久我峰滄史には友達がいない。
18歳のときに東京へ出てきて専門学校へ入り、一時的に友達はできたもののそこを卒業してから疎遠となり、また1人になった。
それでも担当編集の安達に拾われ、なんとか人と関わる生活をしてきたが結局いざというとき気軽に頼れる人はいない。
ゆえに逃げるといっても場所は限られてくる。
光矢からできるだけ離れるために滄史が選んだのは、東京からはるか遠くの地だった。
「……変わんないなここは」
バスから降りてひとりになったところで滄史は呆れたように呟く。
6年前まで住んでいた島だ。東京から飛行機、そこから高速船に乗ってさらにバスで数十分ほどでようやく記憶にある町並みが見えてきた。
かつての記憶と大して変わっていない。滄史が育ったままだ。
舗装されてはいるもののあちこちキズができた道路を歩く。
あれほど帰るのを嫌がっていたのに今滄史は故郷にいる。
ただ逃げてしまいたいだけだった。そんなことのためだけに故郷へと帰ってきた。
しかしここならば滄史の数少ない知り合いでも分からないだろう。しばらくひとりになれるはずだ。
「あれ……家が、増殖してる?」
実家に着いたところで、滄史は怪訝な表情で目の前の建物を見上げた。
滄史が高校を卒業するまで住んでいたこの家は、古き良き日本家屋だ。
ところどころリノベーションされている――どころか、隣の庭だったスペースに今風のシックな外観の一軒家が建てられている。
隣家にしてはあまりにも近すぎる気もする。というかほぼ接しているようで気軽に出入りできそうだ。
今一度表札を見る。久我峰と書かれている。問題ない。
「とりあえず入ってみるか」
呟いて敷地内へと入る滄史。インターホンを押すとお決まりの電子音が鳴って数秒、ガチャっと音が聴こえてドアが開かれる。
小さな女の子がドアノブを掴んだまま、ジッと滄史を見ていた。
知らない子供が実家にいる。思ってもいなかった展開に滄史は言葉が出てこない。
髪の短い小さな女の子――5歳程度に見える少女もまた、知らない人が家を尋ねてきたことに驚き放心している。
少女と青年の奇妙な沈黙が流れ、やがて少女の方がゆっくりと首を傾けて口を開いた。
「……だれですか?」
お前こそ誰だよ。なんて言葉が出そうになる滄史だったが、グッと抑え込んだ。
見た目からして3歳から5歳程度だろうか。さすがに妹ということはないはず。
単純に滄史の兄か姉の娘、もしかしたら弟の子供という可能性だってある。
「おばあちゃーん、知らないおじさんいるー」
様々な可能性を探っていると、小さな女の子が後ろを向き、声を伸ばして誰かを呼んだ。
おばあちゃん、と言っていた。母ではなく祖母を呼んだ。滄史の推測が正しければ出てくるのはおそらく母だろう。
「はいはい、どうしたのみおんちゃん……ん? えっと……」
「えっと、ただいま」
ポカンと滄史の母がその場に立ち尽くす。
右へ左へと身体を揺らし、滄史の顔を覗き込み、やがておずおずと口を開いた。
「……滄史?」
「はい、滄史です」
6年ぶりに会った母との会話はなんとも淡白なものだった。目の前で向かい合って話しているというのに電話越しのような距離感がある。
そして滄史の母は息子の当たり前のようなその態度にはぁっと息を吐き、足元にいる女の子の頭を撫でた。
女の子はくすぐったそうに目を細めて笑い、パタパタと足音をたてて部屋の奥へと駆けていく。
「あんた、6年間どこでなにしてたの」
「学校に行って、卒業して、バイトして、小説を書いてた。今も書いてるよ」
「専門学校? 卒業できたの?」
「特に問題なく。で、今は小説を書いて生活してる」
「小説を書いてるって……どこで?」
「東京で」
言われたことしか答えないでいると、母は難しい顔をして口を閉じる。
「とりあえず、入ってもいいですか?」
「え? あぁ、そうだった。ほら、いいよ」
母の了承も得たところで、滄史は実家へと足を踏み入れた。