街は、クリスマスイブとは違う意味で“喧騒”に包まれていた。
祝福の音楽ではなく、悲鳴――
人と吸血鬼の、断末魔が入り交じる声が、ビルの谷間に木霊していた。
血の匂いが漂い、遠くで爆発音が響く。
どこかの建物が崩れた音がした。だが、誰も足を止めない。
止めれば、次は自分が“消える”からだ。
G.O.Dの隊員たちは、統制された動きで次々と区画を制圧していく。
その中で、黒瀬の落ち着いた声が無線に乗って響いた。
『こちら黒瀬、目標地点を確認した。』
『了解した、各班は支援体制に入れ』
『……黒瀬と冴島で
短く、それでいて重みのあるやり取りだった
『こちら荒井。目標を視認した。人形の仮面の吸血鬼――ナンバー96。これより戦闘に入る』
無線の向こう、司令部が短く応じる。
『確認した。引き続き制圧を最優先とする。応援要請があれば即座に伝えろ』
荒井は無言で無線を切ると、隣を走る四ノ宮へ目を向けた。
その目の先――
路地の先に立っていたのは、冷たい仮面をつけた女吸血鬼。
まるで感情のない“人形”のように、ただ静かにそこに立っていた。
「……ナンバー96……!」
四ノ宮の喉が、かすかに震えた。
「根津さんの、仇……!」
拳を強く握る。
冷たい風が頬を叩きつけても、その熱だけは冷めなかった。
(俺が……決着をつける)
隊列の隙間を抜け、四ノ宮は一歩、前へと踏み出した――。
「冴島、突入するぞ」
「……おう」
黒瀬の号令と同時に、二人は一気に《Yume》の外壁へと突撃した。
バァァン――!
破砕音が夜を切り裂く。
壁が崩れ落ち、粉塵が舞う視界の中から――
現れたのは、“それ”だった。
全身を血の鎧で覆った吸血鬼。
その姿は人とはかけ離れ、両腕は鉈のように湾曲した赤黒い刃へと変化していた。
その血の鎧には、まるで感情の代わりのように**無数の“目”**が浮かび上がっていた。
どれも見開かれたまま瞬きもせず、こちらを睨みつけている。
意志なき殺意だけを帯びて、沈黙のまま“戦場”に立っていた。
まるで意思も言葉も持たず、ただ殺戮のためだけに生み出された兵器。
「……お前は、あの時の……」
黒瀬が一歩前に出る。
かつて戦場で見た悪夢が、今、再び現実となる。
吸血鬼は何も言わない。
ただ、静かに首を傾ける。
その動きだけで、殺気があたりに満ちる。
冴島がすっと構えを取る。
「やるしかないな。……あの夜の続きだ」
黒瀬が静かにそう告げると、指輪に宿るレヴナントが赤く脈動し始めた。
次の瞬間――
血のような光が彼の全身を包み、重厚な鎧が浮かび上がるように形を成していく。
鋭利な突起を備えた肩甲、厚く硬質な胸部装甲、そして――
右手に握られたのは、斧と槍を融合させた巨大な武器。
振れば大地を割り、突けば鋼をも貫くその異形の刃は、まさに“殲滅”のための兵器。
それはかつて彼が目の前の吸血鬼と交戦した際、その戦闘スタイルを模して生み出したもの。
“力には力で対抗する”――その執念が、武器の形となって現れた。
黒瀬の発動に続き、隣に立つ冴島も静かに指輪に触れた。
何の言葉も要らなかった。
瞬間、彼の足元から重く鈍い音を立てて、血鉄のようなエネルギーが噴き上がる。
それは一気に冴島の全身を這い上がり、頑強な装甲へと変貌する。
黒瀬のレヴナントが「攻めの獣」なら、冴島のそれは「制圧の盾」。
左腕には巨大な鋼盾、右手には重力すら感じさせる戦鎚が現れる。
一撃で壁を砕き、あらゆる攻撃を受け止めるために作られた、“沈黙の防衛者”。
その武装もまた、過去に対峙した吸血鬼の破壊力と再生力を“完全に封じる”ために設計されたものだった。
冴島の目は、冷たく、正確に戦場を見据えている。
一切の感情も揺れもない。
そこにあるのは、ただ――確実に仕留めるための意志だけだった。
戦場に響いたのは、重低音のような地鳴りだった。
血の鎧に全身を包んだ吸血鬼が、無言のまま一歩を踏み出す。
その動きは獣ではない。だが、人のそれでもない。
冷静で、無駄がなく、圧倒的な力強さと速さを備えた“完全な戦士”の姿だった。
「俺がいく、冴島、援護頼む!」
「了解した」
黒瀬の手に握られたのは、斧と槍を融合させた巨大なレヴナント。
両断と刺突、両方を備えた殺意の塊が、風を切って吸血鬼へと迫る。
ズバッ!!
だがその一撃は、吸血鬼の前ではあまりにも軽い。
血の鎧がまるで生き物のように脈動し、刃が吸血鬼の呼吸に合わせてわずかに震えた。
まるでそれは、意思ではなく本能だけで動く生物兵器だった。
「……!? 受けた……のか?」
黒瀬の表情に、わずかな困惑が走る。
その隙を突くように、吸血鬼の肘から突き出た血の刃が、背後から迫った。
「甘い!」
冴島が鋼盾で割り込んだが――
ガギィィィィ!!
盾が砕けるような音が響く。冴島の体が後方へ弾き飛ばされ、電柱に激突した。
「っぐ……クソッ……!」
口元から血が滲む。冴島は盾を立て直し、すぐに立ち上がるが、明らかにダメージは深い。
(速すぎる……そして、力も重すぎる……)
「こいつ、今までの奴らとは桁が違う……!」
黒瀬が言葉を吐き出す間にも、吸血鬼は間合いを詰めていた。
一瞬の視界に入るのは、無数の血の刃。
それは武器ではない――もはや“本能そのもの”だった。
「ぐっ――!」
黒瀬の斧槍が軌道を変え、三連撃を繰り出す。
だがどれも空を斬る。吸血鬼はその重さに頼った攻撃の隙を、すべて読み切っている。
そして、反撃。
ドンッ!
肩口に鋭く突き立つ血の刃。黒瀬の肩が裂け、血が飛び散る。
「黒瀬ッ!」
冴島が横から飛び込み、盾で追撃を逸らす。だが、その隙に吸血鬼の爪が、彼の腹部を裂いた。
「ぐあっ……!」
冴島が膝をつく。その目にはまだ闘志が残っていたが、動きが鈍い。
「くそっ……持たねぇぞこれ……!」
二人とも、既に満身創痍だった。
斧槍の刃は鈍り、盾の表面はひび割れ、戦鎚の振りも重たくなっている。
そして吸血鬼は――未だ一言も発さず、表情すら変えない。
血の刃が再び宙を舞い、夜の空気を裂いた。
黒瀬と冴島の体はすでに傷だらけだった。レヴナントで覆われた防具の継ぎ目には細かな裂傷が走り、呼吸も荒い。けれど――二人の眼差しにはまだ光が宿っていた。
「……冴島、やっぱこいつ、動きが読みづらい」
「ああ、だが完全に無軌道じゃない。防御に入った瞬間、左肩が甘くなる。さっきの攻撃で確信した」
「そこを狙う。俺が囮になる。お前の盾、もう少しだけ頼めるか?」
「何度でも貸してやるよ。お前の無茶を受け止めるのが、俺の役目だ」
小さく笑ったその瞬間、吸血鬼が再び動いた。
地を滑るような速さで距離を詰め、右腕から伸びた血の刃が横一文字に振るわれる。
黒瀬が前に出る。
「構えろ!」
斧槍の巨大な刃が、吸血鬼の攻撃と激突する。
火花と共に衝撃が走り、黒瀬の足元が砕けた。
「……まだまだ!」
吹き飛ばされかけながらも、その勢いを活かして斧槍をぐるりと回転させ、吸血鬼の視界を奪う。
「今だ、冴島!!」
冴島が飛び込む。
盾を前面に出し、敵の視線を引きつけるように突っ込む。
その瞬間、吸血鬼が鋭く反応し、血の槍を突き出した。
「――そう来ると思ったよ」
冴島は槍の軌道を読み、盾を傾けて受け流す。
わずかにできた空白。そこへ、彼の戦鎚が叩き込まれる。
「喰らえ……ッ!!」
ガンッ!
鈍い音と共に、吸血鬼の左肩が弾ける。血の鎧が大きく歪み、肉の奥が露出した。
(血の鎧が、明らかに“後退”している……)
戦いの中で初めて、奴が“防御”を選んだ。
冴島は確信した。この一撃は、“届いた”。
「よし、通った!連携維持!」
「詰めるぞ!」
その瞬間――吸血鬼の“鎧”に浮かぶ無数の目が、一斉にこちらを睨んだ。
感情など宿していないはずのそれらが、まるで“怒り”を訴えるかのように、黒瀬と冴島の動きを追っていた。
黒瀬と冴島が、互いに息を合わせて動き出す。
「――この1年、何度も模擬戦を繰り返してきた。全てはこの瞬間のために。」
黒瀬の斧槍が上段から振り下ろされ、吸血鬼の頭部を狙う。
吸血鬼がそれを避けようと後退した瞬間、冴島が横から盾を叩き込んでバランスを崩す。
「盾を使って体勢をずらす……いけるぞ!」
「次、左斜め下から突く!お前は右へ流せ!」
「了解!」
斧槍がうねるように突き出され、吸血鬼がそれを迎え撃とうと動いた瞬間――
「そこだ!」
冴島が背後から再び戦鎚を振り上げた。
連携はもはや呼吸のようだった。
五年前ではできなかった動き。
だが今の二人は違う。
「お前の動き、見えてきたぜ……!」
黒瀬が一歩踏み出す。冴島がその背を守る。
血の鎧が再び盛り上がり、吸血鬼が大きく跳躍しようとする。
「逃がすか!!」
冴島の盾が空を裂き、その跳躍を潰す。
黒瀬が下段から突き上げ、刃の先端が吸血鬼の腹を貫こうとした――
ガギッ!
またしても血の鎧が間一髪で受け止めたが、今までとは違った。
鈍い呻きのような、血の滲む音。
(通ってる……こいつに、“痛み”がある)
「冴島……もう一押しだ!」
「行け、黒瀬!」
二人の連携は、まるで一つの“武器”のように洗練されはじめていた。