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第20話 モデル

「はぁ?」

「あんた、何訊いてんの?」

「恋人なんて、いるわけないじゃん」


 そんな、月並みの言葉がルキの口から漏れていれば、星は安心したかもしれない。

 しかし、「恋人」という言葉を耳にした途端、ルキの目は陰り、もの悲しそうな光を星に投げかけた。

「こいびと?」

 ゆっくりと、ルキの口が動く。

 その間にも、カシャ、カシャ、とシャッター音が響いた。

「いないなぁ、随分……」

 そう言って顔を上げると、前髪が白い額にさらさらと落ちた。それだけで顔の陰影が濃くなり、ぐっと色っぽくなる。シャッター音が響く間隔も、どんどん狭まっていった。

「この間の女性とは、正式に別れたの?」

 突然、慎也が質問を投げかける。

「え? 別れるも何も、稽古場から近いアパートに住んでたから寄生してただけで」

「ルキくぅ~ん」と猫なで声を出し、深夜のコンビニでルキに甘えていたあのジャージ女。入れ墨男にルキが殴られていたとき大分泣いていたから、こっそり今のルキと会っているのではと思っていた。でも、ルキの様子を見ていると、ジャージ女とは完全に「切れた」ようだった。

「てゆうかぁ。星さん、なんでそんなこと訊くんだよぉ~」

 ルキの声に、普段の明るい調子が戻る。

「いや、なんか……。気になっちゃって」

「おいおい~、カレシの前でそんなこと訊いちゃだめだろぉ~。星さんが俺に気があるんじゃないかって、慎也さん勘違いしちゃうだろぉ~」

「馬鹿!」

 貴公子みたいな恰好をしながら、なんて下世話なことを言いやがるんだと、星は思った。しかし、二人に挟まれた状態の慎也はどこ吹く風だ。

「いいじゃないか、役者は恋をしなきゃいけない」

「それ言う~?」

「恋のひとつや二つしなきゃ、役に重みは出ないよ」

 そう言って、慎也は三脚から離れモニターが置かれたデスクに移動した。キーボードを操作すると、これまで撮影した写真がずらっ、とモニターに表示される。まるで魔法みたいだなと星は思った。

「ざっと撮ってみたけど、どう?」

 ルキも、一緒になってモニターを覗き込む。

「やっぱ、星さんと話してるときが、いい顔してる」

「俺もそう思う。星は、役者から表情を引き出すのがうまいな」

 褒められ、胸の奥がくすぐったくなった。

「時間もないことだし、選定は最後にやろう。もう一枚、役に寄せた写真があってもいいかもな」

「役?」

「もちろん、主役を狙ってるんだろ? オーロラ姫をキスで起こす王子様をさ」

 そう言えば、ルキがオーディションを受ける舞台は「眠れる森の美女(登場人物は全員男)」だったなと星は思った。大まかなあらすじとしては、星自身も「呪いで眠りに落ちたお姫様が、王子様のキスで目覚める」くらいしか知らない。でも、ルキはこれだけかっこいいのだ。ぜひ主役の王子様役を射止めてほしいと、星は思った。

「うーん、そうだなぁ」

 慎也が唸る。悩んでいると眉間に小さなシワが寄って、彫りの濃い顔が余計に彫刻のように美しくなる。慎也もお芝居に出ればいいのにと、星が思ったときだった。

「星、お前も撮影に協力しろ」

「はぁ!?」

 心臓がぐる、と一回転するような、変な気持ちになった。

「顔は映さない……そうだな……体の一部が映り込む感じだ。うん、うん……」

 星が呆気に取られている間にも、慎也の中では次の撮影計画がどんどん進んでいるらしい。どこからか椅子を引っ張り出してきて白ホリゾントの前に置くと、「うん、うん、この感じ。うん」と一人で納得しながら首を縦に振っている。

「星は、この椅子に座って」

「は……ぁ?」

「いいから!」

 言われるがまま、星は椅子に腰かけるしかなかった。

「よし、背筋を伸ばして、顎を心持ち上に……そのまま正面を向いて……」

 モデルでもない星に指示を出すのは、慎也も大変そうだった。しかし、「これだ」というポーズになった瞬間「そこでストップ!」と声を上げたときは満足そうだった。

「よし……じゃぁ、あとはルキだな」

 慎也とルキが顔を寄せ合い。ぼそぼそと話し合っている。なんだよ、俺は仲間外れかよ――。そう不満に思いながらも、人形のように体をコチコチに硬直させた状態では、何も文句は言えない。

「……どう? できそう?」

「うん、ナイスアイデア! 二人で頑張ってみるよ」

(なんだよ、「二人」って……)

「お前は映り込まない」って慎也はそう言ったのに――。不満げに口を尖らせたとき、ルキがこちらにやってきた。にこ、と蠱惑的な笑みを星に投げかけたかと思うと、星の背後に回り込む。ルキが後ろで体を屈める気配を感じたそのとき――ルキが星の両肩をやわらかく――抱いた。

「えっ!?」

 思わず後ろを振り返ろうとすると、慎也が「動かないで!」と叫ぶ。

「星はそのまま、ルキは……もう少し顔を寄せて……」

 今度は、ルキの顔が星にどんどん近づいてくる。

 それに従い、頬の産毛がルキの吐息でそよそよとそよぐのがわかる。

 ルキの匂い、息の生温かさ、そして自分を見つめる視線――。そんなものが一緒くたに注いできて、星の頭はぼおっとしてくる。

 なんだって、慎也はこんなポーズを思いついたんだ――? 彼を恨めしく思う反面、恋人の前でこんなポーズを取っていると、体の奥がむずむずしてきて、不思議と不機嫌さが消えてしまう。

「ルキ……右手で星の頭を抱いて」

 今、ルキの顔は星の左側にあった。右手で頭を抱え込まれると、二人の密着度は一層増す。頬と耳の中間あたりにルキの唇が寄ってきて、まるで、まるで――。

(俺がキスされてるみたいだ)

 そんな妄想が、頭に浮かぶ。

(いやいやいや、俺のカレシは慎也だっつーの!)

 そう頭では考えても、星とルキの距離があまりにも近い。

「もっと、顔、寄せて」

 混乱状態の中、容赦なく慎也の指示が飛ぶ。

 待てよ、これ以上顔を寄せられたら――そうしたら、俺、俺――。

 もうすぐそこまで迫ってきている、ルキの顔。きめの細かい、弾力に溢れた肌。潤んだ唇。物憂げに自分を見つめる視線――。見なくても、彼の美を全身に感じられる。

「あ」

 動くなと言われたのに、声を上げてしまう。

 耳と頬の中間地点に、ルキの唇がやわらかく触れた。

 その瞬間、全身を流れる血液が、一気に沸き立ったのがわかった。

 脳みそがじゅわじゅわと痺れ、大声で叫びたい衝動が体の奥から迫ってくる。

 カシャ、カシャ、という絶え間なく鳴り響くシャッター音が、かろうじて星を意識の「こちら側」につなぎとめていた。

「はい、もういいよ」

 慎也がそう言うと、ルキが星の体から離れていく。

 突如、体の熱が冷め、星の思考にも冷静さが戻ってくる。

 寂しいような、ほっとしたような――。よくわからない感情のままルキの背中を追うと、慎也と一緒にモニターで写真を確認していた。

 なんだか置いてきぼりにされたようで寂しくて、星もモニターのほうに移動した。そこに表示されていたのは――。

「うん、いい感じ!」

「だろ? ルキの色っぽい感じ、出したかったんだよね~」

 モニター一面に広がっていたのは、「誰か」の頬に唇を寄せる、ルキの物憂げな顔だった。

 目は伏せられ、眉は悩ましげに歪み、高い鼻は相手の頬に触れるか触れないかの所まで迫っている。赤く潤んだ唇は、端の部分が頬にほんの少しだけ触れていて、肉感がこちらまで伝わってくるかのようだった。

 禁忌を破り、眠り姫に口づけをしようとしているワンシーンを切り取ったかのような――そんな一枚に仕上がっている。

「いいね」

 ぼそ、と慎也がつぶやく。

「本当に、いい写真だ」

 星も、そう思った。ルキの妖艶さを、ここまで見事に切り取れるなんて――。

 ルキは、美しい。誰が見ても、文字通り「王子様」だ。

 でも、こんなにも色っぽくて、蠱惑的なルキの表情を星は今まで見たことがなかった。彼の、潜在的な美しさをここまで引き出したのは、紛れもない自分自身――。

 そう思うと、例えようのかいほど大きな優越感が、星を包むのだった。



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