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3-3

「着きましたよ。ここです久我峰さん」

 店から歩いて五分ほど経ったところで、玲奈が日傘を持った手で右手側の建物を指し示した。

 思ってたよりもずっと近い。そういえば光矢は以前この街から出たことがないと言っていたが、まさかこんなにも狭い範囲で暮らしていたとは。

 しかし、滄史の驚きはそれだけではなかった。光矢がこんなに近場で生活していたこともそうだが、なにより、この建物が見るからに高い建物、いわゆるタワーマンションだったのだ。

 ざっと見積もって30階はあるだろうか。どこからどう見ても高級マンションといった外観に、滄史は呆気に取られてしまう。

「あっ、驚いちゃいました? ここ、光矢ちゃんのお父さんが持ってるマンションらしいですよ」

 ひそひそと誰かに配慮して玲奈がささやく。父親。そう、光矢も人の子だ。彼女を生んだ母親がいて、彼女を育てた父親もいる。なにもおかしいことではない。

 煌びやかなロビーにビビりながら滄史は建物内へと足を踏み入れる。滄史のひとり暮らし用賃貸マンションとは大違いだ。セキュリティはもちろんのこと、床も壁も磨かれていて、あまりにも世界が違う。

 さらに入ってすぐのロビーにはそれなりの広さの管理人室があり、2人の男性がデスクについていた。

「こんにちはー」

 先に入っていた玲奈が日傘を畳みながら男性へと声をかける。2人のうち1人が反応して立ち上がり、部屋の音声窓越しに「どうも」と低い声を響かせる。

「27階の10号室の守屋光矢ちゃんの同僚なんですけど、彼女風邪ひいちゃったみたいで、お見舞いに来たんですけど」

「守屋様のご友人、ですか? 後ろの方も?」

 ジロッとやや不躾な視線が滄史にぶつけられる。どうしたらいいか分からず固まっていると、玲奈が「はい、お友達です」と明るい口調で答えた。

「かしこまりました。守屋様に確認してみますね」

 男性が返事をしたときにはすでにもう1人の男性が電話をかけているようだった。何度かやりとりをしているようで、連絡している男性が何度か頷き、やがて受話器を置く。

 なにか合図を出して、音声窓の近くにいる男性が頷き、玲奈の方を見た。

「確認がとれました。今開けますので、どうぞお入りください」

 すぐにロビーの重厚そうな自動ドアが開く。玲奈は「どうもー」と明るい声でお礼を言って、滄史は軽く会釈をして音声窓の前を通り過ぎる。

 自動ドアを抜けてエレベーターホールへ。3基のエレベーターのうち1基がすぐに到着し、ドアが開く。

 2人でエレベーターへ乗り込み、目的の27階のボタンを押す。

「高級マンションってすごいですね。管理人、管理人って言うんですかね? 常駐してるんですね」

 滄史は思わずホッとしたような表情を浮かべて喋る。玲奈は手を口元に当ててクスッと笑った。

「ねーびっくりしますよね。私も最初は驚いちゃって。コンシェルジュっていうらしいですよ」

「コンシェルジュ……なるほど。なんか聞いたことがあるような、ないような。それにしても来客対応もああいう人達が管理してるのか」

 感心したように呟く滄史。セキュリティの方法としては随分アナクロな気もするが、最終的にはこれが一番いいのかもしれない。

 まさしく高級マンションといった対応に、滄史はますます緊張してしまう。

 こうなるとエレベーターの挙動もなんだか違う気がする。これまで乗ってきたエレベーターの中でも静かなうえに早い。

 あっという間に27階に到着した。2人でエレベーターを降りて光矢が住んでいるであろう部屋へ――行く前に、玲奈が足を止めた。

 どうしたのだろうと滄史が振り向くと、玲奈はバッグからスマホを取り出していた。小首をかしげてスマホの画面を見つめている。

「玲奈さん? なにかありましたか?」

 滄史が声をかけると彼女はパッと手のひらを突き出した。待って、ということなのだろう。滄史がその場で立ち尽くすと、玲奈がスマホを耳にあてた。

「もしもしーおつかれさまですー」

 誰かから連絡が来たらしい。口調やおつかれさまという言葉から察するに『Jewel Dream』からかもしれない。

「……はい、はい。えーそうなんですか? あーなるほどぉー」

 聞き耳を立てるのは良くないだろうと判断し、滄史は少し玲奈から離れる。

 まるでホテルのようなマンションの廊下を眺めていると、パタパタと足音が聴こえてきた。

「ごめんなさい久我峰さん。お店から電話かかってきて」

 足音に反応して振り向くと、玲奈がスマホを持ったままこちらへときていた。やはりあれは店からだったようだ。

「いえ、全然。大丈夫です」

「あのーそれでなんですけど、お店からの電話が、今日出勤予定の子が体調崩しちゃったみたいで」

「あらま。それはまた大変ですね」

「そうなんです。それでちょっとヘルプとして出てくれないかって言われちゃって」

 仕方のない話だ。人が運営している以上そういったトラブルは起こるだろう。滄史は空いている手でポリポリとこめかみを掻いた。

 しかしそうなると光矢のお見舞いは中止になる。滄史も玲奈もせっかく彼女のために色々と用意したが、まぁ仕方がない。

「そういうことなら仕方ないですね。光矢さんのお見舞いは――」

「なのでお見舞いは滄史さんお願いします。私の分も届けてあげてください」

 セリフを途中で被されて、さらに滄史にとって予想外の展開が訪れる。

「えっ!? いや、あの、玲奈さん。待ってください。ぼ、僕が行くんですか? 1人で?」

 慌てて確認をとる滄史。だが玲奈の方は特にうろたえることもなく「はい」と答えた。

「だってせっかくここまで来たんですもの。それに、光矢ちゃんってああ見えてすっごく生活能力が低いんです。だから今も絶対大変なことになってますから。様子、見てあげてください」

「いや、そういうのって僕みたいな知り合い程度の人間がやることでは……せめて彼女のご家族とか、他のご友人とかいないんですか?」

「いるじゃないですか。ご友人」

 そう言って玲奈は滄史を見て小首をかしげる。

「それとも、滄史さんは光矢ちゃんのこと、心配じゃないんですか?」

「それは……もちろん、心配ですけど……」

「じゃあ、お願いします。すみません、私もうお店に行かなくちゃなんで」

 ぺこぺこと何度か頭を下げて、玲奈がエレベーターにひとり乗り込む。

 結局、滄史は断りきることができず、マンションの廊下に取り残されてしまった。

「……まじか」

 行くしかないのだろうか。いっそのことこのまま帰ってしまおうかと思った滄史だったが、玲奈からお見舞いの品を預かっているし、もし本当に行かなかったら、後日玲奈が光矢にお見舞いの話をするだろうし、そうしたら大変なことになる。

 それに光矢が心配なのは本当だ。玲奈が言っていた通り生活能力が低いのだとしたら、放ってはおけない。

 振り返って廊下の奥へ視線をやる。ずっと奥の角部屋が10号室だ。

「……よし、行こう」

 覚悟を決めて滄史はゆっくりと歩き出す。

 廊下の奥まで来て、ドアの横に設置されたインターホンを押した。

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