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第6話 ドラマ

 星の勤務時間は、夜22時から翌6時までの8時間だ。途中休憩を30分挟むので、実質な労働時間は7時間半。時給は1100円だから、5日間働いても、手取りは20万に届かない。

 別に、今の生活を不幸だと思ったことはない。この選択をしたことを、後悔するつもりもなかった。与えられた仕事を時給制でたんたんとこなす今の職場には、人間関係のもつれも、嫉妬も、ゴシップも、何もない。20代前半に嵐のような生活を送っていたことを考えると、今の星はシェルターの中で安全に暮らす避難民だった。


 しかし、ときどき思うのだ。あらゆる雑音や衝撃から守られた今の生活には、刺激がない――と。星の若い本能は、ドラマを求めて疼いていた。もっとハラハラする刺激を俺にくれと、大声で叫びたかった。


(最近は、ちょっと楽しかったな)


 慎也が2日連続で来店してくれたり、ルキが浮気相手の亭主から焼きを入れられている現場に遭遇したり――。正直、漏らしちゃうかと思うほど怖い瞬間もあったが、再び平穏が訪れた今となっては、懐かしくもある。


(ドキドキするって、どんな感情だろう)


 今の星は、身を焦がすようなあの感情すら、忘れかけていた。それもこれも、この生活にドラマがないからだ。

 どうしたら、ドキドキできるのだろう?

 そうだ。今この瞬間(24:52)、慎也さんかルキが目の前に現れたら、それはこれ以上ないほどのドラマだ。ドキドキして、ハラハラして、俺は飛び上がるだろう。

 そんな、馬鹿げた妄想をしたときだった。


 ちゃらららら、ちゃらららら~


 お決まりの、入店音が響く。

 現れたのは――、慎也だった。

 びっくりし過ぎて、星の口からは「いらっしゃいませ」のひと言すら出てこない。

 慎也はと言えば、星のほうに視線を投げたかと思うと、居心地悪そうに店内ぐるぐると回っている。いつも買っているエナジードリンクやパンを手にする素振りすら見せない。なんだか、飼い主を見失った犬みたいだった。

 そのとき、星は100年分の勇気を振り絞った。

 本来ならこんなことをしてはいけないのだが、レジカウンターを飛び出し、慎也のほうまで近づいていく。

「あ、あの……」

 俺、最高に気持ち悪い顔してるだろうな――。そんな自己嫌悪を抱きながら、必死に慎也に話しかけた。

「な、なにかお探しでしょうか?」

 慎也は、少し驚いた顔をして星を見つめた。いつもは冷静な色を放つ瞳が、一瞬だけ揺らぐ。その変化すら愛おしく、星の頬が赤くなる。

「いえ、実は……買い物に来たわけじゃないんです……」

 きまり悪そうな顔で、慎也は言った。用もないのに、夜中にコンビニまで来る奴がいるか――。その突っ込みを封じ、星は次の言葉を待った。

「実は……あなたに……室井さんに、用事があって」

「俺に?」

 慎也が自分の名前を覚えてくれていたことは、素直に嬉しかった。しかし、目の前の慎也は星以上に挙動不審で、ジャケットの胸ポケットをしきりにいじっている。

 不自然な動作を30秒ほど続けたあと、慎也はポケットから封筒を取り出した。コンビニのロゴが印刷された、見覚えのある封筒だ。中に入っているものが何だか、星は知っていた。

「この間発券してもらったチケットの公演なんだけど、連れが行けないって言い出して、もし迷惑でなか――」

「行きます」

 食い気味に、星は言った。

 その日にシフトが入っていないか、ギリギリの生活の中でチケット代を捻出できるのか、よく知りもしない男と出かけるなんて無防備すぎるんじゃないか――。そんなことは、どうでもよかった。

 星は、このシェルターから飛び出したかった。

 安全圏を離れ、ハラハラするドラマに身を投じたかった。


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