる」
「それはどういう……」
「長く生きてると知らぬ間に縁が結ばれてるもんでな。
まさか他の娘たちにも会うとは思っておらんかったわ」
酒瓶を村上に注ぐ。
次に自分に注ごうとしたとき、村上が酒瓶を受け取り、船長は快くコップを差し出してくれた。
「ケビンのところのロロウェルミナ=ヴィーゼ嬢にも驚いたが、さらに懐かしい顔があったからな」
「もしかしてリリーベルさんですか?」
「リリーベル?
そうか、やはりマリアベルではないか。
あいつにしては顔つきが優しすぎるからな」
船長は残念そうに首を振って、酒を煽った。
「マリアベルはやはりもう――そうか、あの時の子か……」
目元を押さえて堪えていたが、船長は雷に打たれたが如く何かを思い出し、机へと向かった。
羽ペンやインク、数々の本が置かれた机を漁り、いくつか戸棚を開けたとき、目当てのものを見つけたようだ。
「ほら、こいつをマリアベルの娘に渡してやってくれ」
「これは――マリアベルさんの手紙」
「ああ、あいつが新婚旅行で旦那と俺の船に乗ったときに、託していったんだ。
わたしに似た可愛くて美人なエルフが来たら渡してやってくれってな」
船長からの手紙は茶色く変色している。
丁寧に受け取り、そっと胸ポケットに仕舞い込んだ。
「今はリリーベルさんとマリアベルさんの旅路を辿る旅をしているんです」
「そいつは良い。
子は親を超えようとするもんだ、母親と一緒に過ごす時間が少なかっただろうから、なおさらだな」
「リリーベルさんにとって、良い旅になればと思います。
もちろんロロさんも目指す道を歩いて欲しいし、アリスさんも間違った噂に悲しまないように過ごしてほしい」
酒が入っているせいか、自分でも普段口にしないような想いが、ぺらぺらと滑るように流れ出てしまう。
「村上君」
船長はこれまでの厳しい航海を乗り越えてきた瞳で、村上の目を射抜いた。
「ひとつ、忘れてるな」
「何を、ですか」
コップを置いて船長は人差し指をゆっくりと村上に向ける。
そして村上の左胸をつついた。
「お前さんさ。
あんたは自分をないがしろにしすぎそうだ」
「俺……?」
「いや俺が口を出すことでもないな。
マリアベルの娘が一緒にいるなら、問題ねぇか」
ふと、リリーベルと出会ったばかりの頃を思い出した。
あれは弱さを見つけて、自分を情けないと卑下したときだ。
『意を決して自分の傷を話してくれるような方が――情けないはずがありません』
(確かに俺の心は会社務めでボロボロだった。
けれどリリーベルさんたちと旅をするようになって、それすらも思い出さなくなってた)
だから船長はリリーベルが居れば問題ないと太鼓判を押したのだろう。
しかしマリアベルさんはなんて信頼感が厚い人だったのか。
リリーベルが憧れるのもよく分かる。
「でだ、話は戻るが、そんなお前さんがやっているアリスの臨時露店だ。
ワシも一枚かませてもらおう。
いくらでも噂を広げてやる、世界のどこにいても聞こえるようにな」
「ほ、ほんとですか!
ありがとうございます!」
「おいおい、上手く広がるかは飯の上手さや珍しさ次第だ。
まぁ、もうほとんど成功してると思おうがな」
大きな口を開けて船長は笑い、村上の背中を何度も叩いた。
「じゃあ、俺、もう少し頑張ってきますので、ありがとうございます船長さん!」
船長の助けが得られたことで、足元から力が自然と湧いてくる。
今すぐにでも走り出そうとしたとき、船長が肩を掴んだ。
「実はな、もう一つ話があってな。
だが、村上君。
もしやと思うが、戦いは得意――ではないだろうな」
「え、ええまあ、ただの脱サラした露天商のオッサンなので……」
「ふうむ、そうか。
やはりそう簡単に事は運ばんか」
「い、いったい何なんです?」
不穏な気配を感じて、村上は船長へと尋ねる。
「いや、船員の話ではどうやらはぐれた翼竜――ドラゴンが海路上に見えるようでな。
力量のほどを訪ねたのさ」