しばらく無心で歩いていると滄史は幼いころに何度か訪れた公園に辿り着いた。
かつてあった遊具は殆どが撤去されていて、ほとんど運動公園の様相だ。
しかしよくよく見てみると奥の方にいくつか遊具が残っていて、周りには小さな子供達とその親達がいた。
不必要に近づかない方がいいので、滄史はとりあえず離れた場所にあるベンチへ座る。
途中で買ったスポーツドリンクを取り出して、ぐーっと飲む。
少しだけぬるくなった液体が喉を通り過ぎ、滄史は背もたれに寄りかかって一息つく。
モヤモヤとした気持ちが渦巻いている。歩きスマホは危ないからと自分へ言い聞かせて調べていなかったことが今なら調べることができる。
だけど調べたくはない。でも気になる。相反する感情に振り回され、結局、スマホを取り出した。
SNSアプリを開き、検索バーにユーザーネームを入力する。
「名前、変わってないんだな」
同人活動をしていたときに知り合った顔も知らない女性『ポリエステルの火鍋』は今も同じ名前で活動していた。
さすがにかつてハマっていたジャンルとはまた違う作品ではあったが、それでも知り合ったときとあまり変わらない熱量で絵を描いたり、グッズを買ったり、ゲームのスクリーンショットが上げられている。
表面上ではあまり変わっていない彼女を見て、滄史はどこか安心してしまう。
南美代にフラれたキズもそれなりに癒えてきて、色彩の少ない日常を送っていた高校時代。滄史はぼんやりと思い描いていた小説家になりたいという夢を手に入れるため、本格的に長編小説を書き始めていた。
同時に、様々な可能性探るために、インターネットの無料投稿サイトで自作の小説をちまちまと投稿していた。ポリエステルの火鍋と出会ったのはそのころである。
滄史が書いた小説を気に入り、感想も送ってくれたしSNSでやりとりもしてボイスチャットのコミュニティにも誘ってくれた。
最初こそ警戒していたが、やりとりを重ねるうちに滄史は彼女に淡い恋心を抱くようになってしまった。顔も名前も知らない人だというのに。
この人なら自分のことを分かってもらえる――なんて根拠のない思い込みでのめりこみ、いつしか滄史は自分が書きたいものではなく、特定の人間が喜ぶような物語を書くようになってしまった。
そのことに自分で気づきながらも気づいていないふりをして小説を書く日々。およそ健全とは言えないその日々が、唐突に変化を迎える。
コミュニティのメンバーで実際に会って話そうということになった。いわゆるオフ会だ。
滄史としてはぜひとも彼女に会いたかったが、中々言い出すこともできず、なにより開催場所が滄史が住んでいる島からはほど遠い場所だった。
無理をすればいけないことはなかったけど、滄史は参加するとは言い出せなかった。そんなとき彼女の方から声をかけてきたのだ。
『くがみねさんはー? 会おうよー喋ってみたいし』
そこまで言われたら断ることなんてできない。しかし滄史はそこで肩を怒らせて「行きます!」なんて言えるような性格ではなかったので、
『たぶん、行くと思います』
としか言えなかった。ただ『彼女から直接声をかけられて誘われた』ということが、滄史にとってはなによりの喜びで行く気満々だった。
そして数日後、なんとかオフ会へ行く金策もできたところでなんとなしにSNSを覗いたその瞬間、滄史は凍り付いてしまう。
『や、ふつーに結婚しましたが?』
ちょけた言葉と共にあげられた画像。2つの指輪と1枚の紙。名前の部分を隠すようにスタンプが貼られている。
ヒュッと胃が締め付けられた気がした。震えながらスマホをタップすると、やはり投稿は本物で、彼女のフォロワーが祝福のメッセージを送っていた。
さらに彼女は補足するように画像へメッセージを続けて投稿する。
相手は当然一般人で、本業をしているときに知り合った男性で、少し前から同棲していたらしい。会社は辞めて引っ越すが同人活動は続けるとのことで、これからも気軽に絡んでほしいとのことを言っていた。
普段はプライベートなことなど滅多に話さないのに、こうもペラペラと話しているのは、彼女自身も若干気分が上がっているからだろう。滄史はそんなことを思いながら投稿を全て見て、パッとアプリを閉じる。
すぐにボイスチャットのアプリを立ち上げ、グループトークのページにオフ会には行けそうにないとメッセージを打ち込んだ。
話はそれで終わり。滄史が勝手に恋をして勝手にフラれた。第2のトラウマ。
人によっては笑い話だ。トラウマだなんて言うが、ただの失恋である。
だけど滄史にとってはひどくショックな出来事だった。少なくとも、すぐに気持ちを切り替えるなんてことはできなかった。
そして滄史は思った。どうしてと気づかなかったのか。どうして思わせぶりな振舞いをしたのか。
滄史の小説をいいと言ってくれた。滄史の小説のファンアートも書いてくれた。滄史の考えも尊重してくれた。SNS上で何度もやりとりをした。会いたいと言ってくれたのに。
それなのになぜ――そう考えたところで、滄史はかつて南美代にフラれたことを思い出した。
あのときと同じだ。あれもやって、これもやって。色んな事をしたのに、どうして気持ちが通じ合っていないんだと、あろうことか相手を呪ったのだ。
だけど本当は違う。告白は好意の確認かもしれないが、恋愛はチェックリストを埋めていくものではない。
あれをしたからとか、これをしたからとか、そんなもの、好意の押し付けでしかない。実績を積めば必ず上手くいくものでもない。そんなことをしなくても好きな人は好きだ。
2回の失恋で滄史はそう思うようになった。無論、これが絶対に正しいとは思わないが、それでもそんな気持ちを念頭に置くようになった。
「ん? これって……」
そんな『なにか』に気づかせてくれた『彼女』のアカウントを盗み見していると、滄史はあることに気づく。
アカウントが鍵垢、プライベート用になっているのだ。しかもいくつか投稿を見ていると『撮影』とか『配信』とか気になるワードが頻出している。
さらに投稿を遡ると、とあるバーチャルライバー、つまりキャラクターの皮を被った動画配信者のファンアートに言及していた。
「いやいや……まさかな」
呟きながら滄史はネットでそのバーチャルライバーの名前を検索する。
絵のタッチが多少変わってはいるものの、そのキャラクターデザインはかつてのポリエステルの火鍋の絵柄だった。
絵師として活動する傍ら、動画配信者としても活動している一児の母。という設定なのだが、滄史は直感的に彼女の正体は『ポリエステルの火鍋』だと思った。というか、ほぼまんまだ。
念のため色々調べたが、調べれば調べるほど彼女の鍵垢とバーチャルライバーとの共通点が浮き上がってくる。
ここまでくるとこのバーチャルライバーの正体は暗黙の了解みたいなものなのかもしれない。
「いやーマジか」
変わってないと思っていたが、そんなことはなかった。
劇的な変化を遂げていた。それもなんか妙な方向に。
「皆変わったんだな……」
スマホをポケットに放り込み、滄史は空を見上げる。
初恋の人である南美代は島を出て結婚し、子供を産んで離婚して、今はひとりで育てているのだろう。
勝手に恋心を抱いていた『彼女』は結婚して子供を授かり、さらにそこからバーチャルライバーとして逞しく生きていた。
変わっていないのは自分だけだ。久我峰滄史だけが過去のキズに心を痛めながら、苦しみながら小説を書いている。
空を飛ぶ才能なんてないのに、必死で自転車を漕いで、汗だくになって、元から翼を持った人達と愚かにも並ぼうとしているのだ。
しかも、その途中で光矢という誘惑にあっけなく囚われ、同じ過ちを繰り返している。
少しも成長していない。結局滄史は逃げてばかりだ。
「それでも……それでも書くしかないんだ。僕にはもう、それしか残ってない」
呪詛のように言葉を吐き出す。それは空へと融けることなく泥のように滄史へまとわりつき、心を蝕んでいく。
それでも書くしかない。既に別の道はない。滄史はグッと膝に手をついて立ち上がり、飲み干したスポーツドリンクのペットボトルをゴミ箱に向かって投げる。
くるくると回転して放物線を描くペットボトル。四角いゴミ箱の縁にキャップの部分が当たり、そのまま地面を転がった。