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第60話 新たな契約と変わらぬ日常

 息を切らせながらグランマルシェ北門を目指す。


「はあ、はあ、はあ」


 軽食の女神の店を飛び出して裏路地を駆け抜け、旅人がひしめき合う大通りに出る。


「うわ、多い。

 激込みか!?」


 お祭りなのか、普段通りなのか分からず、村上はたたらを踏む。


「くっ……今は急ぎたいが――」


 雇用契約によるパーティー解散、する気はない。


 なんなら、もう一度リリーベルに雇用関係を申し込もう。


 迷惑をかけるかもしれないけど、少しばかり自分の気持ちに正直になってもいい気がした。


(これまで俺に足りないのは、相手にお願いすることだ)


 社会人生活で誰も話を聞いてくれないから、自分の気持ちを伝えることを諦めて生きて来たけど――そんなこと、今はどうでも良かった。


(店舗を構える――?

 世迷言を、俺はまだまだ世界を巡りたいじゃないか)


 一人不自由に思い悩みながら拠点を構えるより、一人でしっかりと考えて選択したのが、仲間と旅をすること。


(それが何よりも俺の癒しだ!)


「通してもらえますか、すみません!」


 人込みに逆らいながら進もうとするも、逆に裏路地へと押し戻される。


(やっぱり、身体能力系チートスキルが良かったか?

 いや、今でも後悔はない。

 仲間を笑顔にできるスキルなんて、それだけで十分じゃないか)


 再び人込みへ飛び込もうと気を引き締めたとき、胸ポケットから一筋の光が、円を描きながら飛び出した。


「マスター、こちらです。

 ミルフィーユが空より案内いたします」


「ありがとう、ミルフィーユ!」


 ミルフィーユは屋根の高さから裏路地を把握して、村上を誘導する。


 胸が張り裂けそうになる中年の体力を無視して、懸命に重たい足を前に進める。


 「ウーロン茶、召喚!」


 叫ばなくてもいいが、ノリで叫んでみると魔法陣からウーロン茶のパックが生まれた。


 走りながら喉を潤し、空パックは無限リュックへと収納する。


「マスター、選ばれたんですね」


「静かに見守っててくれてありがとうな、ミルフィーユ!」


 ミルフィーユは軽食の女神と話をしているときも、ずっと黙って村上の行く末を見守っていてくれた。


 口を挟みたかっただろうに、その無言が信頼の証だと気が付いたとき、胸に熱いものが込み上げてきた。


「ミルフィーユはマスターと常にあります。

 この先どんなことが訪れようとも、死が二人を別つまで添い遂げましょう」


 絹のように滑らかで、自分の身長よりも長い黒髪を風になびかせながら、ミルフィーユは村上の周囲を飛び交う。


「頼りにしているよ」


「はい、ではこの先を直進し、突き当りを右です」


「おう!」


 こんなに全力で走ったのはいつ振りか。


 しかも会社から逃げ帰るためではない。


 逢いたい人がいるから、走れる自分がいる――そんな人生が来るなんて、微塵も期待していなかった。


 途中に置いてある木箱に足を引っかけて転びそうになり、身体を一回転させながらも、何とか転ばずにさらに走る。


「はあ、はあ――!」


 角を曲がると、小さな水路が現れる。


「す、すみません。

 生活用の水路です!」


「なあに、余裕だよ、このくら――い!」


 跳躍すると、すぐ近くで遊んでいたミャウ族の子供たちが『おおー』と声をあげる。


 軽く手を振って大通りに出ると、遠くに大きな門が見えてきた。


 木製の巨大な扉はグランマルシェから出入りする人や馬車が、道を埋めるように往来している。


(まるで東京駅だな……!)


 だが都心に比べればこの程度の混雑、訳もない。


 人込みの中で進むべき道が光で見えた。


「もうすぐです、マスター!」


「ああ、よ、よゆうだ、このくらい」


 息も絶え絶え強がりながら、必死に走る。


 スーツの上着は不要だ。


 脱ぎながらも手にもって、低速ながらも門を目指す。


「み、見えた……!」


 門の脇に立つのは、フード付きの服を着用しているロロだ。


 有り余る元気からか、その場で跳ねて手を振る。


 近くには、見たこともない背の高いエルフの男性もいる。


「だ、誰だ、あれ」


 脳が酸素を欲して推理する力もない。


 二人の中央には純白の治癒師のローブに身を包んだ少女がいた。


 稲穂のように輝く金髪は背中で自然に流し、前髪の横の髪は三つ編みで結わえている。


 何があったのか、リリーベルも村上を見つけたとき、走り出した。


「な、なんだ、どうしたんだろ……?」


 いつも落ち着いて優しい笑みを浮かべている彼女が、あんな必死に駆けてくるなんて珍しい。


 青色の髪飾りが反射で何度も光り輝く。


 もしかしたら、村上が知らないだけでリリーベルも人生の選択をしたのかもしれない。


「――ムラカミさぁん!」


 声が届く。


 あと少し走れば、彼女に辿り着く。


 けどもう限界――いや、あんなに走ってきてくれてるんだ、もう少し、あと一歩、さらに一歩、まだ進めるだろう?


「リ、リリーベルさん!」


 声を絞って、どうにか彼女の名を呼ぶ。


 村上の見間違えなのか、彼女が走るたびに、キラキラとした輝きが頬から流れていくのが見えた。


「リリーベルさん、雇用契約ですが、俺は、まだ――まだ!」


「ムラカミさん、旅の護衛ですが――!!!」


 すぐにこの想いを伝えたい。


 身体を前に進めながら叫ぶ。


(うぁ――もっと声を出せ、想いを届けろ!!)


 張り裂けそうな肺に空気を目いっぱい吸い込む。


 そして大きく叫ぶのだ、己が願いを。


「――俺と、ずっと一緒にいてください!!!」

「私と、ずっと一緒にいてください!!!」


 村上とリリーベルとの言葉が共鳴し、雑踏すらも打ち消して、港町グランマルシェへと響き渡る。


 静寂に包まれた大通り。


 一人の人間と、一人のエルフを見つめる人々。


 ――パチ。


 ――パチパチ。


 ――パチパチパチパチパチパチパチパチ。 


 何処からともなく拍手が広がり、街人へと伝染していく。


 時間を告げる灯台の鐘が鳴り響き、まるで二人を祝福しているようだった。


 もう歩けない村上を海の男たちが持ち上げて、リリーベルの元へと運んでいく。


「え、あ、ちょ、ちょっと」


 対するリリーベルも町娘たちに背中を押されて、村上の元へと流されていく。


「ひゃっ、あ、あの」


 二人が顔を合わせた。


「「――」」


 うつ向いたとき、彼らの口が動いた。


 けれど、大喝采にその声は聞き取れない。


 だから二人は手を繋いだ。


 新たな契約の証として。


++++++++++++++++++++++++++++++


「うにゃああん、世話が焼けるにゃねえ」


 近くの木箱に肘をついて、頬を掌で持ち上げながらロロは抑えられないニヤニヤを止める気はない。


 空から舞い降りて、ミルフィーユはロロの顔の横に降り立った。


「今後の状況によっては、ロロウェルミナ様のポケットを借りなければなりません」


「そうかもにゃあ……ん、もう行かれるのですか?」


 満足そうにリリーベルを眺めていたセリオスは、旅行鞄を片手に背を向けていた。


「ええ、娘の門出を見たら、旅立つのが父親というもの。

 これからリリィがですが、そこもマリアベルと同じとは――血筋は争えないようだね」


「えっ、リリィっていったい幾つにゃ……?」


「エルフは長寿だからね。

 まあ、彼も見たところ40代そこそこ、ほど良いものさ」


 セリオスは胸元から手帳を取り出して、娘への想いを書き留め、歩き出した。


 マリアベルの影を追うのは、もう自分だけで良い。


「与えられた幸せの中で生きるのではなく、幸せを育み、与える側へと旅立ったね、リリィ」


 過去を抱いて歩むのは、夫の役割だ。


「――どうか、幸せな毎日を」


 セリオスは自分の生涯が尽きるまで、マリアベルとの日常を一つも零れ落ちとさぬ為、彼女との旅をなぞる人生へと戻っていくのであった。


++++++++++++++++++++++++++++++


【異世界放浪記 - ???日目】


 王都グランディアを目指して、何日経過しただろう。


 グランディア大陸は驚くほど広大で、何日歩いても到着する気配はない。


 急ぐ旅でもないので、途中の村や町で観光を楽しんでいるのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。


 星々が瞬く草原で、テントの横で焚火をしながら身を寄せ合う姿がある。


「ムラカミさん、この先ですが――あっえっと、ソウジュウロウさん。

 ここから先は砂漠地帯になるみたいです」


「ありがとうリリーベルさん――ええと、あの、リ、リリーベル」


 二人は地図を開いて今後の旅路を計画しているが、数日経過しても、未だにギクシャクしていることがあった。


 ふと村上はリリーベルが持つ手帳が目に入る。


 表紙はまだ新しく使い古されていない。


(新しい手帳も手になじんできたようだ)


 母親の手帳は今も大切に旅行鞄に収納されている。


(これからは"自分の物語"を記していく。

 お義父さんも洒落たプレゼントを選んだもんだな)


 ふわふわ綿アメの上でも歩いているような毎日が、いずれ地に足が付くのだろうか。


 それすらも分からないので、日々を大切に感じ取りたいものだ。


 未だ肩すら触れ合わない二人の後ろでは、ロロが瞳を輝かせながら、既に日常となった風景を眺めている。


「もうこれ、一生、慣れにゃいんじゃにゃいかな」


 ロロのフードに身をうずめていたミルフィーユが、そっと顔を出す。


 主人の甲斐性のなさに呆れているようだが、口元は緩んでいる。


「マスターとリリーベル様が微笑ましいので、私はこのままでも良いですが」


 変化を期待したのに何も変わらなかった日常に、ロロとミルフィーユは笑い合う。


 笑い声に気が付いた村上は、コホンと咳払いをして立ち上がった。


 「リリーベル、ロロ、ミルフィーユ。

 これから砂漠地帯を進むんだけど、スタミナをつけた方が良いと思う。

 さあ、夕飯のリクエストはあるかい?」


 村上の提案に三人は顔を見合わせて、各々一番好きな食事をリクエストした。


 もちろん、ひときわ大きく響いた声は、生涯添い遂げる妻だった。


 月夜が空ければ朝日が昇る。


 暑ければコーラ片手に、寒ければホットコーヒー片手に。


 腹が空けばハンバーガーを。


 とりとめのない言葉を交わしながら、日常を繰り返す。


「さあ、今日はどこまで行こうか」


 ヴィーゼ領編 END

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