平日のお昼前、滄史はクラブ『Jewel Dream』の前で光矢を待っていた。
待ち合わせ場所はお店の前、集合時間まであと10分。数日前、担当編集である安達のアドバイスのもと選んだ服を身にまとい、そわそわと落ち着きなく店の前のビルをうろうろしている。
早く来過ぎただろうか。普段はノートパソコンを入れるため大きめのリュックだが今日は違う。財布とスマホとハンカチと、口臭対策のためのミントタブレットが入った小さめのショルダーバッグ。どうにも似合っていない気がして、ついベルト部分をいじくっては元の位置に戻し、またずらしては戻すを繰り返す。
「滄史さん」
そろそろ不審者として通報されそうだと思ったところで、後ろから声が聴こえてきた。
光矢の声だ。滄史が安心して振り向くとそこにはやはり彼女が立っていた。
「おはようございます、滄史さん」
夏の陽射しを受けながらニコっと笑顔を浮かべる光矢。こんな明るい時間帯から見る彼女はなんだかやけに煌びやかだと、滄史はなんとも間抜けな感想を抱く。
「お。おはようございます。光矢さん……あぁ、えっと、いつもと違うんですね」
言ってすぐに後悔する。いつもと違うだなんて随分と失礼な物言いだ。
もっとスムーズに褒めなければならないというのに、滄史が自分の口下手を悔やんでいると、光矢がクスッと笑った。
「はい、今日はオフなので」
ぴらっと光矢が服の裾をつまむ。
ハイウエストのワイドパンツにショート丈のカットソー。どちらも同系統の色で統一されていて、靴も同じ色合いの厚底スニーカーだ。バッグだけは馴染みのものなのか、やや使用感のある白のショルダーバッグを肩にかけている。
「それとも、バニーガールの方が良かったですか?」
いたずらっぽく微笑み、光矢が滄史の隣に並ぶ。
美人バニーガールとショッピングモールを並んで歩いている自分の姿を想像し、滄史は思わず苦笑する。
「悪くはないですけど、それはまたの機会にお願いします。あのですね、僕が言いたかったことはその、今日のお洋服、すごく似合っていて素敵ですって言いたかったんです。ほんとに、めちゃくちゃいいです」
恥ずかしさをどうにか抑え込みながら滄史は賛辞の言葉を並べ立てる。数日前に安達から教わった作戦だ。シンプルにいいと言う。
「ふふふっ、そうですか? ありがとうございます。滄史さんも今日はいつもと違うんですね」
喜んでくれたと思いきや、意趣返しとばかりに光矢が滄史のファッションを下から上へと舐めるように観察してくる。
見られている感覚にむずむずしながらも、滄史は「……まぁ」と曖昧に返事をした。
確かに今日の自分はいつもと違う。
原稿を書くためカフェ『夜光猫』へ行くときはカジュアルというよりも単純に粗雑な格好をしている。
ベルトレスのパンツに夏だろうと冬だろうと着ているアンダーウェアの半袖シャツ、夏はその上にモノトーンの半袖パーカーを着るだけ。冬は長袖パーカーになり、その上にもう1枚羽織るだけ。
ファッションに一切の興味がないわけではないが、誰かに見せるわけでもないのでどうでもいいというのが本音だ。
だけど今日は違う。曲がりなりにも意中の女性と1対1でのお出かけ。つまるところデートである。適当な恰好をするわけにはいかない。
「せっかくの機会なので、張り切って背伸びしました」
「あははっ、自分から言っちゃうんだ。でもいいと思います。素敵ですよ」
「あー……ありがとうございます」
恭しく頭を下げる滄史に、光矢がクスクスと笑う。
本当は「光矢さんの方が素敵ですよ」なんて軽妙に返したかったが、残念ながらそれができる経験値も度胸も足りていなかった。
ひとまず照れてお礼を言って、光矢を見つめる。
普段はハイヒールを履いているが、今日は厚底とはいえスニーカーだ。いつもより若干小さな感じがするのは気のせいではないだろう。
普段とは違うカジュアルな私服姿。メイクの雰囲気も違って、大人っぽい女性というよりは、瑞々しくて溌溂とした可愛らしい女の子だ。
こんな綺麗で可愛い女の子とこれから2人で出掛けるなんて――今になってとんでもないことだと認識し、滄史は背中にじんわりと汗が浮かぶのを感じ取った。
「じゃあ、行きましょうか。光矢さん」
「はい、滄史さん」
なんとか言葉を形にして、滄史はゆっくりと動き出す。
光矢よりも背が高いので、普段のペースで歩けば置いていってしまうだろう。歩幅を狭くして、常に彼女が隣にいるよう心がける。
「ふぅ、今日も暑いですね~」
「えぇほんとに。ぶっ倒れてもおかしくないですよ」
光矢と当たり障りのない会話をしながらも、喉が渇きそうだと滄史は心の中でぼやいた。