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第17話

「本日付で配属となりました、四ノ宮凛と言います!よろしくお願いします!」


 背筋を伸ばし、声を張る。

 清潔な制服に身を包んだ青年は、どこまでも真っ直ぐな目をしていて正義感が強そうだ。


 ここは――G.O.D日本支部・第三区分室。

 東京本部の下部組織のひとつであり、吸血鬼絡みの案件の最前線とも言える現場だった。


 上官が腕を組みながら頷き、軽く手を振る。


「四ノ宮くん、まずは彼とバディを組んでもらうよ。現場の経験が豊富だから、しっかり学ぶといい」


 そう言って紹介された男は――


 どこか病的に痩せていて、目の下に深い隈を宿していた。

 ぼさぼさの前髪が額を覆い、皮膚は不健康なほどに白い。


「……四ノ宮くん、よろしく。私の名前は根津伶牙ねづれいがだ」


 声は低く、湿り気を帯びている。目を見て話さない。

 一目でわかる。四ノ宮とは、何もかもが正反対だった。


(この人……大丈夫か?)


 そう思ったが、口には出さなかった。


「じゃあ、さっそく仕事に入ろうか」


 根津は淡々と言い、すでに用意していたファイルを手渡してくる。


「対象は吸血鬼ナンバー86。ここ一ヶ月で民間人5人を殺してる。吸血衝動に耐性がなく、狩りの頻度も増えてる」


 地図を広げ、淡々と指で示す。


「目撃情報があったのは、港区の倉庫群。すでに目星はついてる。……行こう」


 根津は言い終えると、背を向ける。

 待っていたかのように足を進めていくその後ろ姿に、四ノ宮は思わず息を呑んだ。


(この人……何年、この仕事を続けてるんだ?)


 その背中からは、“慣れ”とも“諦め”ともつかない、奇妙な重さが滲んでいた。


 ――同じ頃。


 支部内の休憩室では、別の隊員たちが噂話をしていた。


「なあ、聞いたか? この前、あの光滅騎士団の奴が入ってきたらしいぜ」


「マジで? ヴァチカンの連中って、あいつら本部で大事にされてんじゃねぇのか? なんでわざわざ、こんな現場に?」


「どうせ“訳あり”だろ。誰だって、正義の象徴が来たなんて信じられねぇって」


「ま、俺らには関係ないさ。吸血鬼を処理するだけの仕事なんだから」


 どこか、皮肉混じりの笑いが部屋に残る。






「さて、四ノ宮くん。……レヴナントは、ちゃんと持ってるかい?」


 灰色の空気の中で、根津の声がぽつりと落ちた。

 細く乾いたその口調は、まるで儀式の確認のようにも聞こえる。


「はい、こちらに」


 四ノ宮は即座に返事をし、左手を差し出す。

 その中指には、鈍く光る黒銀の指輪が嵌められていた。


「中指、か。……“魔除け”の指だな。真面目な子だ」


 根津は小さく笑った。


「レヴナントとは、『還ってきた者』『亡者』を意味する――」


 その言葉を呟く時、彼の声はどこか楽しげだった。


「吸血鬼の死骸から抽出した“血核”……つまり、怨念とも呼ばれるエネルギーを、装備として再構築した兵器。それを我々は日常的に使っている」


 ひどく静かな声だった。

 だがその中には、神への冒涜にも似た愉悦が滲んでいた。


「我々はG.O.D。名ばかりとはいえ、神の名を冠する組織だ」


 根津は、四ノ宮の指輪に視線を落としたまま、言葉を継ぐ。


「そんな組織が、吸血鬼の死体怨念を武器にするなんて……皮肉だろ?」


 そのとき、根津の口元が不気味に吊り上がった。

 笑っている――だが、笑いは目に届いていない。


 四ノ宮は、不意に背中に冷たいものが這い上がるのを感じた。


(この人……レヴナントをただの武器だと思っていない。何か……もっと別の意味で見ている)


 根津は構わず、続けた。


「私はね、こういうのが好きなんだ。合理的で、残酷で、そしてどこまでも人間くさい」


「人間くさい……ですか?」


「そう。誰かを倒すには、その“怨念”を使うのが一番手っ取り早い。ねじれた倫理が、最も強く作用するんだ」


 根津の視線が、ようやく四ノ宮の顔を捉える。


「後で、君のレヴナントも見せたまえ」


 その目には、純粋な興味――いや、興味という名の“渇き”があった。


 四ノ宮は無意識に中指を隠すように手を引っ込める。


(……なんだ、この人は)


 けれど、任務はすぐそこにある。

 まだ何も知らない新人の彼には、ただ頷くことしかできなかった。



 すみません。この辺りで、吸血鬼の目撃情報があるんですけど……何か知りませんか?」


 柔らかな声でそう尋ねたのは根津だった。

 目の前にいるのは、どこにでもいそうな古びた和装の老婆。

 細くしわがれた指先で、彼女はゆっくりと首を横に振った。


「さぁねぇ……そんな怖い話があるなら、私はもう家に戻らせてもらうよ」


「……ご協力ありがとうございました」


 根津は軽く頭を下げ、背を向ける。

 だがその目は、最初から一切の警戒を解いていなかった。


(ナンバー86、確認済み。目撃者の証言と一致……あとは、四ノ宮がどう動くか)


 その時――


「クソが、もう嗅ぎつけやがったか……ウザったいねぇ」


 背後から、空気を裂く音がした。


 バシュッ――!


 重たい風圧とともに、老婆の姿が一変していた。

 皮膚が裂け、骨が変形し、赤黒い眼が光る。


「――来るよ、四ノ宮くん」


 根津はわざと背を向けたまま、呟いた。


 直後、振り返ることなくその右手が動いた。


 バンッ!


 煙のように拡散したレヴナントの“鎖”が、老婆の蹴りを真正面から受け止めた。

 空気が歪み、破裂音のような衝撃が弾ける。


「今回は、君がトドメを刺しなさい」


 根津の言葉は冷静で、まるで“予習済み”の問題を投げかける教師のようだった。


 四ノ宮は状況を飲み込めず、一歩遅れて目の前の変貌を理解する。


 老婆――だったはずの女は既に人間ではなかった。


 血管が浮かび上がった腕、鋭く伸びた爪、そして何より、真紅に染まった両の瞳。

 ――吸血鬼だった。


「そんな……人間じゃなかったのか……」


「吸血鬼ナンバー86。ここ最近、五人を殺している。全部“ただの事故”として処理されていたがね。目撃証言が決定打になった」


 根津の声は淡々としていた。まるで、今が“最初からそう決まっていた場面”であるかのように。


「行け。レヴナントを解放して、杭を打て」


 その言葉に、四ノ宮は息を飲む。

 震える手で、中指の指輪を強く握った。


「応じろ……!」


 レヴナントが応えたように、黒いエネルギーが指輪から噴き出す。

 濃い靄のようなそれは、瞬く間に形をとり、四ノ宮の両手へ重量をもたらした。


 大剣。


 否、それはもはや剣というより“塊”だった。

 鈍く輝く金属――血核の形を保ったままのような無骨な造形。

 それは“斬る”のではなく、“叩き潰す”ことを目的とした武器だった。


「へぇ、ガキのくせに……そんなもの持ってんのかい」


 吸血鬼ナンバー86は嗤う。

 その体が膨張するように膨らみ、足元のアスファルトがピシリと割れる。


「だったら、あたしが“最初の一滴”にしてやるよ」


 その瞬間、視界が跳んだ。


(速い――!)


 四ノ宮は本能でレヴナントを盾のように掲げた。

 衝撃音。火花。ぶつかり合う肉と武器の重さ。


「ぐっ――!」


 一撃で膝が沈む。

 重い。

 けれど――


(耐えられる……この武器があれば……!)


「ォォォアアアッ!!」


 雄叫びとともに、四ノ宮は大剣を振り払った。

 吸血鬼の体を跳ね返し、再び距離を取る。


「いいじゃないか……殺る気になったじゃないかァ」


 吸血鬼は狂ったように笑い、爪を引き裂き血を飛ばす。


 その血が宙で凝固し、槍のような形へと変化した。


(……血剣ブラッドウェポン……!)


 本物の吸血鬼の技。

 そして、それを前にした自分は――“真似事”の延長にすぎない。


 それでも。


「……俺は、喰わない……俺は、杭になる……!」


 両足を強く踏み込み、大剣を地面に滑らせながら構える。


「いけるかい?」


 背後から根津の声。


「やれ、杭。迷うな」


 四ノ宮は歯を食いしばり、真っ直ぐに踏み込んだ。


 吸血鬼の血槍が放たれる――


 だが、大剣がその軌道を受け止め、折る。


 次の瞬間、大剣が吸血鬼の腹部を横薙ぎに叩きつけた。


「がはっ……ッ!」


 血が舞う。

 がらんどうの身体が地面に叩きつけられ、崩れる。


 それでもまだ、吸血鬼は呻きながら立ち上がろうとしていた。


(まだだ……止めなきゃ……)


 四ノ宮は、重い息を吐きながら大剣を構えなおした。


「……ごめん」


 レヴナントが再び、命を喰らう武器として光る。


 振り下ろした一撃は、吸血鬼の胸を真っ直ぐに貫いた。


 血飛沫。


 そして――沈黙。


 吸血鬼ナンバー86の体が、力を失い崩れ落ちる。


 四ノ宮はしばらく動けなかった。

 レヴナントが、脈を打つようにまだ震えている。


 それが、命を喰った“証”だった。


「……よくやった」


 根津が後ろから声をかける。


「これで君も一人前だ。杭として、な」


 四ノ宮は小さく、頷いた。

 でもその表情に、喜びはなかった。


(俺は……杭になったのか。……それとも、ただの殺し屋か)


 血と鉄の臭いが、夜風に溶けていった。





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