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1-9

 目が覚めるとそこは見慣れた天井だった。

 いつの間にか自身のねぐらであるこじんまりとした賃貸マンションにいて、使い古した布団の上に寝転がっている。

「なんでベッド……うわっ」

 呟いた瞬間、自分の身体がカラカラに乾ききっていることに気が付く。喉だけではない、身体全体だ。

 おまけに息もくさい。身体の不調を認識すると、途端に頭も痛いことに気が付く。

「くそっ、さいあくだ……」

 起き上がろうとして身体を動かす。しかし水分を失ってアルコールが残っている身体は上手く動かず、そのまま横に転がってベッドから落ちた。

「つぅ~……」

 硬いフローリングに身体を打ち付け、目をつぶって痛みに耐える。

 その後、勢いをつけて腕を振り、バンッと床を叩いて反動を利用して身体を起こす。

 どうにか足も動かし立ち上がる。頭痛と立ち眩みが同時に襲い掛かり、すぐ近くにある作業用デスクに手をつく。

「なにか……なにか飲まなきゃ」

 空っぽの身体になにか入れなければならない。滄史はふらつく足取りで部屋を歩き、狭いキッチンへと向かう。

 冷蔵庫に手をかけ、ドアを開ける。しかし力が上手く入らず、手がすっぽ抜けた。

「どーなってんだ」

 ぶつぶつ言いながら再び手をかける。ぐいんっと身体ごと手を動かすと冷蔵庫の扉が開き、ぼんやりとした冷気が漂ってくる。

 残っていたスポーツドリンクを2本見つけた。1本は殆どなくて、もう1本は未開封だ。

「……なんだこれ」

 飲んだ記憶どころか、買った記憶もない。無論普段から買い置きしているわけじゃない。

 なぜと思いながらも滄史はひとまず未開封のスポーツドリンクを手にとる。

 身体で冷蔵庫の扉を閉めて、そのままよりかかってふたを開けて飲んだ。

 しっかりと冷やされた液体がカラカラの喉を通り過ぎ、ゆっくりと身体に浸透していく。

 半分ほど飲んだところで、ふーっと息を吐いた。

「……きもちわるい」

 ペットボトルを持ったままのそのそと歩き、部屋に戻って薬を保管している棚を漁る。

 飲みすぎに効く生薬を掴み、しゃがんだまま開けた。

 薬の匂いに顔をしかめながらも匙で掬い、またキッチンへ。

「……いくぞ」

 グラスに水を注ぎ、自分で自分を鼓舞して舌の上に薬を置く。苦みを認識する前に水を流し込む。

 口の中の粉感が抜けるまで何度も水を飲む。4杯ほど飲んだところでようやく落ち着き、シンクのふちに手をついた。

「うぇ~昨日どんだけ飲んだんだ」

 無機質なキッチンを見下ろしながら呟く。安達の勧めでクラブ『Jewel Dream』に行って、美人バニーガールの光矢と出会ったまでは憶えている。

 そこから酒を飲みながら話をして――途中から記憶がない。

 なにか粗相をしたのだろうか。頭を掻きながらまた部屋に戻り、充電ポートに置いていたスマホを手に取る。

 なにか手がかりがないかと思い立ち上げるが、特にこれといって連絡はない。滄史は目をつぶって首を回し、スポーツドリンクを飲むと吸い寄せられるようにベッドへと倒れこんだ。

 滄史自身、なにか良くないことをしたような気がするのだが、まったく憶えていない。結局、思い出すのも面倒になり、意識を眠りの海に沈めていった。


 $$$


 飲みすぎたからといって仕事を休むわけにはいかない。

 目を覚ますとすでに夕方で、そこから家事を片付けてシャワーを浴び、滄史は家を出た。

 行先はもちろん夜光猫だ。クラブ『Jewel Dream』を通り過ぎて、通りの横断歩道を渡って、ネオン管でできた猫が佇んでいる店のドアを開ける。

 カランカランと音が鳴り、いつもの女性店員が滄史を見た。

「いらっしゃいませー」

 挨拶もそこそこに女性店員は作業に戻る。

 滄史がいつものカウンター席に座ると、何も言わず水が注がれたグラスと紙おしぼりが置かれた。

「アイスコーヒーを」

「ミルクありでよろしいでしょうか」

「お願いします」

 少々お待ちくださいの言葉と共に女性店員が下がる。

 アイスコーヒーはすぐにやってきて、滄史はいつものようにミルクを入れてかきまぜた。

 ジュッとアイスコーヒーを啜り、ノートパソコンを開く。出掛ける前に安達から届いたメールには3本のうち1本だけいけそうなものがあるからそれを煮詰めてほしいという旨が書かれていた。まずはその1本の問題点を改めて把握しなければならない。

 テーブルに肘をつき、手で口を覆いながらプロットの粗を確認していく。安達からの指摘を含めた問題点をリストアップし、そこから改善を――カランカラン、と音が鳴り、ドアが開かれた。

 客が訪れたのだろう。滄史は特に気にせずカタカタとキーボードを打鍵していく。

 問題点のリストアップは終わった。後はこれをどうにかするだけだ。

 キーボードを打つ手が止まり、滄史は鼻で息を抜いて椅子の背もたれに寄りかかる。

「お話づくり、順調ですか?」

「えぇ、まぁ今のとこ……」

 言葉を途中で止めて振り向く。

 声が聴こえてきた方向、隣の席にはバニーガールが立っていた。

 ふわりと豊かな長い黒髪ビー玉みたいに光る大きな目、左右対称の均整のとれた小さな顔に不自然ではないけどやや大きな胸。細くて長い手足とくびれのある腰に柔らかそうな太もも。ばっちり露出している肌は白くて瑞々しくて、傷どころかシミもシワもない。

 改めて見ても綺麗な人だと、滄史は光矢を前にして息を飲んだ。

「びっくりした。来てたんですね、光矢さん」

「はい、滄史さん」

 滄史のことを憶えていたようだ。若干の嬉しさと大量の焦りが同時に溢れだす。

「今日も、休憩ですか?」

「はい、滄史さんはお仕事ですか?」

「まぁ、そんなものです。まだお金にはならないですけど。あの……僕昨日、なにかご迷惑をおかけしたんでしょうか。その……恥ずかしながら記憶がなくて」

 思い切って訊ねてみる。すると光矢はびっくりしたように目を丸くしたと思ったら、目を細めてクスッと微笑んだ。

「ご迷惑だなんて、全然。むしろすっごく素敵でした」

「……すてき?」

 思いもよらぬ言葉に滄史は「はぁ?」とでも言うように首をかしげる。

 素敵だなんてもう何年も言われていない。

 しかし、光矢はまるで美しく気高いものを見るような目で滄史を見つめ、スッと手を伸ばしてきた。

 光矢の小さな手が、テーブルに置いている滄史の左手を掴む。

 ふわりと、柔らかくて温かな感触が伝わり、滄史はギョッとして顔をあげた。

「あ、あの。光矢さん?」

「滄史さん、私で良かったらいくらでも好きなように使ってください」

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