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5-3

 父に拾ってもらい、滄史は光矢と共に実家へと帰ってきた。

 担当編集である安達は翌日仕事があるとのことで光矢に帰りのチケットを渡して帰っていった。普段の自由奔放な態度から誤解しがちだが、彼はれっきとした会社員なのだ。今日だって有休を使って急遽やってきたらしい。

 光矢については、今日は帰らないらしい。どこか泊まるところは確保しているのか滄史が訊ねると――

「あの、滄史さんのお母さまが、泊まっていけばいいって」

 恥ずかしそうにそう言った。滄史は慌てて母の顔を見たが、どこか楽し気に笑っているだけだった。

 久我峰家の客間はひと部屋しかない。名前通り来客に使ってもらっている部屋だ。

 だがその部屋は今滄史が使っている。かつての自分の部屋は弟が使っているのでどうにもならない。

 だとしたら光矢はどの部屋で寝るのか――決まっている。客間だ。なにせ部屋に入ると布団が2組敷かれていたのだから。

 しかも先ほど隣の家に住んでいる兄に呼ばれ、とあるアイテムを渡された。兄曰く「俺はもうあんまり使わせてくれないけど、お前はちゃんと使え」とのことらしい。

 余計なお世話だと思いながらも、受け取らなければ解放してくれなさそうだったので、滄史は渋々その箱を受け取った。

 そして現在滄史は海水で汚れた身体をシャワーで洗い流し、着替えて廊下を歩いている。

 すでに光矢は部屋にいるはずだ。滄史は部屋へと戻る前にキッチンに寄って、シンクに水を流す。

 適当にグラスを取って水を注ぎ、グーっと飲み干す。ダイニングキッチンから見える居間は誰もおらず真っ暗だ。どこかから虫の鳴き声だけが聴こえてくる。

「……戻るか」

 ここで朝まで過ごすわけにもいかないだろう。滄史はグラスをシンクに置いて、そのまま客間へと戻っていく。

 部屋の前まで辿り着き、グッと腹の下に力を入れてゆっくりとふすまを開けた。

「あっ、滄史さん」

 部屋を開けてすぐ、光矢がパッと振り向く。

 夏用のパジャマに身を包み、布団の上に座っている光矢。長い髪が華奢な肩にしな垂れて艶々と光を放っている。

 昔と変わっていない物寂しい部屋だというのに、光矢がそこにいるというだけで滄史は部屋の明るさが違うような気がした。

「どうも。服、大丈夫でしたか? 母の……いや、姉のやつですか?」

 言いながら滄史も布団の上に座る。正面には光矢がいて、すぐにでも触れ合える距離だ。

「はい、お姉さんのお借りしました」

 光矢がぴらっと袖をつまむ。黒縁で真っ白なサテン地の夏用パジャマからは、二の腕や素足が見えていて、細いのに肉感的なそのビジュアルを滄史はどうにも直視できなかった。

「それにしてもあれですね、随分、思い切ったんじゃないですか?」

 ひとまず場を繋ぐために切り出すと、光矢がきょとんとした顔で首を傾げる。

 ふわりと髪の毛が揺れて滄史は意味もなくドキッとしてしまう。

「思い切ったっていうと……どういうことですか?」

「光矢さんがここにいることですよ。町の外に出ることすら嫌がってた人が町を出て飛行機に乗って、船に乗って、こんな辺鄙な島まで来て……すごい行動力ですよ」

 カラッとした笑みを浮かべて肩を竦める滄史。最初は唇を尖らせて聞いていた光矢も、滄史の言葉に段々と表情を崩していき、最後には同じようにクスッと笑った。

「それだけ滄史さんに会いたかったんですよ。いきなりいなくなっちゃったんですから」

 もうっと言って片頬を膨らませて、光矢が上体を傾けて覗き込んでくる。上目遣いの蠱惑的なまなざしに滄史はもう懐かしい気持ちになる。

 たった1日程度しか離れていないというのに、彼女の仕草やまなざしがどこか温かくてこそばゆい。 

 からかうような光矢のまなざしに、滄史が困ったように笑っていると、やがて彼女が立ち上がった。

「光矢さん?」

 そのまま滑るように移動して光矢が滄史の後ろへと回り込む。

 そうして座り込んだと思えば、背中にピトッと肌が触れる感触がした。

「もう逃げないでください」

 後ろから光矢の声が聴こえてくる。どこか寂しそうな声色に滄史は身を固くしてしまう。

「滄史さんの小説は好きです。でも、もう会えなくなっちゃったらなんの意味もないんです。だから、もう逃げないで。私のことが好きなら、私のそばにいてください」

 光矢の吐息を背中に感じる。滄史は振り向くことなく部屋の壁を見つめ、すとんっと肩の力を抜いた。

「……どうすればいいんでしょう」

 滄史の返事に後ろでピクっとなにかが動いた気配を感じ取る。振り向こうと身じろぎしたところで、光矢がキュッと腕をお腹に回し、ぴったりと密着して滄史の顔を覗き込んできた。

 思っていたよりもずっと近い距離に滄史はギョッとして目を見開く。

 光矢はそんな滄史の姿を見て困ったような顔で小首をかしげた。

「小説を諦めたくはないです。でも、僕だって光矢さんとの会えなくなるのはその……寂しいですよ」

「……じゃあどうするんですか?」

 まっとうな疑問に滄史は「う~ん」と唸りながら腕を組む。

 やがて、言葉が整理できたのか、お腹にある光矢の手に自分の手を重ねた。

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