タクシーで15分ほど走った先に、慎也の住むマンションはあった。
おしゃれな慎也のことだから、デザイナーズマンションにでも住んでいるのかと思ったが、ファミリー層にも貸し出しているような5階建てのマンションだったので驚いた。もちろんエントランスにコンシェルジュなどいない。オートロックを解除しエレベーターに乗ると、あっという間に慎也の住む部屋に着いた。
自分は、慎也に高尚なイメージを持ち過ぎていたのかもしれない。
しかし、それは心地よい裏切りだった。どんどん慎也が自分のほうに近づいてきてくれているようで、嬉しかった。
「つまんない部屋だって思った?」
「いえ……」
つまらなくなどない。玄関から入ってすぐ横にあるダイニングは、男の一人暮らしとは思えないほど片付けられていた。やはり、慎也は几帳面な性格なのだろう。
慎也は冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを2本取り出すと、1本を星に手渡してくる。
「ソファもない、テレビもない。ここに連れて来られた子は、みんながっかりするんだよ」
ダイニングテーブルから椅子を引き、慎也はそこに座った。ペットボトルの水を飲みながら、上目遣いで星のほうを見てくる。それが「座って」と言われているように感じて、腰の奥がきゅっと疼く。紳士的なくせに、相手に何をさせるかは慎也がすべて決めている――。その強引さに、星はぞくぞくした。
「みんなって……」
「女の子たち」
「でも、さっき……」
「付き合いで、女の子を呼ばなきゃいけないときもあるんだ。勝手に来て、勝手にがっかりされる。たまったもんじゃない」
ペットボトルの飲み口を唇で覆い、慎也は中身をごくごくと飲んでいく。噛みつくような仕草も、豪快に喉を鳴らす姿も本能への忠実さが感じられる。果たしてこの人は、俺に本能を見せてくれるのだろうか――。
「俺は、好きです」
「そりゃどうも」
「この部屋も……あなたも……」
慎也が、ペットボトルから口を離す。そして、星と正面から向かい合うように、姿勢を変える。劇場にいたときよりも、バルに立ち寄ったときよりも、タクシーで並んで座ったときよりも、慎也が近くに感じられる。
「単刀直入に聞くけど、俺のことどう思ってた?」
「かっこいいって思ってました。できるリーマンぽくて、なのにスーツは着てなくて……今風の成功者って感じ」
「スタバでグランデ飲んでる感じ?」
「グランデ飲みながら、マックのエンターキーを派手に叩いてそう」
「リーマンっていうより、IT企業の若手社長って感じかな」
「わかります。電子版新聞に、写真つきのインタビュー記事掲載されてそう」
会話が、口からテンポよくぽんぽん飛び出す。気負わず人と話せるなんて、何年ぶりだろう。慎也は、星が失っていたものを取り戻してくれる。
「俺って、どんなイメージ持たれるんだよ」
ペットボトルで肩をとんとん、と叩きながら慎也が笑う。笑うと、白い歯が口からのぞく。意外にも慎也の歯は小さくて、そこが「可愛い」と星は思ってしまう。
「俺は、最初にコンビニで見たときから、慎也さんのことかっこいいって思ってました」
「マジで? 今は?」
「今も好きです」
重過ぎる言葉が、口からぽろりと零れる。
言った瞬間「しまった」と思ったが、後悔はなかった。その言葉は、放たれる瞬間をずっと待っていたように思えたから。
「好きです」
ほら、二回目もすんなり口から出てくる。
「俺も、好きだよ」
当然のように言われ、全身が溶けてしまいそうだった。
もっと、言ってほしかった。もっと、慎也の「好き」をわからせてほしかった。
「君に会いたくて、用もなくコンビニに通ってた。怪しまれないように、水曜日だけ」
「これからは、毎日来てください」
「いや、今度は君のほうから、来てくれ」
慎也が、ダイニングテーブルから立ち上がる。
近づくにつれ、体の細部がはっきり見えてくる。Tシャツの襟元からのぞく鎖骨と、その窪みに浮かぶ黒い影。その下には逞しい胸筋があるはずで、今はただ布地を押し上げるばかりになっている。
あの、逞しい体に組み敷かれたい。
張りのある胸に指を這わせ、頬を擦り寄せたい――。
「今、何を考えている?」
いつの間にか、慎也が星の背後に回っている。
両肩を抱かれ、首筋に息を吹きかけられた。
「ひゃ……っ」
全身に、鳥肌が立つ。こそばゆくて仕方ないのに、慎也が肩を強く抱いてくるものだからどこにも逃げ場がなく、愛撫をただ受け入れることしかできない。
何もできないでいると、いつの間にか舌を這わされていた。
「あ……あぅ……っ」
椅子にほとんど拘束された状態のまま、薄い肌をただただ慎也の前に晒す。ザラザラした舌面が肌の上を滑るように走り、星の血が、肉が、欲望が沸き立っていく。初めて出掛けた日の夜にこんなことをされるなんて――。戸惑いはあったが、突然降りかかってきた幸運を喜ぶ気持ちのほうが、何倍も大きかった。
「今日、いきなりだなんて失礼かと思ったけど……」
甘い言葉が首筋を濡らす。たったそれだけで脳みそがぴりぴりと痺れ、本能がその次の行動を求めてしまう。
「そんなこと、ない」
必死に、言葉を紡ぐ。何か言わないと、何かしないと――。気の利いたことを言わなければ目の前の男が逃げてしまいそうで、怖い。それなのに、星の口から出てきたのは、ひどく単純で、短い言葉だった。
「抱いて」