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第2話 騎士を夢見たグール

 僕は、三日三晩、森の中をさまよい続けていた。


 魔物を殺すためだ。

 魔物を殺せば、その「存在」が体内に流れ込み、吸収される。

 それはただの血や肉ではない。意志も、記憶も、怒りも……魔そのものが、僕の中に染み込んでくる。


 吸収された力は、僕という器の中で溶け合い、やがて “進化” へと繋がる。


 だが――


 グールという存在は、人間とは決定的に異なっていた。


 人間には「リミッター」がある。

 どんなに強い想いで力を振り絞っても、身体が壊れないように、本能が無意識にブレーキをかける。


 だけど、僕にはそれがない。


 一度死んだ身体に、守るべき限界など存在しない。


 筋繊維が裂けても、骨が粉々になっても、皮膚が剥がれても――

 それでも拳は振るえる。

 限界を超えた “怪物の力” で、敵を屠ることができる。


 ただし、グールにも明確な欠点がある。

 それは――「遅さ」だ。


 足は鈍く、身のこなしは鈍重。

 どれだけ強い腕力を誇っても、俊敏さに欠けるその身は、アンデッドの中でも最下層。


 しかし、もし「屍鬼しき」に進化できれば、この弱点は克服される。

 屍鬼は、吸血鬼の配下として生まれることが多く、速度と力を兼ね備えた戦闘種。

 その存在は、もうただの屍ではない。


 だが――


 その進化には、代償 がある。


 進化の際、以前の特性は全て失われる。

 積み重ねてきた力も、感情も、記憶すらも……「喰った者の記憶」が上書きされていく。

 少しずつ、僕が「僕」でなくなっていく――


 ⸻


(……怖い)


 喉が焼けつくような、乾いた震えが走る。


(僕が……本当にグールになったなんて、信じられない)


 目を閉じると、浮かんでくる。

 かつて夢見た、真っ直ぐで、清らかな未来。


 ――『光滅騎士団』に入って、剣を手に、人々を救う英雄になること。

 小さな街の病室の中で、何度も母にせがんだあの物語の、光の騎士たちのように。


 それが僕の夢だった。


 それなのに――


(もう……戦いたくない)


 ⸻


 そのときだった。


 ガサ……


 目の前の茂みが、嫌な音を立てた。


 空気が変わる。

 濃く、濁った気配が流れ込んでくる。


(……来た)


 四足の獣型魔物が、茂みの奥から現れた。

 鋭い牙、泥のように濁った赤い瞳。

 口元には血の痕……いや、今まさに狩りをしようという表情だった。


 狙いは、僕だ。


(……もう嫌だ。戦いたくなんて、ない)


 だけど、僕の体は勝手に動く。

 あの老人の命令が、脳に焼き付けられている。


 僕の意志など、関係ない。


 ⸻


(認めたくない。認めたくない……!)


(僕が、グールだなんて……絶対に、認めない!!)


 ⸻


 魔物が飛びかかってくる。


 その巨体が、まるで獣の弾丸のように迫る――


 避けることはできない。

 グールの鈍い足では、回避は不可能だった。


 僕は、本能的に両腕を構え――魔物の突撃を、真正面から受け止めた。


「ドンッ!!」


 骨が軋む音。

 腕の内側で何かが折れた感覚。


 だが、それでも止まらない。


 ――拳が、動く。


 魔物の腹部に、渾身の一撃を叩き込んだ。


「バギン!!」


 手応えはあった。

『く』の字に折れた魔物の体が、奥の木にぶつかって地面に崩れ落ちる。


 しかし――まだ、生きている。


 ⸻


 僕は、ゆっくりと魔物へと近づいていく。


(……嫌だ)


 足が、震えている。


(もう、殺したくない……)


 けれど――拳は、もう振り上がっていた。


(やめろ……やめろ……!)

 それなのに――


 やめろ……ッ!


 声にならない声が、喉を震わせた。

 だが、拳は振り下ろされる。


 バゴン!!


 魔物の骨が砕ける音が、腕を通して伝わってくる。


(嫌だ)


 バゴン!!


 さらに一撃。肉が潰れ、骨が沈む。


(嫌だ……もうやめて……)


 バゴン……ネチュ……


 肉が裂け、血が飛び散る。


 グールには、涙腺がない。

 だから泣けない。


 代わりに、喉から濁った唸り声が漏れた。


「ウゥ……ウゥ……」


 叫びでも、泣き声でもない。

 ただ、魂が軋むような――呻き。


 ⸻


 だけど、それでも――僕の体は止まらなかった。


 魔物の命が完全に絶えるまで、拳は何度も何度も、振り下ろされた。


 そして――


 その瞬間、僕の中に「何か」が流れ込んできた。


 魔物の“存在”が、僕の中に染み渡っていく。

 骨の隙間、神経の末端、死した血管にすら絡みつくように。


 冷たい氷水のような感覚と、灼けつくような熱が、同時に僕を満たしていく。


 それは進化の兆しだった。


 けれど、僕にはその変化を噛み締める余裕すらなかった。


 なぜなら――


 僕の体は、すでに次の“獲物”を探して、また歩き出していたからだ。

 ……まるで、意思など初めからなかったかのように。

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