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1-4

「……どうですかね」

 数日後、滄史は賃貸マンションの自室で難しい顔をしながらパソコン画面に向かって訊ねた。

 担当編集である安達との打ち合わせ。前回話した通り今日は恋愛ものの長編プロットを見てもらうことになっている。

 ひとまず3本、長編になりそうな話を作った。画面の向こうからは安達の息遣いしか聞こえてこない。

 原稿が小説本になるまで、いくつか過程がある。滄史が今世話になっている鳴文社のコントラスト文庫というレーベルでは、まず担当編集がプロットや原稿をチェックする。それが通れば次は編集会議だ。何人かの編集者で協議する。

 それも通れば、最後は副編集長と編集長からゴーサインを貰う。本来ならその後もいくつかステップがあるらしいのだが、副編集長と編集長を通ればまず大丈夫らしい。

 そして運のいいことに安達はこの文庫の副編集長だ。彼のチェックが通れば、あとは編集長だけなのである。

『うーん……』

 画面から安達の唸るような声が聴こえてくる。

 まだ分からない。この『うーん……』は大体ダメだがたまにいいときもあるのだ。

 ズッとコーヒーを啜る音が聴こえてくる――やがて、ぐいっと椅子のスプリングが軋む音が聴こえてきた。

『そうだな……うん、よくまとまってる』

 安達からの言葉に滄史はキュッと口を引き結ぶ。

 褒めている、わけではないのだろう。言葉の最後にどことなく余韻を感じ取り、滄史は警戒した顔のまま、安達の言葉を待った

『まとまってる。うん、まとまってるだけだな』

 やっぱりそうだった。滄史は心の中でため息をつき、小さな声で「はい」と返事をする。

『いや、いいんだけどな。もっとこう、尖った部分が欲しいというか、人物の互いの境遇もアクシデントとか、問題の解決もなんだけど、全部がテンプレ的というか。うん、なんかどっかで見た恋愛小説なんだよな』

「それは……まぁ、そうですね」

 潔く認める滄史。実際そうなのだ。

 滄史の発想法は『既存のアイデアと既存のアイデアをかけ合わせ、まるで新しく見えるものを作り出す』というものだ。今回もそうやってプロットを作り上げた。

 しかし、出来上がったプロットは安達のお眼鏡にかなうものではなかった。アイデアの合成が上手くいってなかったのかもしれない。

『もっと滄史自身の情動を感じたいんだよ。作品は作者の分身なんだから。そこは恥ずかしがらずに出してほしいなぁ』

「別に恥ずかしがってるわけじゃないですよ。単純に経験値が少ないってだけです」

 安達からの提案に滄史は隠すことなくため息を吐く。

 情動を感じたいなんて言われても、これまで滄史は人を好きになることはあれど、恋焦がれるようなことはなかった。

 誰かを想って、好きな人のために行動して――なんてこと、理屈も感情も理解できるし、なんなら共感だってできるかもしれない。

 だけど、そんな気持ちを抱いたことは、これまでの人生の中で一度もなかった。

 少なくとも、滄史はそう自覚している。

『経験値が少ないって言っても、女の子と付き合ったことくらいはあるだろ?』

 あまりにも的外れな安達の言葉に、滄史は呆れて声もでなかった。

 女の子と付き合ったことくらい――小説家、特にラノベ作家を目指している人間の一体何割が女の子と付き合ったことがあるのだろうか。

 滄史はグッと背もたれに身を預け、上着がかけられた壁を眺めながらようやく返事をした。

「女の子と付き合えるくらいなら、小説なんて書いてないですよ。少なくとも僕は。ていうか、周りの人達が女の子と遊んだり、スポーツに打ち込んだり、色んな事をして楽しんでたとき、僕は小説を書いてました」

『……たしかに。滄史は小説にすべてを捧げたものな』

「そこまでではないですけど。まぁでもそういうことです」

 やや過剰な気もするが、しかしそういうことだ。本来なら色んなステータスに数値を割り振れたかもしれないのに、滄史はその『情熱』を小説のみに注いでいたのだ。

 別にこうなりたかったわけじゃない。気づけばそうせざるを得なかっただけだが。

『しかしなぁ、こういうのはやっぱり実体験が一番だと思うが。なんか最近そういう浮いた話とかないのか?』

「原稿を書くか、いつも使ってるスーパーか薬局へ買い物に行くかの毎日なんで、そもそも人と会わないです。定期的に喋ってるのは安達さんくらいですよ」

『うーん……私以外だとほら、同人やってる仲間とかいるだろ?』

「全員野郎ですよ。女性で同人やってる人なんて……知り合いにいません」

 ふぅーっと画面の向こうから安達が息を吐く音が聴こえてくる。

 だが仕方ない。本当のことだ。久我峰滄史の生活に顔見知り以上の女性が介入してくることなんて存在しない。

『じゃあほら、最近女性と喋ったことは? 別に知り合いじゃなくてもいいから』

 半ば自暴自棄のようになり、安達が訊いてくる。

 そう言われてもと滄史は困る。そりゃ条件を限りなく緩くすれば当てはまることはあるかもしれないけれど、それが一体小説のなにに役立つというのか。

 そもそも、安達はなぜこんなにも恋愛を進めてくるのか。編集者なんだから普通に原稿を催促すればいいのに。

「知り合いじゃなくてって言われても……あぁ、そういえばありましたよ」

『本当か?』

 ここはもうなにか話さなければ話が進みそうになかったので、滄史はつい先日、極上の美人バニーガールのスマホを届けた話をした。

 といっても忘れ物を預かって届けて、お礼を言われただけだ。そんな特別な話じゃない。

『ほぉ~Jewel Dreamのバニーガールとね~』

 ゆえにリアクションも淡白なものだろう。滄史はそう思っていたのだが、意外なことに安達の声のトーンは悪くなさそうだった。

 声しか聞こえないので断言はできないが、なにか面白いものを見つけたとでもいうような、そんな調子だ。

「知ってるんですか? そのお店のこと」

『そりゃあもちろん。接待で何度か行ったこともある。いいところだぞ』

「はぁ……まぁ僕には縁のないところですけど」

『なに言ってんだ。できたじゃないか、縁』

 安達の言葉に滄史は眉を顰める。小首をかしげてパソコンの画面を睨んでいると、向こう側でガタガタとなにかが動く音が聴こえてくる。

「もしかしてそれって僕がスマホ届けたからとかですか?」

『そうだよ。まぁそれで入れるわけではないだろうけど……おっ、あったあった』

 なにか探しているのだろうか。滄史は椅子のひじかけに肘をつき手で口を覆う。

『よし、折角だから久しぶりに行ってみるか』

「えーっと、そのJewel Dreamってとこですか?」

『そう、滄史が言った美人バニーガールにも会ってみたいしな』

「……まぁ、楽しんできてください」

 相変わらず元気な人だ――なんて思いながら見送りの言葉を投げる。

 するとすぐにパソコンからぐいっとスプリングが軋む音がなり、安達の息遣いがさっきよりも大きくなった。

『おいおい、ひとりで行くわけないだろ』

「そうなんですか? 部下でも連れて行くんですか?」

『いや、私のお気に入りの作家を連れていく』

「それはまた……喜ぶでしょうねぇ。お気に入りの作家さんとやらは」

 滄史の皮肉に安達は「そうだろ?」なんて言って笑っている。

 いきなりクラブに連れてかれ、なにがなんだか分からない状態で酒を飲まされるのだ。楽しいわけがないだろう。

 しかし担当編集、それもお世話になってるレーベルの副編集長からのお誘いだ。無下にすることもできない。

 誰かに気に入られるのも考えものだな。頭の後ろで手を組み、滄史はのんきに天井を仰いだ。

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