夜は深く、空には雲が垂れこめていた。
焦げた鉄と血の匂いが、風に乗って街の隅々にまで染みついている。
かつて
瓦礫が転がり、倒壊しかけた建物の隙間からは、赤く染まった煙が立ち昇っている。
「……終わらせる時だな」
黒瀬が呟いた。
その隣で、冴島がわずかに顎を引いて頷く。
互いに傷だらけだった。
レヴナントはすでに限界を迎え、装甲は剥がれ、武器もひび割れている。
けれど――足は止まらない。
すでに撤退はない。
後に残るのは勝利か、死だけだ。
そして――
その瞬間、吸血鬼の背に、再び血の鎧が盛り上がった。
黒い蒸気のような霧が立ち上り、肉の裂け目から血が溢れ出す。
それを喰らうように纏う“鎧”は、もはや自我を失った本能そのものだった。
まるで死を悟った“それ”が、自らを限界まで燃やしているかのようだった。
その肉体は、もはや戦士のそれではなかった。
血と肉が混ざり合い、関節は逆に折れ曲がり、両腕の刃は骨を突き破って伸びていた。
全身を蝕む痛みすら、もう感じていない――そんな、“最期の爆発”だった。
「まだ動けるのかよ……!」
黒瀬が吐き捨てた瞬間、吸血鬼の身体が霞のように揺らめいた。
地を裂く一閃。
音よりも先に、冴島の盾に衝撃が突き刺さる――
ガギィィィン!!
鋼が裂ける耳障りな音と共に、冴島の身体が吹き飛ぶ。
背後の瓦礫に激突し、全身を激しく打ちつけた。
それでも立ち上がる冴島。
だが、左腕は明らかに折れていた。盾は真っ二つに割れ、役目を終えたかのように地面に転がっていた。
「冴島ッ!」
黒瀬が駆け出すが、その前に吸血鬼が躍り出る。
黒瀬の斧槍が咄嗟に振るわれた――
ギャリィッ!!
火花が弾け、黒瀬の肩が裂ける。血が噴き出し、彼の片膝が崩れた。
(速い……重い……! さっきまでの動きじゃない――)
吸血鬼の血の鎧が脈動するたび、空気が震える。
背から無数の“血刃”が咲き乱れ、鞭のように暴れ出す。
それはもはや技術ではない。怒りでもない。
“滅びゆく者の咆哮”だった。
「止まれ……止まれよ……!!」
黒瀬が叫び、斧槍を振り上げる。
だが、その一撃は吸血鬼の鉈のような腕に弾かれた。
冴島が後ろから突進する。
戦鎚が振るわれる――
吸血鬼は受けるでも躱すでもなく、そのまま真正面から衝突した。
ゴガァッ!!
肉が裂ける音、骨が砕ける音が重なり合い、地面が砕けた。
冴島の鎧にヒビが走る。だが、それでも――
「俺は止まらねぇッ!!」
折れた盾の破片を拾い、左腕で無理やり防ぎながら吸血鬼に再度突撃する。
黒瀬が再起し、再び前に出る。
「お前だけには……! やらせてたまるかッ!」
二人が交錯する。
一撃。
二撃。
三撃。
全身の骨が悲鳴を上げる。
血の刃が皮膚を裂き、レヴナントの装甲が次々と砕け落ちる。
吸血鬼も同じだった。
血の鎧はもはや形を成しておらず、赤黒い肉がむき出しになっていた。
それでも前に出る。何かを振り切るように、ただ“前に”跳ぶ
その時――
「終わらせるぞ……!」
冴島が跳躍。
逆さに振り下ろされる戦鎚が、吸血鬼の胸元を粉砕する。
ゴギィィィッ!!
衝撃が地面を貫き、粉塵が宙を舞う。
黒瀬が吼えるように、折れた斧槍の柄を吸血鬼の顎に叩き込み、首筋へ――最後の刃を突き立てた。
静寂。
血の鎧が音もなく崩れ、風に溶けていく。
やがて、その場に倒れた吸血鬼の肉体が、地面に沈み込むように力を失った。
――戦いは、終わった。
冴島が叫ぶ。「やった……! 黒瀬、やったぞ!!」
黒瀬は肩で息をしながら、立ち尽くす。
「……ああ、今度こそ……倒した……」
二人の顔に、確かな達成の色が浮かぶ。
冴島は膝をつき、空を仰いだ。
「……夜明けが来るかもな」
「冬だぞ。まだ真っ暗だ」
黒瀬が冗談めかして返し、わずかに笑い合う。
だが――その静寂の向こうで。
やがて、粉塵の向こう――
崩れた瓦礫の中に、吸血鬼の亡骸が沈んでいた。
もはやその姿は、人のものでも、戦士のものでもなかった。
血と肉が混ざり合い、関節は逆に折れ曲がり、両腕の刃は骨を突き破って伸びている。
全身を蝕む痛みすら、もう感じていなかった。
それは、“最期の爆発”。
命の残滓を燃やし尽くして、ただ――何かを守るように、立ち向かっていた。
ふと、崩れた瓦礫の隙間から、赤く染まった一枚の紙が風にめくられた。
それは――色褪せた、小さな家族写真だった。
ぼやけた笑顔。手をつなぐ影。
どちらが吸血鬼だったのか、それはもう誰にも分からない。
ただ一つ言えるのは――
その死を悼む者は、もうこの街にはいない、ということ。
静かに、白いものが空から降りてきた。
東京の夜空に、初雪が舞い始める。
冷たく、やさしく、名もなき骸に降り積もる。
白は、何色でも覆い隠す。
それが“血”であっても、“記憶”であっても。
誰にも知られぬまま、音もなく。
それはただ、終わりを包むように――静かに、降り続けた。