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第21話 祝宴

 写真の選定には、時間がかかった。

 撮影に1時間、選定に1時間――。

 慎也とルキは、顔を突き合わせながら真剣にモニターに表示された写真を選んでいた。

 舞台にさして興味のない人だったら、ひと目見ただけで忘れてしまいそうな写真。それでも二人は、「完璧な一枚」を見つけるためにいつまでもいつまでもモニターに見入っていた。

「慎也……ルキ、悪いけど……」

「ああ、星はバイトだもんな。気づかずにごめん」

 慎也が、モニターから目を逸らさずに言う。いつも、あれだけ優しげに星を見つめてくれる慎也なのに――。ほんの少し星は、「仕事モード」に入っている二人を恨んだ。

 二人を残したまま、マンションを出た。

 すると、スマホが振動した。画面を見ると、ルキからLINEが来ていた。

「ごめん」

 スタンプも絵文字もなく、たった3文字だけが画面に浮かんでいる。それだけで、ルキの真剣さが伝わった。

「俺から慎也取りやがって~」

 ふざけてメッセージを送ると、すかさず「Sorry」のスタンプ。

「俺が帰ったあと、二人でヤッてたら承知しないぞ」

「俺、ゲイじゃねぇもん」

 軽口がぽんぽんと飛び出してきて、ようやく星の気持ちも落ち着いてきた。ルキも、気にしないでいてくれればと願った。

「写真できたら、遅れよ」

「もちろん」

「あと、オーディションの結果も」

「OK!」

 わざわざ入れ墨男との騒動を謝りに来られたときも思ったが、意外とルキは常識人だ。逆に、慎也は目先のことに追われると時々周りが見えなくなる。ショッピングモールではなりふり構わず星の手を握ったが、仕事に追われていた今日は星のことなどほとんど見えていないようだった。

(慎也とルキを足して2で割るとちょうどいいんだろうなぁ)

 そんなくだらないことを考えながら、星は夜勤バイトに走った。


「オーディション、受かったよ~」

 そんなメッセージが、3人のグループLINEに送られてきたのは二週間後のことだった。

「マジで? おめでとう!」と星。

「オーディションが終わったあと、すぐに演出家から連絡あったんだ」

「すげぇじゃん」

「ああ、俺のこと『王子役のイメージにぴったりだった』って言ってたよ」

 しばらくすると、慎也からも「へー、よかったじゃん」と返信があった。

「俺が王子様っぽく撮ってやったおかげかもな」

「おい、俺だって頑張ったよ」

「ああ、俺の指示でちゃんと『お姫様』になってくれた」

「やめろよ、そんな言い方www」

 そう言いながらも、星はルキの運が好転してきたことが、自分のことのように嬉しかった。

 メッセージを送り合っているうちに、祝賀会も兼ねてどこかで3人で飲まないかという話になったので、星も「行く!」と即答した。


「ルキのオーディション通過を祝しまして~かんぱーい!」

 慎也のマンション近くにある、和食系の居酒屋でささやかな祝宴が催された。通された座敷席で、星は慎也と隣り合い、ルキはテーブルを挟んで向かい側に座った。「友達の彼女と飲むときってこんな配置になるよな」と、星はおかしなことを考えた。

「まさか本当に受かるなんてなぁ。慎也さんには頭が上がんねっす」

 大げさに、ルキが頭を下げる。

「こっちは金もらってやってるからね。当然のことだ」

 そう言いながらも、慎也の様子は誇らしげだ。

「稽古は? いつから始まるの?」

「それが、もう始まってるんです。これ、台本」

 製本されたA4サイズの薄い冊子を、ルキが慎也に手渡す。

「公演前に台本できてんの? すげぇ真面目な脚本家じゃん」

「それが、中身見てくださいよ」

 慎也がぱらぱらと台本をめくる。それを覗き込んだ星は、驚いた。

「な、なんじゃこりゃあ」

 思わず、声が漏れる。

 すでに印刷された文字の上に引かれる、幾千もの線。その横に、赤字がいくつも書き込まれている。

「こんなに変更あんの?」

 慎也が呆れた様子でつぶやいた。

「なんか、演出家の中で舞台のイメージが変わってきちゃったみたいで……」

「ルキの影響?」

「だといーんですけど」

 照れ隠しなのか、ルキがへへ、と笑ってみせる。

 芸術家はインスピレーションで作品を完成させるという。「王子様」のイメージにぴったりのルキが現れたことで、演出家の中で舞台のイメージも大きく変わったのだろうか。いずれにしても、脚本家と役者の仕事は増えてしまったというわけだ。

「……こんなに台本が変わることなんて、普通なの?」

 星がそう訊くと、ルキがははは、と乾いた笑いを上げた。

 そんなことも知らねぇの――? そんな意図はないはずだけれど、ほんの少し胸が痛む。

「台本の変更なんてしょっちゅうだよ。公演当日に変わることもあるんだ」

「最悪のケースだと、公演自体がなくなることもある」

「あー、慎也さん他人事だと思って~」

 お通しのたこわさを摘まみながら、ルキが唇を尖らせる。

 それから二人は、演出家の経歴だの、好みの役者の話だのを始めた。その演出家は気分の波が激しく、役者が思い通りの動きをしないと稽古場で怒鳴り散らすこともしょっちゅうなのだとか。業界あるあるらしいが、星にとっては別世界の話なので、うんうん頷いていることしかできない。

「とくに、ヒロインの子は気の毒だよ。毎日泣くまで怒られるんだもん」

 星は慎也から台本を受け取り、「オーロラ姫」の台詞を探す。すると、意外なことに気づいた。すでにある台詞が、すべて赤線で消されているのだ。王子様の台詞のように、代替の文字は書き込まれていない。

「……お姫様の台詞は、ないの?」

「それが、『うまく喋れねぇんだったら台詞はナシだ!』とか演出家は言いやがってな」

「ひど……」

「いや、それが台詞がなかったらなかったで、逆に味が出てきてさ。結局台詞なしのまま進みそう」

「そんな……台詞を喋るのが役者の仕事だろう?」

「そうだけど……まぁ、台詞なしのほうが演技力が生きるんじゃないかな?」

 どこか、ルキの言葉は他人行儀だった。相手役の演技に、もしかしたらルキも不満なのかもしれない。

「俺は、正直星さんがヒロインのほうがやりやすいよ」

 そう言って、ルキが星の顔を覗き込んでくる。アルコールのせいか頬は赤く染まり、目も充血している。写真撮影の日、頬に感じたルキの唇――。その温かさをなぜか思い出して、星まで顔が赤くなっていた。

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