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第4話

4-1

 久我峰滄史は再び窮地に陥っていた。

 企画会議も通り、文庫本として発売された新刊も売り上げは上々で、恐ろしいくらいとんとん拍子でことが進んでいる中、明確に追い詰められている。

 どれだけ考えても次の話が思いつかない。

 滄史は小説家としてどうにか本を出せてはいるが、ヒット作というものがない。デビューしたときに書いたものだって、次が出せるぎりぎりのラインを常にウロウロして、ろうそくの火が消えるように、ひっそりと終わったのだ。

 発売中のラブコメ小説だって、この勢いがいつまで続くか分からない。これが安定して売れていき、漫画化、アニメ化、ドラマ化、映画化、舞台化などなど、様々な方面でのメディアミックスが行われたのならば、ひとまず安心はできるがそれでも永遠に作品が売れ続けるということはない。少なくとも滄史にはそんな実力はない。

 そよ風を受けて優雅に大空を飛ぶ大天才の先輩作家達とは違い、滄史は自前の無骨なエンジンしか持ち合わせていない。血反吐を吐いてでもエンジンを稼働させ、どうにか飛び続けるしかないのだ。

 そんな必死の立ち漕ぎ人生を送る滄史にとって、作品が多少ウケている今だからこそ、次の準備をする必要がある。

 すなわち、次の作品だ。今の作品の貯蓄を食い潰すどころか、貯蓄している段階から『次』を考えなければならない。

 常にこれから取り組むものがダメだった時のことを考え、行動する――そう思って次の作品を考えていたのだが。

「……だめだ。全然思いつかん」

 誰にも聞こえない声量で呟く滄史。時刻は21時、近所にある夜から朝方まで営業しているカフェ『夜光猫』のカウンター席で頭を抱える。

 刊行中のラブコメ小説に関しては問題ない。そもそもある程度終わらせ方は決めているし、原稿も問題なく進められている。

 問題があるのはもうひとつ、次回作についてだ。

 もう何日も考え込んではいるが、これだというものが出てこない。

 無論、ただうんうん唸って考え込んでいるわけではない。経験上こういうときは大抵アイデアの種がないのだ。

 滄史の場合『こういう話を書きたい』という強い想い、それに相性がいい物語の要素――この2つを組み合わせて物語を作るのだが、それが一切出てこない。

 絞りだしてもなにも出てこない。なにを考えても自分で納得できるような面白い物語にならず、先ほどからずっと堂々巡りだ。

「……やっぱ今はこっちに集中した方がいいかな」

 アプリケーションを切り替えて、刊行中のラブコメ小説の原稿データを眺める。

 次の作品が思い浮かばず不調な今、できないことに時間を割き続けるのは良くない。

 とにかく今は自分ができることを全力で取り組む。そう思って気合を入れなおす滄史だったが――カランカランっと音が鳴り、店のドアが開かれた。

 ついつい視線が入口へと向かう。黒のハイヒール、薄いデニールの黒タイツ、淡いベージュのサマージャケットがふわりと揺れる。

 店に現れたのはバニーガールの光矢だった。休憩時間なのだろう。店員の女性と一言二言やりとりして、いつもの席、滄史の後ろのカウンター席へと向かう。

「あっ、滄史さん」

 その前に、滄史がいることに気づいてぱぁっと目を細めて笑った。

 何度見てもドキッとしてしまう眩しい笑顔に滄史は反射的に目を見開き、瞬きをして軽く手をあげる。

「どうも、こんばんは光矢さん」

「こんばんは。滄史さん」

 ひとまず挨拶をしてそのまま席に戻る――と思ったら、光矢は持っている小さなバッグを開けて、中をゴソゴソと漁りだした。

 なんだろうと思い、身体を向けたまま待っていると、光矢がパッとバッグから本を出す。

「じゃーん、買いましたぁ」

 そういって彼女が出して見せてきたのは、滄史が書いた本だった。現在刊行中のラブコメ小説だ。

 滄史は「あっ、あぁ!」となんともわざとらしく驚いて頷く。

「買ってくれたんですね。ありがとうございます」

「もちろんです。クラブの皆にも面白いから買って読んでって宣伝しました」

「そ、それはなんというか……少し恥ずかしいですけど、ありがとうございます」

「私も今読んでる最中なので、終わったら感想言いますね」

 形のいい唇をむにぃっと曲げて、光矢が本をバッグにしまう。

 知り合いに本を読まれている状況はなんとも気恥ずかしいが、それでも身近に読者がいるという喜びは代えがたいものだ。滄史は照れを隠すように膝に手をついて「ありがとうございます」という言葉と共に何度も頭を下げる。

 そのまま光矢が席に戻って注文をし始めたので、滄史も前に向き直り、再び原稿を進める作業へ取り掛かった。

「あっ、そうだ! 滄史さん」

 カタカタとキーボードを打鍵していると、不意に後ろから光矢の声が聴こえてきた。

 作業を中断して振り向くと、光矢がスマホを持ってこちらを向いている。

「見てくださいこれ。この前買ったんです」

 そう言って光矢はスマホを差し出して画面を見せてきた。

 逆さまに差し出されたスマホを受け取り、画面を眺める。

 写っているのは光矢の部屋だ。高級マンションの高層階にあるやけに広い部屋。

 以前光矢が熱を出して寝込んだときにお見舞いとして訪れたが、そのときリビングにはなにもなく怖いくらいに空虚な空間だった。

 しかし、この前光矢と出掛けたとき彼女は家具を買った。リビングで快適に過ごせるようソファとかローテーブルとかクッションとか、およそ普通の人らしい生活家具を取り揃えたのだが。

「これは……プロジェクターですか?」

 以前見た部屋の写真との違い、それはローテーブルになにか機械が乗っていることだ。

「わっ、すごい。よく分かりましたね。分かりますか?」

 驚いた調子で光矢がぐいっと身を乗り出してくる。ふわりと髪が揺れて彼女の匂いが鼻腔をくすぐる。

 おまけに上体だけ身を乗り出してきたからさらけ出している胸元がさらに強調され、滄史は慌てて目線をあげた。

「えぇ、まぁ。その、テーブルの上のやつが本体ですよね。あと、奥にあるのがスクリーンですかね」

「そうなんです。スクリーンの方は下からこう引き上げるタイプのやつで」

「あぁ、引き上げ式、自立式でしたっけ? 吊り下げじゃないんですね」

「はい。私背が低いので吊り下げ式だと届かないかもって思って」

 少しだけ不満げに説明する光矢。吊り下げ式でも紐とかで引っ張るのだから背が低くても問題はないと思う滄史だったが、話の腰を折らないためにも言わないことにした。

「なるほど、その理由だと引き上げ式じゃ一番上まで上げきれないんじゃないんですか?」

「そうなんです! だからこうぐいってやらなきゃいけなくって」

 座ったままで光矢が腕を引き上げるジェスチャーをする。

 広い部屋で背の低い光矢が頑張ってスクリーンを引き上げている光景を想像し、滄史はプッと笑った。

「あぁっ、滄史さん笑った。今笑いました?」

「いや、今のは……はい、笑っちゃいました。すいません」

「もうっ、大変なんですよ」

「そうだと思いますけど。でもどうして急にプロジェクター買ったんですか? テレビありませんでしたっけ?」

 なんとなく気になっていたことを聞くと、光矢はぷくっと膨らませていた頬をしぼめ、恥ずかしそうに俯く。

 なにか変なことを訊いてしまったのだろうか。滄史が謝るべきかどうか考えていると、不意に、指先がなにかに触れた。

 困惑する滄史の指に光矢が指を絡めてきたのだ。

 細くて長い指、柔らかくて、キズも汚れもないペールオレンジの指先が、滄史の指をなぞる。

「滄史さんと、映画を観たくて……買ったんです」

 ぽそりと呟いたその言葉に、滄史は身体を固くした。家具を買った光矢。人間らしい暮らしを手に入れた彼女。先ほど見せてくれた画像に、2人で並んで座って映画を観ている光景を幻視した。

「その……今度、うちにきてなにか観ませんか? 一緒に」

 恥ずかしがりながらも、光矢は躊躇することなくグイグイ攻めてくる。

 一方滄史は慌ててばかりで口をパクパクと動かすだけで声が出てこない。

「あっ、あの。映画だけじゃなくて、その、色々遊べたらって思うんですけど、その日は私、頑張ってお料理もするので、ぜひ滄史さんに食べてほしいんです。いつもお世話になってますし、その……予定さえあえば……」

「……わっ、わかりました。今度、その、時間を……作るので」

 かろうじて出せた返事に、光矢はホッとしたような顔を見せる。

 それじゃあまた今度連絡します。とだけ言って、話は終わった。

 すでに光矢は滄史に背中を向けてカフェラテを飲んでいて、滄史は密かに胸をなでおろす。

 いきなり家にお呼ばれするなんて、いつ呼び出されてもいいように今日のうちから準備をしておかなければ。

 滄史は光矢とリビングでくつろいでいる姿を想像し、フッとほくそ笑む。

 しかしそこでの過ごし方ばかりを考えてしまい、原稿はそれ以上進まなかった。

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