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第16話 赦しなき夜



 ⸻


 二人の瞳が、闇の中で赤く光っていた。


 吸血鬼が戦うとき、あるいは“喰いたい”という衝動に飲まれたとき――

 その瞳は、必ず赤く染まる。


 それは理性の奥にある本能の証。

 獣のように、人の皮を被ったまま暴れる“もう一つの命”の色。


 錦の指先が裂け、真紅の雫が夜気に舞った。

 その血は重力を無視するように空中に浮かび、やがて槍の形をとる。


 錦の怒りと殺意をそのまま鋳造したかのような、黒ずんだ赤の凶器だった。


「やっぱお前は気に食わねぇ。血の味もしねぇようなヤツが、いい顔してるのがな」


 吐き捨てと同時に、地面が抉れるほどの勢いで錦が突進する。

 その槍が風を切り、響華の心臓を正確に狙っていた。


 けれど――


「遅いって言ったろ?」


 響華はその一撃を、まるで躱すのが“日常”であるかのように軽やかにかわした。

 白い頬をかすめた風が髪を揺らし、すぐに彼女の左手の甲が裂ける。


 飛び散る鮮血。


 それは空中で螺旋を描きながら、刃へと変わっていった。

 液体は形を得て、質量と硬度を帯びた武器となる。


 その姿は、生きているかのように脈打っていた。


血剣ブラッドブレイド――」


 それは吸血鬼が己の血を武器として凝固させ、意志を宿して操る技術。

 だがそれは単なる能力ではない。“生き残るために喰う”という、否応なく求められる代償と表裏一体の本能。


 僕はその光景を、ただ息を呑んで見つめていた。


(武器じゃない。……意思を持った血だ)


 響華の手に収まったその刃は、彼女の心音と同期するように震えていた。

 それはまさしく、彼女の“命”そのもの。


「アンタみたいに粗雑なやつと一緒にされるの、ほんとムカつくんだよね」


 彼女は錦の背後へ回り込み、一閃。


 空気が裂ける音の直後、錦の肩口に深い切り傷が走り、鮮血が吹き出す。


「ぐっ……てめ……!」


「その程度で文句言うなよ。こっちは血、無駄にしたくないんだ」


 右手の甲を裂き、もう一振り――今度は小太刀のような血の刃を作り出す。


 吸血鬼にとって、血は命。

 それを削るたびに、飢えは深くなる。

 だが響華は、その渇きに慣れていた。喰っている者の戦い方だった。


 一滴の浪費すら許さぬその動きに、僕は言葉を失った。


(これが……本物の吸血鬼の戦い)


「アンタ、もう終わりだよ」


 そう言って響華が最後の一撃を構えたとき――

 錦の体は、限界を迎えて崩れ落ちた。


 もう血を作る余力も、立ち上がる力も残っていなかった。


 響華は静かに近づくと、無言でその鳩尾に蹴りを叩き込んだ。


「弱いくせに強がりやがって、ダサ」


 そして彼女は、先ほど殺した男の腕を引きずって僕の方へ歩いてきた。

 手首から先の肉がまだ温かいまま、赤黒く染まっている。


 その“獲物”を、僕の目の前に突き出してくる。


「喰え」


 乾いた声が落ちた。


「そんなんだから、弱いんだよ」


 口に押し込まれるその瞬間、僕の奥底から何かが強く拒絶した。


「……やめろ……」


 僕はその手を払いのけるようにして叫んだ。

 鼻腔を突く血の匂いに、喉が鳴りそうになるのを必死にこらえる。


「僕は……まだ、人間でいたいんだ」


 渇いていた。飢えていた。

 それでも、誰かを喰って生きるなんて――そうまでして生き延びたいとは思えなかった。


 響華の目が、キッと細まった。


「……マジで言ってんの?店長に吸血鬼になる前の記憶があるって聞いてるけど、あれ見せつけられて、何も感じなかったの?」


「感じたさ。でも、それでも僕は……」


「“でも”じゃねぇよ。結局、あんたは自分の幻想に酔ってるだけじゃん」


 その一言が、鋭く僕の胸に突き刺さった。


 響華は血まみれの手を、無造作に僕の胸へ叩きつける。


「“人間でいたい”だぁ? お前がどれだけ理屈並べようと、あいつらにとっちゃ吸血鬼は全部“杭”対象だよ」


 そして、鋭く吐き捨てる。


「喰わなきゃ、喰われるだけ。それ以外なんて、ねぇよ」


「それでも……僕は、誰かを喰って生きたくない」


 声が震えていた。けれど、目だけは逸らさなかった。


 一瞬、響華の表情が曇った気がした。


 けれどすぐにそれを振り払うように、冷たく見下ろして言い放つ。


「チッ……弱ぇくせに喰おうともしねぇ。なんか、お前……」


 一拍置いて。


「──半端もんみてぇだな」


 その言葉が、胸の奥に突き刺さった。


 振り払えなかった。

 否定できなかった。

 どこかで、僕自身がその言葉を“正しい”と思ってしまったから。


(僕は……本当に、何を守りたいんだ……?)


 赤い瞳の少女が、背を向けて歩き去る。


 夜は、何もなかったように、また静かに息をひそめた。






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