私が代役を務めるリタ・ルードヴィングが正式にロイ・ミラディアと婚約した夜。
私は宮殿に用意されたリタの部屋で、絹のワンピースの寝巻きに身を包み、ルードヴィング家からの迎えを待っていた。
これからの手筈はメイドに扮したリタがこの部屋に訪れ、私が着ている服をリタが、リタが着ているメイド服を私が着て、入れ替わることになっている。
そしてそのまま私はメイドとしてここから出て、ルードヴィング家に帰るのだ。
そこからはもう私がリタの代役を務めることはない。
伯爵から大金と土地をいただき、めでたく8年間の契約終了だ。
私の人生を保証する契約なのでその後もお世話になることだろう。
窓を開けて宮殿の外を眺める。
夜空には三日月が浮かんでおり、その周りには無数の星が輝いている。
三日月や星たちの僅かな光を浴びる宮殿の中庭には庭師によって美しく整えられた木や花が生い茂っており、とても美しい景色だった。
この景色とも今日でお別れだ。
ロイと親しくなる為に、ロイと親しくなってもからもここにはよく通った。
だか、それも今日でおしまい。
もう見納めかと思うと何だか名残惜しくなってじっと外を眺め続けているとノックもなしに誰かが私の部屋の扉を開けた。
ルードヴィング家の者が来たのだろう。
「…え」
振り向いた先にいた予想外の人物たちの登場に思わず声を漏らす。
そこにいたのは全身黒ずくめの男が3人。
顔まで布に覆われているその姿に私はすぐに彼らが暗殺者だと気がついた。
やっぱりそうなってしまったか。
私の契約相手は貴族だ。
金も権力もある。つまり何でもできる。
こうなってしまう可能性を私はずっと考えていた。
契約満了と同時にルードヴィング伯爵に裏切られ、暗殺されるのではないか、と。
私が代役を務めたからこそ、リタは文武両道、才色兼備、完璧なご令嬢としてその名をこの帝国内に馳せていた。
私が代役を務めるまではリタは容姿端麗なだけのただのわがままお嬢様だった。
その評価を代役の私が変えた。
完璧なリタは私なのだ。
それを知っているのはリタと私とルードヴィング伯爵とほんの一部の人間だけ。
完璧なリタは実は代役でした。
本物は美しいだけで何もできません。そんなことが世間に知られてしまったらリタはどうなる?
リタの評判、評価は地に落ち、最悪ルードヴィング家にも不利益をもたらすだろう。
契約で私は自分がリタの代役だったと話せない。
だが、何かの拍子に私がそれを喋ったら?
偶然何かの関係でそのことが漏れてしまったら?
私という存在はルードヴィング家にとって脅威でしかないのだ。
だから暗殺をする。死んでしまえば何も言えないから。
そんな最悪のシナリオも考えてはいたが、まさか契約満了した婚約式の夜を狙われるとは思わなかった。
どうやらルードヴィング伯爵は早く私を始末したいらしい。
今の私は絹のワンピースに何も持っていない状態で丸腰だ。
対する相手は殺しのプロ。しかも3人もいる。
剣術が優れている私を暗殺する為にはこのくらい人がいると判断しての人員だろう。
本当、嫌になる。
今まで一生懸命働いてきて最後に裏切られるって。
「…はぁ」
私は諦めて大きくため息をついた。
もう逃げられない。
「伯爵が言っていた。お前は賢いと。流石に3人で行けば観念するだろうともな」
暗殺者の1人が淡々とそう喋って私にゆっくりと近づく。
伯爵様はよくわかっていらっしゃる。
伊達に8年間私を見てきた訳ではないですね。
ふ、と伯爵のことを思って皮肉っぽく笑うと私は観念したように両手を上げた。
そして一思いに私を刺そうとしてきた暗殺者の首に手刀をお見舞いした。
「ぐあっ」
そう苦しそうに声を上げて暗殺者がその場に倒れる。
「なっ!」
「貴様っ!」
すると先ほどまで落ち着いていた暗殺者たちは一気に臨戦態勢に入った。
プロのくせにルードヴィング伯爵の言葉だけを信じて油断するからこうなるのだ。
「これで2人だね。3人だと降参したかもだけど2人だとどうかな?」
私はニヤリと暗殺者を見て口の端をあげる。余裕そうに見せているが、実はそうではない。
プロの暗殺者に丸腰の私ができることなんて実際少ない。倒すことよりも逃げることに集中した方がいい。
どうにか隙が生まれないものかと暗殺者の様子を伺うが、もう暗殺者には隙がない。
そうこういろいろと考えていると暗殺者は一斉に私に飛びかかってきた。
これはもう一発を食らってでも逃げるしかない。
暗殺者たちに向かって走り出した私の左脇腹に1人の暗殺者が手に持っていた短剣を刺そうとする。
私はそれをわざと受けて距離の縮まった暗殺者を思いっきり蹴飛ばした。
「ぐぅっ!」
私に蹴飛ばされた暗殺者は短剣を持ったまま勢いよく壁に叩きつけられる。
それにより私の左脇腹から短剣が抜けてしまった為、どくどくとそこから血が溢れ始めた。
最悪だが、このくらいの傷は仕方ない。
「さぁ、あと1人だね」
私は最後に残った暗殺者にそう言って笑うと宮殿の外へ向かって走り出した。
*****
どうせ最後に見るのならこんな最悪な走馬灯なんて見たくなかった。
木の影に隠れ続ける私は先ほどまでのことを思い浮かべたせいで最悪な気持ちになっていた。
「…はぁ…はぁ」
呼吸がどんどん弱々しくなっていく。
このままでは本当に死ぬ。
もうあれを使うしかない。
私はネックレスのようにしていつも肌身離さず持っていた小瓶に手を伸ばす。
この小瓶こそ、こうなった時用に用意していた最終手段の代物だった。
これは帝国一の魔法使いキースが作った〝時間を戻す魔法薬〟だ。
現代では魔法とは古代の代物でもう魔法自体は存在しない。
しかし魔法を使うことのできる魔力を持つ人間は稀に生まれる。そんな魔力を持つ者たちのことを現代では魔法使いと呼び、魔法使いはその己の魔力と古代から伝わる知識で魔法は使えないが、魔法薬というものを作り出し、生活を豊かにしてくれていた。
私はリタとして学びを深める為、また世間からの評判を上げる為にいろいろな学会へ参加していた。
その中には魔法協会のものもあり、そこでキースのしていた話に私は興味を持った。
何でもまだ誰も触れさえもできていない〝時間〟について彼は研究していたのだ。
その中でも〝時間を戻す魔法薬〟はもしものことが起きた場合の保険としてとても魅力的なものだった。
私はキースの研究の支援者になった。そして試作品だが、その〝時間を戻す魔法薬〟をキースから貰っていた。
それがこの小瓶の中身なのだ。
透明な小瓶の中で水色の液体がゆらゆらと揺れている。
もうどの道死ぬのなら最後にこれに賭けてもいいだろう。
私は最後の力を振り絞って小瓶を開けるとそれを口元に運び一気に飲み干した。
少しだけ苦い味が口いっぱいに広がる。
この選択が吉と出るか凶と出るかわからない。
それでも私は最後に賭けた。時間が戻ることに。
「…ゔっ」
突然心臓の辺りが痛み始める。
その痛みはどんどん強いものへと変わり、やがて全身へと広がった。
先ほどまでは刺された脇腹が1番痛かったが、今はもうどこが1番痛いのかわからない。
全身が痛い。
もう無理だ。
意識を保つことに限界を感じ、私はついに意識を手放した。
どうか次がありますように。