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二人の瞳が、闇の中で赤く光っていた。
吸血鬼が戦うとき、あるいは“喰いたい”という衝動に飲まれたとき――
その瞳は、必ず赤く染まる。
それは理性の奥にある本能の証。
獣のように、人の皮を被ったまま暴れる“もう一つの命”の色。
錦の指先が裂け、真紅の雫が夜気に舞った。
その血は重力を無視するように空中に浮かび、やがて槍の形をとる。
錦の怒りと殺意をそのまま鋳造したかのような、黒ずんだ赤の凶器だった。
「やっぱお前は気に食わねぇ。血の味もしねぇようなヤツが、いい顔してるのがな」
吐き捨てと同時に、地面が抉れるほどの勢いで錦が突進する。
その槍が風を切り、響華の心臓を正確に狙っていた。
けれど――
「遅いって言ったろ?」
響華はその一撃を、まるで躱すのが“日常”であるかのように軽やかにかわした。
白い頬をかすめた風が髪を揺らし、すぐに彼女の左手の甲が裂ける。
飛び散る鮮血。
それは空中で螺旋を描きながら、刃へと変わっていった。
液体は形を得て、質量と硬度を帯びた武器となる。
その姿は、生きているかのように脈打っていた。
「
それは吸血鬼が己の血を武器として凝固させ、意志を宿して操る技術。
だがそれは単なる能力ではない。“生き残るために喰う”という、否応なく求められる代償と表裏一体の本能。
僕はその光景を、ただ息を呑んで見つめていた。
(武器じゃない。……意思を持った血だ)
響華の手に収まったその刃は、彼女の心音と同期するように震えていた。
それはまさしく、彼女の“命”そのもの。
「アンタみたいに粗雑なやつと一緒にされるの、ほんとムカつくんだよね」
彼女は錦の背後へ回り込み、一閃。
空気が裂ける音の直後、錦の肩口に深い切り傷が走り、鮮血が吹き出す。
「ぐっ……てめ……!」
「その程度で文句言うなよ。こっちは血、無駄にしたくないんだ」
右手の甲を裂き、もう一振り――今度は小太刀のような血の刃を作り出す。
吸血鬼にとって、血は命。
それを削るたびに、飢えは深くなる。
だが響華は、その渇きに慣れていた。喰っている者の戦い方だった。
一滴の浪費すら許さぬその動きに、僕は言葉を失った。
(これが……本物の吸血鬼の戦い)
「アンタ、もう終わりだよ」
そう言って響華が最後の一撃を構えたとき――
錦の体は、限界を迎えて崩れ落ちた。
もう血を作る余力も、立ち上がる力も残っていなかった。
響華は静かに近づくと、無言でその鳩尾に蹴りを叩き込んだ。
「弱いくせに強がりやがって、ダサ」
そして彼女は、先ほど殺した男の腕を引きずって僕の方へ歩いてきた。
手首から先の肉がまだ温かいまま、赤黒く染まっている。
その“獲物”を、僕の目の前に突き出してくる。
「喰え」
乾いた声が落ちた。
「そんなんだから、弱いんだよ」
口に押し込まれるその瞬間、僕の奥底から何かが強く拒絶した。
「……やめろ……」
僕はその手を払いのけるようにして叫んだ。
鼻腔を突く血の匂いに、喉が鳴りそうになるのを必死にこらえる。
「僕は……まだ、人間でいたいんだ」
渇いていた。飢えていた。
それでも、誰かを喰って生きるなんて――そうまでして生き延びたいとは思えなかった。
響華の目が、キッと細まった。
「……マジで言ってんの?店長に吸血鬼になる前の記憶があるって聞いてるけど、あれ見せつけられて、何も感じなかったの?」
「感じたさ。でも、それでも僕は……」
「“でも”じゃねぇよ。結局、あんたは自分の幻想に酔ってるだけじゃん」
その一言が、鋭く僕の胸に突き刺さった。
響華は血まみれの手を、無造作に僕の胸へ叩きつける。
「“人間でいたい”だぁ? お前がどれだけ理屈並べようと、あいつらにとっちゃ吸血鬼は全部“杭”対象だよ」
そして、鋭く吐き捨てる。
「喰わなきゃ、喰われるだけ。それ以外なんて、ねぇよ」
「それでも……僕は、誰かを喰って生きたくない」
声が震えていた。けれど、目だけは逸らさなかった。
一瞬、響華の表情が曇った気がした。
けれどすぐにそれを振り払うように、冷たく見下ろして言い放つ。
「チッ……弱ぇくせに喰おうともしねぇ。なんか、お前……」
一拍置いて。
「──半端もんみてぇだな」
その言葉が、胸の奥に突き刺さった。
振り払えなかった。
否定できなかった。
どこかで、僕自身がその言葉を“正しい”と思ってしまったから。
(僕は……本当に、何を守りたいんだ……?)
赤い瞳の少女が、背を向けて歩き去る。
夜は、何もなかったように、また静かに息をひそめた。
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