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第14話 再会

 星は、コンビニで働き始めるとき「できるだけ土日は休みたい」と店長に伝えていた。活動時間が夜になる分、人との関りは少なくなる。せめて土日だけは休みにして、社会との接点を持ちたいと思ったからだ。

 しかし、今週は慎也と観劇する予定があったので、珍しく金曜日を休みにしていた。その影響で、土曜日の夜にシフトを入れられていた。

 朝、慎也のマンションから自分のアパートに戻って、なんとか休息を取ろうとしたが、脳が興奮していたせいか2時間ほどしか眠れなかった。寝ぼけ眼で出勤すると、いつも以降に店が混んでいたので、驚いた。

「近くで、コンサートがあったみたいなんですよ」

 引き継ぎの際、大学生のアルバイトにそう言われた。コンサートか……。俺と慎也は昨晩舞台を観たけれど、この連中も今から恋人との第二幕があるのだろうかと、ふとそんなことを考えた。

 世の中の恋人は、「自分たちが一番幸せ」と考えるものだ。実際、星自身も「一番ラブラブなのは俺たちだから」と変な自信を持っていた。

 だからだろうか――。昨晩のうまく行き過ぎた「デート」とコンビニ夜勤のギャップにさらされながらも、星はたんたんと仕事を進めることができた。

 客をさばき、その合間に品出しをし、床を掃除し、チキンを揚げ――。忙しく過ごしていくうちに、4時、5時、6時と時間が経っていってしまう。

 昨晩はついうっかりしていて、慎也と「次会う」約束をしないで別れてしまった。でも、もう今から次のデートの妄想が止まらない。慎也はグルメのようだから、今度は自分が好きな店に誘ってもいいかもしれない。ご飯を食べ終わったら街歩きをして、カフェで休憩して、それから、それから――。

頭の中までも慎也に支配されて、それ以外は何も考えられない。

 勤務中だというのに顔をにやつかせていた、そのときだった。


 ちゃららららら、ちゃらららら~


 甘美な思い出を打ち砕くように、入店音が響く。

 夜を孕んだ、眠たげな風が店に吹き込んでくる。

 そして漂う、レモンのようにすっきりとした香り。

 体の熱も、疲れも、眠気も、すべて吸い上げるかのように現れたのは――ルキだった。


ルキは、商品を取るでもなく、店内をふらつくでもなく、レジまでやって来た。

「よぉ」

 幼さの残る声が、店内に響く。

 星は、とっさに周囲を見渡した。

「あんたしかいねーだろ。あんたに言ってんだよ」

 それは、そうだろう。

 しかし、ルキの登場はあまりに刺激が強い。浮かれていたとはいえ、体は疲れ切っていたからなおさらだ。しかし、若さと活力に溢れた一人の男を目の前にして、疲れが確かに癒えていくのを、星は実感していた。

「い、いらっしゃい、ませ……」

「おどおどすんなって。今日は入れ墨野郎はいねぇよ」

 ルキは、ふぅ~っと息を吐きながら顔を上げた。

 額の左側にはには大きい絆創膏が張られ、目も若干充血している。眉の端にいくつか切り傷があり、いまだに血が滲んでいる。元の造作が美しいだけに、見ていて痛々しいほどだった。

「あの……」

「はぁ?」

「病院、行ったんですか?」

 恐る恐る、訊いてみる。あの晩、ルキは警察も呼ばず、慎也からの「資金」も突き返した。成人男性の身の振り方にいちいち口を出すつもりはなかったが、あどけなさの残るルキが一人で痛みと戦ったと思うと、星の胸も多少は痛んだ。

「いや、行ってねぇよ……」

 一瞬、ルキの瞳がきらりと光ったように見えた。

 横を向き、何かを憂うような表情を見せてくる。なんだか彼を傷つけてしまったようで、星も気が気ではない。

「あの――」

「この間は――」

 同時に、言葉が出る。

 気まずさと恥ずかしさ、それとくすぐったい気持ちがごちゃ混ぜになり、二人は顔を見合わせた。目の前では、ルキの切れ長の目がこちらをじっと見つめている。澄んだ瞳があまりに美しくて、星は言葉を継ぐチャンスを失った。

「この間は、悪かったな」

 そう言われ、星の思考が停止した。

(こいつ、わざわざ謝りに、コンビニまで来たのか――?)

 日曜日の早朝、自分が店に出ている時間を見計らって、何を買うでもなく、わざわざ――。

 見れば、ルキの顔もほんのりと赤くなっている。


(この見た目で、このキャラで、わざわざ謝りに来て、赤くなってる……)

(なんだよ、こいつ……)

(めちゃくちゃ、可愛いじゃん)


「にやにやしてんじゃねーよ」

 決まり悪そうにルキはそう言うと、「ホットコーヒー2つ」と、ぼそりと言った。

 笑いを堪えながら、星はレジ横のストックからカップを取り出した。

 カウンターに、寄り添うように並ぶ2つのカップ。

 あのジャージ女とはヨリを戻したのだろうかと、変な勘繰りをしてしまう。

「400円です」

「へーい」

 手渡された紙幣を受け取り、おつりを返す。

 その瞬間、ルキの手と星の指が触れ合う。

 白く長い指――しかし、触った感じはごつごつしていて、どこか力強さを感じられる。

「じゃ、おつかれさん」

 しばらくすると、コーヒーマシーンの向こうにカップをセットするルキの姿が見えた。ういーん、ういーん、とコーヒーの抽出音が店内に響く。

(ああ、もう帰っちまうのか……)

 客なのだから、当然だろう。

 でも、ルキが来てくれて嬉しかった。

 あの年代の男が、一人できちんと詫びと礼を言いにやって来てくれた。義理にでもちゃんと買い物をしてくれた。そんな優しさが、くさくさしていた星の気持ちを慰めてくれた。

 やがて、コーヒーの残り香とともに、ルキはいなくなった。

 ふと時計を見ると、6時40分を回ったところだった。

 不安が消えたわけではない。しかし、ルキの優しさに触れた今なら、あの狭いアパートでも自分を見失わずに済みそうだった。


「室井君、おつかれさま~」

 7時になると店員の数が1名から3名に増える。

 これは何かのバグなんじゃないかと思いながらも、星は朝勤のスタッフに引き継ぎをして、タイムカードを押した。

「なんか、にやついてない?」

「に、にやついてないですよ……」

 朝勤のスタッフから突っ込まれて、怪しさ100%の返しをしてしまう。

 気分が沈んでいるときにルキに会ったのだ。そりゃあ顔もにやつくだろう。

「ふらふらしないで、まっすぐ帰んな」

「……わかり、ました」

「あとさ、駐車場にヤンキーいたから、気をつけて」

「ヤンキー!?」

 この間の入れ墨男の顔が、脳裏に蘇る。ルキが謝りに来たと思ったら、今度は入れ墨男が逆襲に来たのか――? これ以上のトラブルはご免だった。

「そろそろ駐車場も混んでくる頃だから、室井君退勤がてら注意してきて」

「ええ~」

「ほら! 若いんだから!」

 そう言われると、ルキは嫌だとは言えなかった。

 暗い気分のまま店を出ると、コーヒーの香りが漂ってくる。

 眠たい頭をシャキッと起こしてくれる、心地よい香り――。それは間違いなく駐車場から漂っていた。本能的に、駐車場の車止めに腰を下ろしている「ヤンキー」を目がいった。


「ヤンキー」は右手にコーヒーカップを持ちながら、じっとこちらを見つめていた。

「おう、待ってたぜ」

 そう言いながら、「ヤンキー」は額の絆創膏を痒そうにぽりぽりと掻いた。


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