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第23話 その剣は誰のために

 ――G.O.D日本支部、作戦会議室。


 壁際に掲げられた、ひとつの写真。

 痩せた男の顔が、白黒でそこに写っている。


「本日未明、上等隊員・根津伶牙が殉職した」

 上官の声が、会議室に平坦に響く。

「任務中の戦闘による死亡。対象は吸血鬼――No.96、“人形の吸血鬼”」


 誰も泣かない。誰も声を発さない。

 椅子に深く腰掛けた者も、直立した者も、ただ沈黙を守っていた。

 ――それが、“杭”という組織のやり方だった。


「同時に報告があった通り、第3区周辺における吸血鬼の反応は、近頃急速に活発化している」


 上官は手元の資料を掲げ、続ける。


「5年前、この区域ではG.O.D隊員を複数殺害し、民間人にも甚大な被害を出した吸血鬼が潜伏していた。記録上は“消失”とされているが――今もなお行方は掴めていない」


 一瞬の静寂の後、上官の口から淡々とした命令が下る。


「そして、来たる12月24日。

 第3区吸血鬼掃討作戦を――決行する。」


 乾いた声が、まるで処刑命令のように静かに下された


 ――この作戦は、

 **“血の降る聖夜”**として、後に語り継がれることになる。






 淡い蛍光灯の光の下、セレナは一人の上官と対面していた。

 テーブル越しに座るのは、灰色のスーツに身を包んだ男。年配で、冷えた眼をしていた。


「――セレナ君。さっき本部から正式な指令が下った」

 男は手元の端末を操作しながら言った。

「第3区の吸血鬼掃討作戦が決行される。」


 セレナは黙ってその言葉を受け止めた。表情は崩れない。

 しかし、その指先がわずかに揺れたのを、男は見逃さなかった。


「君は光滅騎士団の出身だ。今はG.O.D所属とはいえ、あの“英雄の系譜”に連なる存在だ」

 男はゆっくりと言葉を選びながら続けた。

「**君ほどの戦力は、我々には他にいない。**だからこそ、君の考えを聞きたい」


「……任務に従え、という意味ではないのですか?」


「従えとは言っていない。“聞かせてくれ”と言ったんだよ、セレナ君」

 男は笑みを浮かべたが、その眼は一切笑っていなかった。


「――第3区。“Yume”という喫茶店の存在は、我々も把握している」

 男の声は低く、淡々としていた。

「以前から監視対象ではあった。表向きはただの喫茶店。だが、吸血鬼が匿われているという報告が最近増えている」


 セレナは表情を変えずに耳を傾けていたが、心の奥にかすかな緊張が走る。


「君がそこに出入りしていたのも、我々は知っている。

 調査名目での接触とはいえ、“同情的な態度”が報告されている」


 その言葉に、セレナのまつ毛がわずかに揺れた。


「……本当に調査だったのか? それとも――そこに何か、“情”があったのか?」


 男の声は、決して怒鳴らない。

 だが、その静かさこそが重圧となってセレナの胸を締めつけた。


「君は元・光滅騎士団。今はG.O.Dに身を置く剣士だ。

 だが――その剣は、誰のために振るわれる?」


 セレナは目を伏せ、長く息を吐いた。

 そして静かに言った。


「……私が守りたいのは、“吸血鬼”そのものではありません」

「ただ、“戦いたくない者”が、“戦わされずに済む場所”――それが、Yumeだっただけです」


 男の手元の端末を打つ指が、一瞬止まった。

 彼は視線を向け直すと、さらに問いかける。


「ならば、どうする?」

「このまま作戦が実行されれば、その“場所”は潰える。君はそれを、見届けるつもりか?」


 沈黙が流れた。


 やがて、セレナはゆっくりと顔を上げた。

 その目には、かつてのような燃える信念はない。

 だが、その代わりに、誰にも侵せない、静かな意志の光が灯っていた。


「……私は、私のやり方で動きます」

「組織に従うだけの剣では――いたくありませんから」






 その石は、静かに名を刻みながら、ただ死を伝えるだけに在った。

 その石の前には、一人の若い男が立っていた。まるで、言葉を持たぬ故人と対話するように。


 四ノ宮凛――G.O.D所属の若き隊員であり、根津伶牙のかつてのバディだった。



 空は曇りがちで、時折、冷たい風が吹き抜ける。

 墓地の空気は凍えるほど静かで、木々の枝が微かに揺れる音すら、やけに大きく感じられた。


 四ノ宮は姿勢を正し、墓前に向かって声を張る。

 その声は訓練通り、軍事的で、無機質で――けれど、どこか震えていた。


「根津伶牙・上等隊員。戦闘任務中の殉職に伴い、特別昇任。準特等特級隊員に列す。」


 敬礼の動作を取りながら、四ノ宮は唇を噛んだ。


「……本来は、戦果を重ねた者にしか届かない階級です」

「皮肉ですね……あなたは、死んでようやく“上”から評価された」


「……あなたには、いろいろ教わりました」

「戦い方も、任務の冷酷さも……でも、それ以上に――“何を守るべきか”を教わった」


 言葉の最後は、かすれていた。

 彼の表情は変わらず凛としていたが、肩がわずかに震えていた。


「だからこそ……あなたには、死んでほしくなかったんです」


 そう呟いた瞬間、堪えていた涙が一粒、頬を伝った。

 冷たい風がそれを撫で、すぐに乾かしていった。


 四ノ宮は静かに目を閉じた。

 風が木々の葉を揺らし、遠くで小鳥の声がかすかに聞こえる。

 その音すら、まるで祈るように、墓前の空気を包んでいた。


 やがて、彼はゆっくりと敬礼を解き、振り返らずにその場を去った。

 背筋は伸びていたが、その歩みは――どこか、痛々しかった。

 霜を踏む足音だけが、ひとつ、またひとつ、冷たい冬空に吸い込まれていった。







 Yumeの暖簾が下ろされ、街の喧騒が一段落した深夜。


 照明を落とした店内に、静かに扉の音が響いた。


「すみません、今日の営業は終わって……ああ、君か。どうぞ奥へ」


 その声に、カウンターで後片付けをしていた老人が顔を上げる。

 扉の先に立っていたのは、フードを深く被った一人の女性――セレナだった。


「……どうぞ。奥の個室へ」


 老人の言葉に頷くと、セレナは店内を横切り、奥の仕切られた扉を開ける。

 そこにはすでに、祐と響華が静かに待っていた。


 扉が開かれた瞬間、

 そこに立っていたのは、光そのものを凝縮したような気配を纏う女だった。

 銀糸の髪がわずかに揺れ、その全身から、凍てつく冬を断ち割るような冷たくも凛とした銀色のオーラが滲み出ている。


 その一歩で、空気が変わった。


 響華は即座に立ち上がり、身構える。


「……誰?」


 低く放たれた声に、祐がすぐ応じた。


「……味方だ。信じていい」


 だが、響華は動かない。

 その女を、じっと睨むように見据えたまま――


「“味方”ね……根拠は?」


「今は、話を聞いてくれるだけでいい」


 祐の静かな声音に、響華はわずかに舌打ちしながらも、ゆっくりと腰を下ろした。


「……話くらいは、聞くだけ聞くよ」


 その目はなお、セレナに対する疑念を宿したままだった。


 祐が立ち上がる。


「……セレナ。こんな時間に……」


「人目を避けたかったの。今日の話は――それだけ重いってことよ」


 その声色には、普段よりも一段深い緊張が宿っていた。

 セレナはゆっくりと席に腰を下ろし、持っていた小さな紙包みをテーブルに置く。


「これは、G.O.Dの作戦文書。12月24日、第3区にて――吸血鬼の大規模掃討作戦が決定されたわ」


 沈黙が落ちる。



 祐は黙ったまま資料を手に取る。視線が鋭くなる。


「どのくらいの規模なんだ?」


「“殲滅”を前提とした部隊編成。Yumeも、監視対象に含まれてる」


 その言葉に、響華の指がピクリと動いた。


「つまり、私たちは“最初から殺す対象”ってわけか」


「……ごめんなさい。本当は、もっと早く伝えたかった」


 セレナは静かに頭を下げた。


「……それでも、私は“あちら側”に立っている。次にここに来る時は、剣を持っているかもしれない。それでも、私は……この場所が失われるのは、見たくない」


 響華が目を細めた。


「……やっぱり、そっちの側の人間なんだな」


 その一言に、セレナは小さく目を伏せた。


 それを見ていた祐が、小さくため息をつく。


「伝えに来てくれただけでも、十分だよ。ありがとう、セレナ」


 セレナは目を合わせようとせず、そっと目線を逸らした。


 その沈黙が波紋のように広がり、冷え切った空気の中、個室にはただ静かな緊張だけが残されていた。

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