『それで? どうだったんだデートは』
パソコンの画面にはにやにやと笑う安達の顔が映っていた。
光矢とのデートも無事終わって数日後、担当編集である安達から突然連絡がきて、ボイスチャットを繋げたのだが、開口一番ずけずけと訊ねてきたのだ。
滄史は相手に顔が見えていないのをいいことに、腕を組んでうんざりといった顔をした。
「別に、普通ですよ。映画を観て、お茶をして、買い物して。何事もなく終わりました」
『そうかぁ~? 私が聞いた話と違うなぁ』
「なにを聞いたっていうんですか」
『楽しそうに腕を組みながら歩いて、お互いにぬいぐるみも贈りあったって』
思わず口をへの字にする滄史。なぜ当事者でもない安達がそれを知っているのか。
しかし大体の推測はつく。おそらく光矢の同僚である玲奈が話を聞きだし、そこから安達へと回ってきたのだろう。
『向こうからもらったぬいぐるみ、今あるのか?』
「……まぁ、置いてますよ。ちゃんと目につくとこに」
『なんだかんだで気に入ってるじゃないか。ちなみに向こうはベッドに置いてるらしいぞ』
「ベッド?」
『毎日一緒に寝ているそうだ』
それはどうなんだろうと、滄史は疑問を抱く。
あれは確か『滄史だと思って大事にする』と言って買ったものだ。つまるところ滄史の分身である。
それを抱いて寝ているということは、毎日滄史と一緒に――ビシッと勢いよく顔を振って浮かび上がってきた妄想を振り払った。
「あっぶねー……」
安達に聞こえないよう呟く。都合のいい妄想だ。馬鹿馬鹿し過ぎて笑えない。
自分はいつからこんな幸せな妄想なんてするようになったのか。
これではいけない。『飢え』が足りない。こんなほわほわした気持ちでは強い物語が書けない。
せっかく本を出せるのだ。もっと気合を入れなければ。
『そうだ、ついでではあるがこの前発売した1巻、どうだったと思う?』
勢いよく鼻で息を抜き、気持ちを整えていると、画面の向こうからいたずらっぽい声色で安達が訊ねてきた。
以前編集会議を通って文庫本の発売が決まった作品だ。滄史にとっては初めてのコメディチックな恋愛もの。
ついでだなんて。まさか本当に聞きたかったのは光矢とのデートのことだったのか。滄史は早くも気が抜けそうになる。
「どうだったって、僕が分かるのはネットの反応くらいですよ。具体的な数字はさすがに」
『まぁこっちも具体的な数字はまだ分からないんだがな。とはいえ、かなり順調だ。このペースならほとんど……いや、もしかしたら初版分は全部なくなるんじゃないか』
「そ、そんなにですか? それはまた、なんというか……」
思ってもいなかった嬉しい報せに滄史は素直に喜ぶことができない。
自分が書いた本が売れているのだ。嬉しいに決まっているのだがどうにも正面から受け止めきれない。ここまでずっとぼんやりと上手くいかない人生だったから良い報せに未だ慣れていないのだ。
編集会議を通ったことも驚きだし、その後刊行された作品の売れ行きが好調だなんて、出来すぎている。
ここで手放しに喜んだら手ひどいしっぺ返しを喰らう。これまでと同じ流れだ。
だからぬか喜びはできない。しかし担当編集である安達はやはり嬉しそうだった。画面に映っている顔は血色がよく、自信に満ち溢れている。
『まぁこれも私の根回しと宣伝のおかげということだな』
「……それはまぁ、本当にそうですけど」
『あれだぞ? 滄史の話が面白いのは前提としてってことだぞ?』
「……だといいですけど」
ははっと渇いた笑い声を絞りだし、黙り込む滄史。
実際、安達の言うことは正しい。本が売れるかどうかは宣伝にかかっている。
自分がどれだけ面白い小説を書いたとしても、誰の目にも留まらなければなんの意味もない。
今の時代、SNSでの宣伝はもちろん、動画サイトや特設サイト、駅中や街頭での広告なんてものもある。
本当に売りたいのならば、手段を選ばず、回数も躊躇せず、徹底的にやるべきなのだ。
そしてそれを全部やってくれているのが安達だ。滄史はただ小説を書いて、直して、また書いて、直してを繰り返しているだけ。
話の良し悪しはあまり関係ない。どれだけ宣伝に力を入れたかで売れるのだ。
少なくとも、滄史はそう思っている。なにより大事なのは宣伝なのだと。
『この調子で次も頼むぞ滄史。お前の才能はなにより私が信じているんだからな』
安達が神妙な顔で告げる。思わぬところでプレッシャーをかけられ、滄史は相槌をうってゆっくりと首を横に振った。
「そう言ってくれるのは地球上で安達さんだけなので、すごくありがたいですけど。まぁどうにか頑張りますよ」
『いい心がけだ。そうだ、お前次の話とは考えているのか?』
「え? 次の話?」
『今回の話が無事に完結したら次は何を書こうかなーってやつだよ。なにかないのか?』
編集者からの催促に滄史はヒヤッとして目を泳がせる。
滄史はあまり器用な方ではない。ひとつの作品を書いている最中に別の作品に注力だなんて巧みなことはできない。
そんな状態で次の作品だなんて。どう考えても、どっちも中途半端になるに決まってる。
とはいえできないからといって素直に無理と答えられるほど滄史は小説家としてのキャリを積んでいない。
ここはたとえできないとしてもできると無理を通すべきだろう。
「そうですね、一応考えている話は……あるんですけども」
どうにか答えながら滄史は言葉を濁す。
次の話だなんて、まったく考えていない。
いや、全く考えていないなんてことはないけれど、それでも、今書いている話が終わったらすぐにこれをというものがないのだ。
「まだ、アイデア段階なので、プロットまではどうも……」
『んーそうか。まぁまぁ、今のやつも始まったばかりだしな。今はそっちに集中しておいた方がいいな』
滄史の言葉が詰まっていることを安達は早々に察してくれたのか。分かりやすく助け舟を出してくれる。
本当ならここでそんなことはと言いたかったが、結局滄史の口から出てきたのは「すいません……」というシンプルな謝罪の言葉だけだった。
『いや、いいんだ。気にするな。光矢ちゃんと上手くやれよ』
ついでみたいに光矢の名前を出され滄史はギクッとしてしまう。
視界の端、作業用デスクの上で鎮座している黒いウサギのぬいぐるみを見つめる。
バニーガール姿の光矢が浮かび上がり、滄史を見て微笑んだ。