「おーい、星は俺のもんだぜ」
星がフリーズしていると、慎也がルキの肩を抱き寄せてくる。
「へいへい、わかってまーす」
おちゃらけた様子でルキは言う。
「男同士の修羅場ってすごいもんな。俺、よく知ってるもん」
ルキに、とくに悪びれた様子はなかった。しかし、今や慎也の手は星の腰に回っていて、そこに爪がきりきり食い込んでくるものだから、内心慎也は怒っているのではと星は気が気ではなかった。
「星が代役に欲しいなら、事務所を通せよ」
「はぁ? 事務所?」
「俺のことだよ」
ぶっ! とルキがビールを吹き出す。
それから話題はルキのバイトのことになった。公演と稽古期間中は、ほとんどバイトに入れない。舞台のギャラなんてたかが知れているから、しばらくは貯金を切り崩しながら実家の厄介になるらしい。
「着ぐるみのバイトは? しないの?」
「あれ、一日仕事だぜ。それに、ずっと着ぐるみ着てるから暑いのなんのって」
華やかに見える役者の仕事だが、懐事情はだいぶ厳しいようだった。
結局、そんな話が続いて祝賀会はお開きになった。せめて自分の分は払うと星は言ったが、慎也は頑として会計を譲らなかった。
「じゃ、ごちそうさまでしたー」
ぐでんぐでんに酔っぱらったルキを駅まで送り届けると、星は慎也と二人きりになった。というより、久々に夜中に会ったので、今日は「そういう」雰囲気になるのだろうなと予想していた。案の定、ルキの姿が改札の奥に消えた途端、慎也はルキの腰をしっかりと抱いてきた。
「このまま、マンション行く?」
「うん……」
急に強く求められ、体の奥がカッと熱くなった。でも、胸の奥に少し引っかかるものがある。ここ最近、慎也に感じ始めていたもやもやとした気持ち――。星の曇った顔を見て、慎也も何かを察したようだった。
「どうした、気分悪いの?」
「いや……そうじゃなくて……」
決して怒っているわけではないのだと示したくて、星も慎也に体をすり寄せる。慎也のほうが頭ひとつ分背が高いので、体を密着させると慎也の肩に頭を乗せるような格好になった。愛しい男に体を預けてるという感覚が、荒んだ星の心を、ほんのすこし癒してくれた。
「歩きながら、話そうか……」
確かに、改札前でこのいちゃいちゃっぷりは目立つ。星はこくんと頷くと、そのまま二人で歩を進めた。
改札前より、駅のロータリーのほうが人混みは少なかった。ルキが千葉住みなので早めの電車に乗せたため、都内なら終電までは時間がある。だから、タクシーもバスもまだまだ混むような時間帯ではないのだろう。
遠く離れたところで、人々のざわめきや笑い声が、程よい大きさで響いてくる。星も慎也もほろ酔い気分だったから、遠くの喧騒が妙に気持ちよく耳に響いた。
「ルキ、オーディション受かってよかったね」
「ああ、俺も気合入れて写真撮ったかいがあった」
「でも、今日ごちそうになっちゃったから、撮影代パーになっちゃったんじゃない?」
「なぁに、ルキにはほかの役者仲間も紹介してもらうさ。そいつらの宣材写真を全部俺が撮ればいい。いい投資になったよ」
「投資か……」
こんなにいい気分なのに、会話が進まない。
星は、思い切って自分の気持ちを慎也に告げることにした。
「なぁ、慎也……」
「ん?」
慎也の吐息が、こちらにかかってくる。
アルコールと彼の口臭が交じり合った、生々しい匂い。でも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
「俺、最近寂しかったんだ」
「寂しい? なんで?」
「慎也がルキの写真撮ってくれてすごい嬉しかった。でも、なんだか俺だけ話についてかれなくて……」
「なんだ、それで妬いてたのか?」
「別に、そんなんじゃ――」
星は、撮影現場の二人を思い出していた。
顔を突き合わせながら、撮影した写真を選定していた二人。表情がどうの、影の入り方がどうの――正直、傍で聞いている星にはチンプンカンプンだった。
「……確かに。ちょっと嫉妬してたかも」
「でも、お前にも出番はあっただろ?」
そのとき、慎也が星を後ろ抱きにして、頬に唇を寄せてきた。あのときルキと撮った宣材写真と、同じポーズ。唇が肌に触れた瞬間、背中がぞわぞわと震えた。
「あったけど、なんか慎也そっけなかったよ」
「俺が?」
「ウサギちゃんに風船もらったときは、もっとイチャイチャしてくれだだろう?」
まさか、自分の口から「イチャイチャ」なんて言葉が漏れるとは思わなかった。羞恥で顔が赤くなったが、事実なのだから仕方ない。
「ふぅん、星はイチャイチャしたいのか」
頭を優しく抱かれ、星は小さく頷いた。
「てゆうかさ、今日ルキが俺に『お姫様やれ』って言ったとき、慎也怒ってたじゃん」
「そぉ?」
「自分は怒るのに、俺が怒るのは気にしないなんて……ちょっと納得できない」
信じられないことに、星の目から涙が滲んでいた。
26にもなって――こんなくだらない理由で泣きたくなる(というか、もう泣いている)なんて――心がぐしゃぐしゃになって何も考えられない。どうしようもない感情を体の奥深くに抱えたまま、星は体を回転させ慎也に抱き着いた。
「俺だけ仲間外れにするなんて、もうやめてくれ」
「わかった。もう、そんなことしないよ」
素直に、慎也は謝ってくれた。
それだけで、星はもう十分だった。
「俺も、急に機嫌悪くなってごめん」
「星は、何も悪いことしてないよ」
言いながら、慎也が星の鼻をちゅう、と吸ってくれる。突然のことに、腰の奥がきゅう、と疼いてしまう。
「……ありがとう」
文字通り腑抜けになった体を慎也に完全に預けると、星はようやく安心できた。