目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第16話 化粧

「――びっくりだろ? まさかあいつがホセだったなんて!」


 一週間後の土曜日――。星は慎也をデートに誘っていた。

 場所は、星の住む町から二駅離れた場所にある、ショッピングモール内のパンケーキショップ。前回、酒で少し失敗したので、スイーツを前に「健康的な」デートをしようという魂胆があった。

「慎也は……気づいた?」

 LINEや電話でのやり取りを重ねるうちに、次第に「慎也さん」は「慎也」になり、敬語で話すようなこともなくなった。日が経つごとに、自分たちが「恋人」っぽくなっていくのが、星は嬉しかった。

「いや、気づかなかったなぁ」

「結構顔に傷ついてたのに、どうやって隠したんだろ?」

「舞台俳優って、男も女もそれなりに化粧するからなぁ」

「へぇ、化粧!」

「傷も隠せるけど、顔だって変わる。あいつだって、日本人なのに完璧にホセになてったじゃないか」

「はは、確かに……」

 早朝の公園で、よれよれのTシャツにナポレオンジャケットを羽織っていたルキは、ノーメイクでも美麗な青年将校に見えた。でも、慎也が「化粧のせい」と言うなら、その通りなのだろう。

「……ところで、慎也はどうしてそんなに舞台俳優のことに詳しいの?」

 なんとなく話題を変えたくて、星は前から気になっていたことを訊いた。

「ああ、俺は俳優の宣材写真も撮るからね」

「せんざい……?」

 そーじゃねーよ、といった感じで慎也が唇を歪める。笑うと両頬にえくぼができて、普段のクールな彼とのギャップが愛おしくてたまらない。

「舞台俳優って、オーディション受けるときに履歴書と一緒に自分の写真も提出すんだよ。『俺はこんなにかっこいい役者です。だから使ってください』ってアピールするための写真だから、化粧もばっちり決めてるわけ」

「へぇ、なんか大変なんだね」

「役者も大変だけど、俺も大変だよ。撮った写真を今度はフォトショで加工して加工して……最後には別人のハイ、出来上がり!」

「すっげ、ひどい言いよう……」

 慎也の言い方が妙におどけていて、星はゲラゲラと笑った。

「でもさ、写真のほうが本物よりずっと見栄えがいいなんてこと、いくらでもあるんだぜ」

 そう言いながら、慎也はテーブルに置かれていたメニューを手に取った。

「当店おすすめ!」とステッカーが貼られたパンケーキの写真をとんとんと指さしながら、星にこう尋ねる。

「お前、このパンケーキが運ばれてきたとき、なんて思った?」

 慎也が言っているのは、この店の看板メニューである「米粉で作ったヘルシーチョコレートパンケーキホイップクリームのせ」をだった。名前の時点ですでに「ヘルシー」ではないと思ったが、五段重ねのボリューミーなパンケーキなら、そこそこお腹に溜まるだろうと思ったからだ。

 しかし、運ばれてきたのは、こぶし大の小さなパンケーキが縦に連なっただけのものだった。ホイップクリームにも写真のような光沢はなく、べしゃっとしたクリームがパンケーキの側面に塗りつけられているだけ。肝心の味はというと、やたら甘い米粉の塊といった感じだった。

「そんなもんか……」

「そんなもんだよ」

 星が少し寂しそうにつぶやくと、向かいに座った慎也は右手をにゅ、っと伸ばして星の肩をぽんぽん、と叩いた。

 星とて、本気で落ち込んでいるわけではない。

 でも、ささいな気持ちを汲み取って、しっかりフォローしてくれる慎也の優しさが、愛しかった。


 土曜の昼間とあって、ショッピングモールは人で溢れていた。腹ごなしにとモール内をぶらぶら歩いていても、走り回る子供や、磁石のようにぴったりくっついて離れないカップル、ベビーカーを押すお母さん、その後ろを荷物を抱ええっちらおっちら歩くお父さんにぶつかってしまう。

「自分たちだけの世界」が完結されている集団を見ると、星と慎也の二人だけが世界から取り残されているように感じた。星と慎也――。傍から見れば、友人同士が休日のショッピングを楽しんでいるように見えるだろう。けど、その実二人は恋人同士なのだ。それなのに、その他大勢のカップルと同じように振る舞えないのは、星はほんのちょっぴり寂しかった。

 星と慎也は、人波に流されるように、ショッピングモールの中央広場に行き着いた。そこには休憩用の椅子がたくさん並べられていて、買い物に疲れた人たちが腰を下ろしていた。

 二人も、そこに座った。「よっこらせ」と声が出てしまうのは、共に三十代が近いだろうか。

「疲れた?」

「いや……」

 そう言いながらも、パイプ椅子に深く座り、「ふぅ~」と大きく息を吐いてしまう。

「疲れては、ない。人に酔った」

「ふふ、正直でよろしい」

「こんなに歩いたの、久しぶりだよ」

「へぇ? 普段出歩かないんだ」

「だって、ここ2年コンビニの夜勤バイトしてるんだもん。人が活動する時間に、出歩いたりしないよ」

「へぇ」

 言いながら、慎也がこちらを見つめてくる。

 整った顔の中で睫毛が震え、目の下に濃い影を作っていた。つくづく、彫刻のような男だな――。そう思ったとき、慎也の目がきらりと光った。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?