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第21話 涙を流す吸血鬼

 翌日――


 G.O.D日本支部・第三区分室。

 朝の空気は、いつにも増して重かった。


「……え?」


 四ノ宮は、上官からの報告を受けた瞬間、思わず言葉を失った。


「昨日、一緒に飯を食ったあの2人が……殉職?」


 手渡された書類を見ても、信じられなかった。

 訓練校からの同期で、昨日もあれだけ元気に笑っていた仲間たちが――


“死亡”と記された欄が、無慈悲に彼の名前を突き刺してくる。


「そんな……なんで……」


 目を疑いながら、現場の記録映像と写真に目を通す。


 しかし、その中にあった“痕跡”は――


 ただの吸血ではなかった。


 壁に激突したように破壊された背骨。

 明らかに圧力で千切れた腕。

 咽喉を裂くのではなく、“引きちぎる”ように断たれた首。

 返り血すらも芸術的なまでに散っていた。


「……これは……」


 吸血衝動による殺害ではない。

 これは明らかに、“見せしめ”だ。

 意図的に“殺す”ことを前提とした、殺意の痕跡。


 ――しかも、速すぎる。


「応戦の形跡がない。……まともに武器も抜けていないままやられてる」


 上官の言葉が重く響いた。


「んー……復讐に来たのかもね」


 不意に根津さんがつぶやいた。


「あの母娘、戦う力はほとんどなかった。となれば……懇意にしていた別の吸血鬼が、仇討ちに動いた可能性が高いね。次に狙われるのは、僕たちかも」


 そう言って、根津さんはニヤリと笑った。その笑みはどこか楽しんでいるようにも見えた。


 ***


 その頃、夜の街角。


 響華は日が差さないビルの裏路地に静かに潜んでいた。身を潜めるのは得意だった。そして“気配”を読むのも。


 目の前に広がるのは、血と死の気配をまとった路地裏。


「あの二人じゃなかったか……」


 小さくつぶやくと、仮面越しの声が夜に溶ける。


「……次」


 感情のないその一言だけを残し、響華は再び暗闇へと身を沈めた。


 ***


 一方、G.O.D支部。


「我々は、しばらく二人を襲った吸血鬼の捜査に移る」


 上官がファイルを置きながら言う。


「現場の痕跡、行動パターン……すべて異常な点が多い。“杭”を狙った動きだ。特定は困難だが、そのうち……向こうから姿を現すだろう」


 根津が肩をすくめる。


「どうせ、どこかを歩いてればそのうち出くわすさ。ああいうタイプは、待つのが嫌いだろうしね」


 ***


「響華君が……やはり一人で動いているようだ」


 芳村の静かな声に、喫茶店の空気が僅かに揺れる。


 カウンター越しでそれを聞いた祐は、カップを置き、立ち上がった。


「店長。……僕も行きます」






「四ノ宮君、ここからは二手に分かれよう」


「……二手に、ですか? 一体の吸血鬼に、二人で対応するのが基本では?」


 四ノ宮が首をかしげる。

 吸血鬼は少数でも危険な存在であり、単独行動はリスクが高すぎる――訓練でも、そう叩き込まれてきた。


 だが、根津は構わず歩を進めながら答えた。


「常識的には、ね。しかし、今回の対象は『ただの吸血鬼』ではない。目撃情報と行動パターンを照らし合わせると、こちらの動きを察知して逃げている可能性が高い。……ならば、釣り餌が必要だ」


「……囮、ですか?」


「炙り出し、と言った方がいいかな。君のような“新人バディ”が、うろついていれば、きっと接触してくる。今のうちに、手札を見せさせるんだ」


 その言い回しに、四ノ宮の眉がわずかに動く。


「……ですが、それでも単独行動は――」


「心配はいらない。確かに今は一人だが……“仕掛け”はすでに終えてある。あとは、そこに獣がかかるのを待つだけさ」


 根津は不吉な笑みを浮かべ、煙草の火を細い指で弾いた。


「四ノ宮君。吸血鬼は一体とは限らない。そして……彼らがこちらの思う通りに動くとも限らない。ならば、“揺さぶって、動かす”んだよ」


 四ノ宮はしばらく沈黙し――やがて、静かに頷いた。


「……了解しました。俺にできる範囲で、炙り出してみます」


「頼もしいね。君のような“正しさ”を掲げる存在が、餌として歩いてくれれば、きっと出てくる」


 背を向けたままそう告げる根津の言葉は、どこか――予言めいていた。


 **


 薄暗い路地を、四ノ宮は一人歩いていた。

 吐く息は白く、頬を撫でる風がやけに冷たい。

 冬の空気は、ただ静かに街を凍らせていた。


 左手の中指には、黒銀の指輪――レヴナントが嵌められている。

 まだ展開はしていない。だが、いつでも“応じられる”ように、意識は研ぎ澄まされていた。



“新人バディがうろつけば、向こうが手札を見せる”


(……つまり、俺が囮ってことか)


 不満はあった。だが、“杭”である以上、任務を放り出すわけにはいかない。


 その言葉を反芻しながら、周囲に気を張って歩いていたそのときだった。


 角を曲がった先、街灯の下に、フードを被った一人の青年の姿があった。


(……誰だ?)


 立ち止まり、四ノ宮は警戒を強める。


 ――それは、僕だった。


 吸血鬼の影響で、人々の足が遠のいた夜の街。

 まるで世界が息をひそめたような空気の中、僕は一人、響華の気配を追って走っていた。


(……響華ちゃん。無茶してなければいいけど……)


 そんな矢先だった。

 曲がった先、街灯の下に“それ”は立っていた。


 大柄な男。鋭い目。まだ展開されてないが黒銀の指輪。


(……杭。……でもまだ、展開はしてない)


 相手の指輪を見て、僕はひとまず距離をとった。

 けれど、血が足りない。瞳が――赤く染まりかけている。


(……まずい)


「止まれ」


 四ノ宮の低い声が、夜を裂いた。


「お前、何者だ。吸血鬼か?」


 僕は一歩も動かず、マスク越しに返す。


「……どいてもらえますか?」


「……!」


 その一言で、四ノ宮の目が鋭くなる。


(こいつ……目が、赤い……!)


「お前……吸血鬼か?」


 沈黙。


 その沈黙が、すべてを肯定していた。


(反応なし、肯定もしない……でも――この目……この“飢え”)


 四ノ宮の脳裏に、嫌でも蘇る。


 数日前、仲間だった二人の“杭”が、赤い霧のように散った現場。

 応戦の隙すら与えず、“見せしめ”のように惨殺されたその現実。


 ――そして、目の前の“赤い目”。


「お前……俺の同期二人を殺した奴の仲間か?」


「……なんのことか分かりません」


 冷静に返したつもりだった。だが、瞳が物語っていた。


(……バレた……!)


「その目が証拠だ。……血に飢えた、あの目が!」


 四ノ宮は、左手をゆっくりと持ち上げた。

 中指の指輪が淡く輝く――


 レヴナントが、応じようとしていた。


「お前たちはなぜ、無垢な人々を襲う!」


 叫びと同時に、四ノ宮はその場から飛び退き、展開の構えを取る。


 黒銀の指輪から噴き出す黒い靄。

 それが形を持ち始め、巨大な重量武器――大剣の輪郭が現れ始める。


「なぜ――二人を殺した!!」


 僕は咄嗟に身を翻す。


 ――もう、交渉の余地はなかった。




「何故だッ!!」


 止まらない。問答無用の攻撃。

 僕はただ、かわし続けることしかできなかった。


「彼らはなぜ殺された!? G.O.Dだからか!? 人間だからか!? ――人が殺される理由なんて、どこにある!!」


 轟音と共に、振り下ろされた大剣が地面を砕き、壁をえぐる。

 破片が弾け飛び、僕の身体が吹き飛ばされた。


「この世界を歪めてるのは――貴様ら《吸血鬼》だ!!」


 背中を打ちつけたコンクリートの冷たさが、冬の夜の気温をまざまざと教えてくる。


 立ち上がりながら、僕は静かに呟いた。


「……僕たちだって……好きで人を襲ってるわけじゃない」


 足を引きずりながら立ち上がる。


「柚葉さんたちは、誰も襲わなかった。あの人たちは……ただ、静かに暮らしたかっただけなんです」


 赤い瞳。獣のように剥き出しの犬歯。

 そして、かつての“屍鬼”の名残り――鋭く伸びた爪が、無意識のうちに光を帯びていた。


(止まれ……俺は、誰かを……)


 その願いとは裏腹に、衝動が肉体を突き動かす。


 **


 四ノ宮も再び踏み込み、怒りを力に変えて大剣を振るう。


 僕はその斬撃をかわしながら、腕を振り抜いた。


 爪が空を裂き、四ノ宮の頬をかすめる。


(……影が……動いた?)


 その瞬間、彼の背に違和感が走る。


「ッ……誰かいる……後ろに?」


 祐は、音もなく“影”を滑るように移動していた。

 気づけば、四ノ宮の背後――彼の影の中に、静かに立っていた。


《シャドウグリム》――祐がシャドウグリムの能力を発現させた。




“夜に気配を感じたら、決して振り返るな。振り返れば、そこに《シャドウグリム》がいるから――”




 かつて、トレイナの館で目にした一冊の本。

 屍鬼の進化先、影を操る特異な存在について書かれた記述を祐は思い出す。




「くっ……!」


 警戒と本能が同時に働き、四ノ宮は瞬時に身を翻した。

 だが遅い――鋭利な爪が、彼の頬を浅く裂いた。




 影が蠢く。

 地面に落ちたふたりの影が、ねっとりと絡むように伸びて――重なった。




「これは……!」


 四ノ宮の足元を、黒い糸のような影が絡みとる。

 まるで意志を持っているかのように、じわりと侵食するそれ。


(……この感覚。あのとき、トレイナが使ったものと同じだ)




 祐の《影》と四ノ宮の《影》が、一本の“縄”のように結びついている。

 それはまさに、かつて祐自身が“縛られた”あの技――


 祐は、まるで生きた影のように身を滑らせ、四ノ宮の背後に忍び寄った――それはシャドウグリムの能力によるものだった。


「夜に気配を感じたら、決して振り返るな――振り返れば、そこにシャドウグリムがいるから……」


 かつてトレイナの館で読んだ一節が、僕の脳裏に鮮明に蘇る。


 その瞬間、四ノ宮は本能に逆らえず振り返ろうとした。


「く……ッ!」


 鋭利な爪が、彼の頬をかすり、浅い切り傷を刻む。

 そして、暗闇の中で影が伸び、祐と四ノ宮の足元が次第に絡み合い、まるで一つの存在のように連なっていった。


 これは、かつてトレイナが僕に授けた技――

 僕の影と四ノ宮の影が、一体となって相手を縛る、呪いのような力だっ



“エンド”として目覚めた、自分の中の何かがうねり始めていた。


 四ノ宮は、死を覚悟した。


 そのときだった。


「逃げてくれ――!!」


「!?」


 叫びだった。


「逃げてくれ!人殺しに……僕をしないでくれッ!!」


 仮面の奥の瞳が、赤く光る中で――


 確かに、涙を流していた。


「僕は……人なんて殺したくない……!!」


 四ノ宮は絶句した。


(……吸血鬼が……泣いてる?)


 衝動に呑まれながらも、必死にそれに抗うように。


 ――その姿が、どこまでも“人間らしかった”。


 そして、四ノ宮の中で、何かが揺らぎ始めていた。




 四ノ宮が逃げた後




「血が……血が欲しい……ッ」


 喉の奥が焼けつくようだった。

 頭の中はもう真っ白で、理性という理性が吹き飛んでいた。


「血をくれよォ……!」


 それは叫びというより、獣の唸りに近かった。

 吸血鬼の吸血衝動――それは、気が狂うほどの苦しみだ。

 痛みではない、飢えでもない。

 ただひたすら、“欲求”だけが肉体を支配していく。


 エンドは地面を這い、爪を突き立て、狂ったように暴れ回った。

 全身が軋み、胸の奥が焼ける。

 何かを壊さなければ、耐えられない。


 その時だった――


 背後に、微かな気配。


 本能が反応し、鋭利に伸びた爪を後ろへ振るう。



 ブシュッ――!


 血のにおいが鼻を突いた瞬間、夜の冷気にその香りが溶けてゆく。

 冬の空気はどこまでも澄んでいて、だからこそ――彼女の血の匂いも、すぐに届いた。



「……エンド」


 優しい声が耳に届いた瞬間、動きが止まる。


 そこにいたのは――セレナだった。


 彼女の腕には爪の痕が刻まれ、血が流れていた。


「だいじょうぶ……」


 その言葉とともに、セレナは何も言わず、静かにエンドを抱き寄せる。


「……!」


 傷つけたはずなのに、彼女は微動だにせず、ただ包み込むように僕を抱きしめていた。


 その胸元から、流れる血が口元に触れる。


 舌先に、それが触れた瞬間――


 視界が、溶けた。


(……ああ……)


 甘く、温かく、優しい。

 それはまるで、世界中の赦しを凝縮したような、幸福そのものだった。


 暴れていた身体から、徐々に力が抜けていく。


 その中で、セレナの声だけが、遠くで何度も繰り返されていた。


「……だいじょうぶ……」

「もう、大丈夫だから」


 その声は、まるで雪のように静かで、やさしかった。


 終わりない吸血衝動を、銀色の冬が照らした。





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