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2-6

 2人が訪れたのは店の近くにある公園だった。

 特にこれといった遊具もない広場で、ベンチがいくつか設置されてあるだけ。

 深夜帯ということもあり、公園には誰もいなかった。滄史と光矢はひとまず近くのベンチに座った。

「えっと、じゃあ、いただきましょうか」

「はい、滄史さん」

 2人の間に置いた箱を開けて、生チュロスをとって渡す滄史。触れ合ったときの指の柔らかさと滑らかさにドキッとしながらも自分の分をとる。

 ほとんど同じタイミングで生チュロスを食べる。ふんわりとした食感と上品な甘さに滄史は目を見開いた。

「んっ、おいひぃ」

 光矢も同じく目を真ん丸にして口元に手を当てて喜ぶ。

「うん、普通に……ていうか、結構美味しいですね」

「生ってどういうものなのかなぁって思ったけど、こういう感じなんですね。美味しい」

 両手でチュロスを持って光矢が夢中になって食べる。小動物みたいな可愛らしさに滄史は思わず食べるのも忘れて見惚れてしまう。

 すると光矢がふいにこちらを見てくる。大きな瞳で滄史をのぞき込んでクスッと笑った。

「滄史さん、ここ、ついてます」

 ちょんちょんと指で口元を叩く。あわててお菓子の欠片をとろうとしたところで光矢がスッとポーチからハンカチを出してくれる。

「ふふっ、動かないでくださいね」

 笑いながら光矢が一歩分近寄ってくる。上質そうなハンカチで布地からもすっきりしとした花の香りが漂ってきた。

 滄史の口元の左側をハンカチで軽く拭う。ぽろっととれた生チュロスのかけらを光矢はハンカチで包み、そのまま箱の上に広げる。

 前かがみになってハンカチを軽く振るい、かけらを落としている光矢。漆黒の長い髪が垂れて見えづらかったのかクイッと片方だけ耳にかけ、パッパとハンカチに付いたシュガーパウダーを落とす。

 ふるふると震える長いまつげ、瑞々しく輝く薄紅色の唇、小さくて細い指先にはピカピカに磨かれたこれまた小さい爪がついていて、上等な陶磁器のように艶を帯びていた。

「……滄史さんって」

 光矢の一挙手一投足をジッと眺めていると不意に彼女が滄史の名前を呼んだ。

 まずいと思ったがもう遅い。滄史は慌てて身を引いたが光矢は耳に手で触れたままいたずらっぽい表情で見上げてくる。

「人をジッと見つめる癖、ありますよね。それってやっぱり小説家さんだからですか?」

 カァーッと滄史の顔が目に見えて赤くなった。

 普通にバレてる。しかもまた変にしっかりとした理由があると勘違いされている。

 ただ単に綺麗だから見惚れていただけだというのに。

 ここはなんと言うべきなのか。滄史は顔を赤くしたまま思い悩み、なんとか言葉を絞りだした。

「そ、そうです。そう、なんです。やっぱりこう……性というか、癖というか、未知のものを観察してしまうというか、知りたくなってしまうというか」

「へぇ~すごい。やっぱり普段からアンテナを張ってるってことですか?」

「えぇ、まぁ……そんなところです」

 苦し紛れの言い訳を光矢は特に疑うことなく受け止める。あまりにもまっすぐなその様子に滄史の心の内は罪悪感でいっぱいだ。

 せっかくさっきは勇気を出して本当のことを言ったというのに、結局自分を良く見せようとしてばかりだ。情けない自分を卑下して、滄史は生チュロスをもう1本食べる。

「……滄史さんはすごいですね」

 生チュロスを口へ運んでいると光矢が静かな声色でそう呟いた。

 これまで見てきた穏やかなまなざしや、明るい表情とは違う、冷たくて、どこか遠くを見つめているような表情に、滄史は口元を指で払いながら見つめる。

 美人というのはどんな顔をしていても美人なんだな――ひどく場違いな感想を抱き、すぐに雑念を振り払う。

 滄史とのやりとりでなにか感じ入るものがあったのだろう。フッと光矢から視線を外し、彼女の言葉を待つ。

 久我峰滄史は女性と付き合うどころか、ふたりっきりの時間を過ごしたことだってない。

 だからこういうとき、なんて声をかければいいのか分からない。ゆえに待つことしかできない。

 沈黙の時間はやや窮屈ではあったが、夜中の街のかすかな喧噪とじんわりと暑い空気がその『なにもない』隙間を埋めてくれた。

「……本当は、なんとなくですけど分かってたんです」

 ジッと夜の空を眺めていると、隣から光矢の声が聴こえてくる。

 滄史は振り返らない。光矢がどんな顔をしているのか気になるけれど今は見ない方がいいと、そう思った。そういう声色だった。

「これまでも滄史さんみたいにお食事とか誘ってくれるお客さんもいたんですけど、ずっと断ってきました。街の外へ出る場合は」

「……街の外、ですか?」

 奇妙な言い方に滄史は思わず言葉を繰り返す。

 おずおずと隣を見ると光矢は少し寂しそうに微笑んでいた。

「私、この街から出たことがないんです。ここで生まれて、ここで育ってきました。今は家が別にあるんですけど、13歳まであのお店で暮らしてました」

「え? 街から出たこと……ていうか、あのお店って、あの『Jewel Dream』ですか?」

「はい、あそこで色んな人に面倒を見てもらってました」

「それは……なんとも……数奇的というか、特殊というか……いや、すいません。決して悪い意味じゃなくてですね」

 言い訳しながらも滄史の頭の中は混乱状態だった。

 突如明かされた光矢の生い立ち。どういった事情があったのか。深く聞くべきか否か滄史は思い悩む。

 単純に好奇心として、小説家として聞いてみたい気持ちがある。だがそれと同じくらい興味本位で掘り下げるべきではないという思いもある。

「ふふふっ、いいんですよ。自分でも変な人生だと思ってるので」

 クスクスと頬に手を当てて笑う光矢。やがてまた寂しそうなまなざしとなった。

「ずっとここで暮らしてきたから、外へ出るのが怖いんです。でも滄史さんは知らないことでも積極的に知ろうとするから。すごいなぁって。怖くないのかなぁって」

 光矢の言葉は故郷から逃げ出すように飛び出した滄史には理解しがたいものだった。東京で暮らし始めて6年。これまで実家に帰ったのは2回だけだ。

 単純に故郷が遠い地にあるので帰省が面倒というのもあるが、それ以上にあそこへは帰りたくないわけがあるから。

「怖いのもありますけど、でも、知らないことを知れるのはいいことですよ。少なくとも僕にとっては」

 だから滄史は光矢の言葉に共感することができなかった。

 ただそれでも彼女が問題を抱えているということは分かる。

「私は怖いです。それに、一度出てしまったら、もう戻ってこれない気がして」

「そういうことなら、僕が光矢さんを街の外へ連れていきます」

 ゆえに滄史はここで黙り込むことはできなかった。

 せっかく光矢からこちらへと歩み寄ってくれたのだ。この機会を無駄にするわけにはいかない。

「一緒にいけば、たぶん、大丈夫ですよ」

 そう言って滄史が不器用な笑みを浮かべると、光矢は大きな目をまん丸にして、やがてゆっくりと微笑んだ。

「やっぱり滄史さんはすごい人です」

 膝の上に置いていた滄史の手に自分の手を重ねてくる光矢。ほのかに熱を帯びた小さな手はしっとりとしていて、温かいだけではなかった。

 どこか寂しさも感じられる、そんな優しい手触りだった。

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