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3-6

「正直なことを言えば、特に何も思わないです。大変そうだなとかは思いますけど。まぁ、本人が好きでやりたいなら別にいいんじゃないかなぁっとくらいですかね」

「ふしだらな仕事だって、思いませんか?」

「そういう風に言われたんですか?」

 滄史が小首をかしげて切り返すと、光矢は少しだけ落ち込んだような表情を見せて、こくりと頷いた。

「まぁそんな風に言ってくる人もいますよ」

 淡白な一言。サッと言葉を吐き出して、まだ納得いっていない顔の光矢を見つめる。

「誰かがそう思っている。それは自分ではどうにもできないですから。気にするなとは言いませんけど、気に病むことはないと思います」

「……滄史さんは言われたことありますか? 小説を書いてて、その、お仕事のこととか」

「小説家なんてくだらないって? うーん、実はあんまりないんですよ。そもそもの話ですけど、僕は光矢さんみたいに不特定多数の人と話をしないので」

 ずっとひとりですから。そう付け加え、滄史は目線を逸らしつつ平坦な笑い声をあげる。

 滄史としてはもっと真摯にしっかりとした答えを贈りたかったのだが、いかんせんそれをするには人生においての経験値が足りなかった。

 担当編集の安達ならこういうとき女性を励ますような言葉がすらすらと出てくるのだろうけど、滄史はそんな器用な人間ではない。

 自分が思ったことしか言葉にすることができないのだ。

「ずっとひとりって、寂しくないですか?」

 今度は滄史が喰らう番だった。光矢の率直な一言に、手を口で隠して考え込む。

「……そうですね。そう思う夜もあります。どうしようもなく寂しくなる夜も。だけど、そんなに寂しくはないですね。ひとりでいることは好きなので」

「私は堪えられないです。ひとりでいると、泣きたくなっちゃいます」

 整った眉をしゅんっと下げて、光矢がうつむく。

 その割には殺風景すぎる家だと思った滄史だったが、すぐに自分の考えがズレていることに気づいた。

 光矢にとってこの家は帰るべき場所じゃないのだろう。ただ眠るためだけの場所なのだ。

 だからこの家にはなにもない。置いても意味がないから。

「なんか、意外ですね」

 思ったことをそのまま口にすると、光矢が小首をかしげて滄史の顔を覗き込んできた。

 どこがという彼女の表情に、滄史は両手を床に置いてふーっと息を吐く。

「光矢さんってもっと底抜けに明るいというか、楽天的な方だと思ってました。失礼ながらですけど」

「おバカだって思ってたんですか?」

「そこまでじゃないです。ただ、なんというか……底が知れないというか、最初の印象とは違う人だと……」

 説明をしながら滄史は思う。出会ったときは光矢の煌びやかで美しい外見に惹かれて、実際会って話すとその屈託のなさに驚いたが、今は違う。

 生まれてから街を出たことがないこと、生活感が著しく欠如した空っぽの部屋、寂しがりやで弱い部分。どこか陰のある雰囲気は最初の印象とは真逆だ。

 人というのはこんなにも多面的な存在なのだと、改めて認識する。

「私生活の私はイメージと違ってガッカリしました?」

 さっきまで滄史の顔を覗いていたのに、今は目を伏せて、ふるふるとその長いまつげを震わせている。声には力がなくて、カフェや店で会ったときの覇気はない。

 まただと、滄史は思った。オフの時間で気が抜けているだけなのかもしれないが、今日の光矢はネガティブで憂いを帯びた雰囲気を醸し出している。

 これもまた、新たな一面だ。少なくとも、滄史にとっては知らない光矢の姿。

「ガッカリなんてしてないですよ。誰だって体調を崩したときは弱気になります。嫌なことも思い出すし、けだるくもなります。まぁ、それでいうと体調を崩したこと自体が、なんというか、イメージと違いましたけど」

「……滄史さんのせいですよ」

「え?」

 思ってもいなかった言葉に滄史はパッと顔をあげる。

 目の前には頬が赤くなった光矢。言われたことを反芻し、次に出てくる言葉を予測して滄史はぱくぱくと口を開け閉めした。

「あの日の夜、滄史さんにあんなこと言われてから、私、ずっと落ち着かないんです。お仕事中もずっと、考えこんじゃって、上手くいかなくて。いつの間にか、体調を崩しちゃいました」

 だから滄史さんのせいなんです。そう言って光矢がジッと見つめてくる。

 時々見せてくるどこか蠱惑的な表情とはまた違う、熱を帯びた視線に滄史は身動きが取れない。

 なにか言わなければ。心の中ではそう思うのだが、なにも言葉が出てこない。体のどこかで言葉が詰まっている。

 そうこうしている間に、光矢がお尻を浮かせて立ち上がり、滄史の隣に座り込む。

 肩と肩が触れ合う距離まで近づいて、滄史は油が切れた機械のように、ギッギッギと首を横に動かした。

 さっき床に置いていた右手に、光矢の左手が触れる。

 そっと重なって、熱が伝わる。手のひらは冷たくて、手の甲は温かくて、かすかに絡まった指は、決してほどけない。

 見つめあうだけで目玉が溶けそうになる。それほどまでに熱い視線。冷房が効いているはずなのに、室内が酷くあつかった。

「滄史さんのせいなんですよ」

 潤いを帯びた唇がなまめかしく蠢く。光矢の顔がさっきよりも近くて、吐息が頬に触れる。

「どう、すれば。ゆるしてくれるんですか?」

 なんとか声を絞りだす。自分で何を言っているのか理解しないまま、本能のままに出た言葉は懇願だった。

 きゅっと、指を掴まれた。柔らかくて、しっとりとした感触を、滄史はただ受け入れることしかできない。

 答えをせかすように顔の角度を変えて光矢の顔を覗き込むと、彼女は蕩けるように目を細めた。

「ゆるさないです。ぜったい」

 光矢が近づいてくる。熱い吐息が口内へと入り込み、滄史はゆっくりとそれを飲み込んで――ピピピピッと電子音が鳴り響いた。

 二人ともビクッと身体を跳ね上げて、同じタイミングで音が聴こえてきた方向へと振り向く。

 寝室のベッドに置かれていた光矢のスマホ。陽の光が入って明るい室内でもなお、ピカピカと光ってその存在を主張している。

 光矢はおずおずと立ち上がり、寝室へ入ってスマホを拾い上げた。

「……もしもし? パパ? どうしたの?」

 着信相手は家族らしい。滄史は盗み聞きするのも良くないと思い、なんとか立ち上がる。

 よろよろとおぼつかない足取りで歩き、光矢が寝室のドアを閉めたのを確認してキッチンへと避難した。

 ピカピカで使用感が一切ないシステムキッチンに手をついて、また床にしゃがみ込む。

 そのまま尻もちをついてふーっと息を吐く。ドッと汗が噴き出して思わず頭を振った。

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