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4-7

 少し早めの昼食は思っていたよりも多かったが、どうにか食べられた。

 かなり繁盛しているのか、地元の人間以外もやってくる。というより大半が観光客だ。

 いくら地域に根差した定食屋とはいえ、食べ終わった後長居するのは良くないだろう。滄史は最後に1杯の水を飲み干し、そそくさと支払いを済ませて店を出る。

 帰るにはまだ早い時間だ。とはいえこの炎天下でダラダラと歩くつもりは毛頭ない。

 どこか時間を潰せる場所はないものか。かつて住んでいた土地だというのに、ノロノロと彷徨っている自分を滑稽に思いながら滄史は仕方なく歩き出して――ガッとなにかにぶつかった。

 定食屋を出て角に突き当たったところだ。びっくりして止まると、そこには小さな車輪があり、視線をあげると子供が窮屈そうに寝ている。

 ベビーカーだ。さらに視線をあげると、当然ながら母親らしき女性もいた。

「わっ、すみません」

「いえ、全然、大丈夫……です」

 聴き覚えのあるその声に、滄史は思わず声がしぼむ。

 今一度、ベビーカーを掴んでいる女性を見る。女性にしては大きい手、高い背丈、ガッシリした肩幅。茶髪寄りの黒髪くせっ毛が首元でうねっている。

 見覚えのあるその姿に滄史は絶句して、1歩後ろへと下がった。

 そんな滄史のリアクションを見て女性は怪訝な表情を浮かべる。

 小首をかしげて眉間に皺をよせ、滄史を覗き込み――やがて「あぁっ」と声をあげた。

「もしかして久我峰? 久我峰じゃない? うわっ、なつかしい!」

 驚いて目を丸くする女性。ベビーカーを掴んだまま身を乗り出して「うそ~」なんて言っている。

「え? 憶えてる? 私、ほら、中学まで一緒だったでしょ」

「……はい、憶えてます。南美代さん、ですよね?」

「なんで敬語なんだよ! あっはっは! 憶えてるし!」

 忘れるわけがない。滄史にとって初恋の女性だった。

 南美代、久我峰滄史の第1のトラウマだ。

 同じ土地で育ち、小学生のころからずっと同じクラスで、仲が良かったわけじゃないけれど、それでも普通に話す程度には仲が良かった。

 でもそれだけ。本当にそれだけだ。そんなつながりを滄史はなぜか特別に思っていたけれど、南美代は当然ながらそう思ってはいなくて、知り合い程度の存在だったらしい。

『え? マジで言ってる? あっはっは! 久我峰かー』

 だから、中学を卒業するとき、滄史は思い切って告白したのだが――

『ごめんごめん、マジでないわ。そもそも、そーゆう関係じゃなくない?』

 文字通り、一笑に付す形で終わった。

 笑い交じり、冗談交じりの口調であしらわれ、視界がグラグラと歪みはじめたところで彼女は友達に呼ばれ、一切のためらいもなく行ってしまったのだ。

 時間にして1分程度、いや、下手すれば1分も経ってなかったかもしれない。

 気づけば滄史はひとり階段の踊り場で立ち尽くし、わらわらと人が降りてきたところでおずおずと動き出した。

 家までの道のりを自転車で走る。頭の中で彼女の言葉がぐるぐると回る。

 そーゆう関係じゃなくない――つまるところ好きとか嫌いとか、それ以前の問題なのだ。

 友達としてしか思えないだとか、付き合うまではないとか、そうゆう残念賞じゃなくて、参加資格そのものがなかった。

 それなりに喋って、それなりに仲が良くて、なんて思っていたのは滄史だけで、向こうはそうじゃない。

 とんだ勘違いだ。恥ずかしくて情けなくて、滄史は家に帰るなり自室で布団をかぶり体調が悪いと嘘をついて引きこもった。

 日課にしていた執筆も進まず、春休みが終わるころにようやく立ち直れた。

 そんな思い出の人が今目の前に立っている。しかも向こうもこちらを憶えているようで、のんきに「なつかしー」なんて言っているのだ。

「え、中学卒業してから会ってなかったよね? あっ、でも高校のときに何回か会ったか。今もこっちに住んでるの?」

 南美代は過去の告白なんて記憶にないようで、遠慮なく滄史へ畳みかけてくる。

 あのときのキズはとっくになくなったと思っていたのに、奥底からズキッと痛みだす。

「いえ、今は東京にいて……その、帰ってきたんですけど」

「あ、そうなんだ。東京? はぁ~都会の人じゃん」

「そんなことは……まぁでも、まぁ、普通に、こっちにはちょっと用があって帰ってきただけで」

 口角がヒクついている。滄史は今自分がどんな顔をしているのだろうかと思いながらも、どうにか彼女と会話を進めていく。

「そっかそっか、でもいいなぁ、東京か。修学旅行以来行ってないかも」

「……まぁ、特に用事がなければ行かないと思うけど。えっと……そちらも、久しぶりの帰省?」

「え? なんで分かったの? すごっ」

 感嘆する南美代に滄史は「まぁまぁ」なんて言って曖昧に頷く。

 先ほど滄史に今もこっちに住んでいるのかと言ってきた。彼女がもしずっとここにいるなら出てこない質問だ。

 だが、そんなことよりも滄史が気になっているのは、彼女の今だった。

 ベビーカーにはすやすやと眠っている小さな男の子、1歳から2歳程度だろうか。十中八九彼女の子供だろう。

 だが左手の薬指を見るとなにもない。それに帰省なのかという滄史の問いかけになんで分かったのかと驚いていた。

 結論、島を出て結婚をして、子供も産んだが離婚してこっちへ戻ってきた――滄史は頭の中で推察し、複雑な気分に見舞われる。

 久しぶりの再会なのだから当然だが、あまりにも情報量が多い。なにか気の利いた言葉をかけることなどできるはずもなく、滄史は黙り込んでしまう。

 さらに向こうもあまり探ってほしくないのか、どこか気まずそうな表情でくせのついた髪を弄っている。

「えっと、じゃあ、僕はこれで」

「あっ、うん。じゃあね。またなんかあったら、うん」

 ぎこちない会話をして別れる。滄史は振り返ることなく歩き、額に伝ってきた汗をグイっと拭った。

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