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3-9

 目的の映画は戦争ものでもあり、ラブロマンスでもあった。

 戦争へ行く男と彼を待つ女――と思ったら女はいつの間にか友と一緒に拡大する戦線へと加わり、最前線で負傷兵を運び出す軍医となる。戦場で再会した男女は反発したり協力したりしながら、愛を育み、戦争という狂気の中を生き抜いていく。

 一瞬だけ、初デートでラブロマンスとはいえ戦争ものはどうなんだろうと滄史は思ったが、とはいえ光矢からの希望だ。渋るわけにもいかず映画を観たのだが――

「滄史さん? 大丈夫ですか?」

 上映後、滄史は映画館の中にある丸いソファに座り、くーっと静かに涙を流していた。

 泣くつもりなんてちっともなかったのに、今滄史はハンカチで目元を覆い、零れ落ちてくる涙を受け止めている。

「だ、大丈夫です。その、思ってた以上に、感動しちゃって」

 グッと残っていた涙を拭い取り、滄史は顔をあげる。すぐ隣に光矢が座っていて、彼女も少しだけ目が赤かった。

「分かります。すっごい良かったですよね」

「いやぁーその、結構堪えてはいたんですけど、エンディングでその、実際の写真が出てきたところでもう……無理でした」

 すんっと鼻をすすり、ハンカチをしまう。そんな滄史の姿を見て光矢はクスッと笑う。

「私も泣いちゃいました。途中から泣きそう~って思ってたんですけど、あのラスト付近の画とかすごい綺麗で、もう我慢できなくって」

「……そうですね、すごい、綺麗でした」

 光矢の感想に同意しながらも、滄史の頭の中は別のシーンを思い描いていた。

 映画の中盤、女が負傷した男を背負って戦場を歩く。それまで激しい砲撃音や爆発音、銃声に見舞われていたというのに、そのときだけは女が故郷でよく聴いていたクラシック音楽が流れる。

 緊迫感に包まれながらも、どこか感動的で、迫力のあるシーンだった。滄史もドキドキしながら見入っていたが、ふと、隣にいる光矢が気になって視線だけを動かした。

 彼女はゆったりと椅子に深く座りながらも、その瞳はジッとスクリーンだけを見ていた。両手を合わせて指先を唇に当てて、息をするのも忘れて見入っている。

 そして、男を背負った女が味方の塹壕へと辿り着いたその瞬間、味方が駆け寄り、音楽がひっそりと消えていく。

 そのシーンを観て、光矢は大きな瞳から静かに涙を流していたのだ。鼻をすすることもせず、しゃくりあげることもなく、彼女は静かに泣いていた。

 薄暗い箱の中で、人知れず涙を流すその姿を見てしまい、滄史はあふれ出る感情が溶けてひとつになるのを感じる。

 ただ綺麗だと、そう思った。それだけだ。

 いつもなら、自分の頭の中にある単語帳を引っ張り出してその美しさを形容しようとするが、あのときばかりはなにも思い浮かばなかった。

「でも意外でした。滄史さんもああいうの観て泣いちゃったりするんですね」

 ひとまず涙もおさまったところで光矢がいたずらっぽく笑い、座ったまま身を乗り出す。

「冷血人間だと思ってました?」

 あえて笑いまじりに酷い言い方をすると、光矢は「そんな」と言って手を太ももに乗せてきゅっと腕を寄せる。

「そんなことは思ってないですよ? でも、小説家さんだから、もっとこう、物語の裏を読んだり、構造の粗を見抜いたりするのかなぁって」

「あーたしかにそんなことを考えはしますけど、でも話自体は素直に楽しみますよ。感動モノは必ず泣きますし」

「ふふふっ、そうなんですね」

 指先で口元を隠しながら上品に笑う光矢。普段とはまた違う滄史の姿を見て、彼女は幻滅しただろうか。

 滄史は照れを隠すように膝に肘をついて口を手で覆い、横目で光矢を見た。

「心が揺れるようなことがあると、すぐに泣いちゃうんです。恥ずかしいですよ」

「そうですか? そんなことないと思いますけど」

「すぐ泣くことが?」

「はい、滄史さんの魅力だと思います」

 温かな笑みを浮かべて光矢が肯定してくれる。

 そんな風に言ってくれたのは初めてだったので、滄史はどうすればいいか分からず「あー……」とか「うーん」とか言いながら何度か頷き、最後には――

「ありがとう、ございます」

 とだけ言って口をムズムズさせた。

 仕事柄なのだろうか、光矢は人を褒めるのが上手い。ネガティブを身に纏って生活をしている滄史だが、彼女の言葉にかかれば自分にもいいところがあって、素敵なことができるんじゃないかと錯覚してしまう。

 だが実際は違う。滄史がすごいのではなく、光矢がすごいのだ。魅力的なのは光矢だ。滄史はあくまで彼女の恩恵を享受しているに過ぎないのだから。

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