故郷に帰ってきて次の日、特にやることもないので、滄史は次の作品の原案を考えるために外へ出ることにした。
家の周りを散策しながら考えをまとめる。もしくは思いつくまで歩く。ここなら光矢と偶然出会うなんてこともないだろう。
昨夜は大変だった。滄史が6年ぶりに帰ってきたからといってわざわざ兄や姉が現れ、もう1人の兄からも母のスマホ越しに対面させられた。
弟からは刊行した作品のサインを書かせられ、兄である大志の娘からは『知らないオジサン』を見るような目で警戒された。実際間違ってはない。
両親からはこの6年のことを質問攻めに遭い、同時進行であれも食べろこれも食べろと勧められた。
これまでなるべく人と関わらない生活をしていたというのに、帰ってしまえばこれだ。外へ出たのも気疲れしそうだったからなのだが――
「おっ、久我峰さんのとこの!」
日焼けした体格のいい男性が突然声をかけてきた。突然の挨拶に滄史はすぐに対応できず「どうも、ご無沙汰してます」とどうにか対応する。
「久しぶりだねー作家になったんだって? 芥川賞だっけ?」
「いえ、そんな大層なものじゃ……ささやかなやつです」
「そうなの? でもすごいね! 作家だろ? 今度はここを舞台にしてさ! 1本書いてみてよ!」
「そ、そうですね。やりたいなぁとは思いますけど……」
「いやぁすごいよほんと! 頑張って! 和真さんにもよろしく!」
バシィッと最後に背中を叩かれ、男性が去っていく。
これでもう3回目だ。知らない人に声をかけられた。しかもなぜか向こうは滄史が小説家になったことを知っているらしく、雑にからかってくる。
最後に父の名前が出てきたということは、父の知り合いなのだろう。息子のパーソナルな情報なんて、たとえ特異なものでなくても田舎ならすぐに伝播してしまう。
「確かこういうのも嫌だったから出たんだっけな……」
うんざりといった調子でため息を吐き、滄史は再び歩き始める。
話はやっぱり思いつかない。光矢を思い出す頻度は減ったが、だからといってすぐに妙案が思い浮かぶわけではない。
海岸沿いの道を歩いて、そこから離れて林道近くを歩き、段々としんどくなってくる。
東京にいたときは自宅からカフェ『夜光猫』までの往復ばかりだったので、こんなに歩くのは久しぶりだった。
「少し、休もう」
視界の奥に町の定食屋が見えてくる。できれば一休みしつつ作業ができる場所がよかったが、ここは田舎だ。贅沢は言ってられない。
それにもう足が限界だった。夏の茹だるような暑さに辟易しながら滄史は定食屋の古びた木製ドアを開いた。
「いらっしゃいませー」
少し高めで、ゆったりとした声の女性が迎えてくれる。滄史の顔を見ても特に何も言わず「空いてる席にどうぞー」と言って店の奥へと引っ込む。
こういうものだよなと滄史はひとり納得しながらカウンターの席に座る。
荷物を足元に置いて、ふーっと息を吐くと、先ほどの女性が再び現れ、滄史の横に水が入ったグラスを置く。
「決まったら呼んでくださいねー」
間延びした声でそう言われ、滄史は「どうも」とだけ言って水を飲む。
疲れた身体に水分が行き渡り、じんわりと汗が浮かんでくる。目の前にある油染みがついたメニューを手に取って眺めた。