そしていよいよ夕食会の時間がやってきた。
8時間みっちりロイと練習をしてきたので一応ちゃんとした舞にはなっているはずだ。
もちろん素人の舞であることは変わりないが。
「おお、ステラ。待っていたぞ」
食堂の一番奥の席で皇帝陛下が食堂へ入ってきた私を嬉しそうに見つめる。
私はそんな陛下を始め、ここにいる皇族の皆様に礼儀正しく深々と頭を下げた。
それから顔を上げて全員が座っている位置をざっと確認する。
左奥から皇后、2人の皇子たち、そして右奥からロイ、リタだ。
私は今からこの皇族の皆様全員の前で素人の舞を披露しなげればならないのだ。
頭が痛くなってきた。
「…ステラと申します。よろしくお願いいたします」
フランドル夫人が用意してくれていた黄緑とピンクと白の踊り子の衣装に身を包み、私はもう一度皇族の皆様に頭を下げた。
リタにこんなにもしっかりと見られては正体がバレそうなものだが、顔半分を踊り子の衣装で隠し、さらには認識齟齬の魔法薬を使用しているので、今のところは私の正体にリタも全く気づいていないようだ。
おそらく大丈夫だろう。
「それではステラ、始めてくれ」
「はい」
陛下の合図によって私は舞のスタートのポーズをとる。
それを確認した宮殿の使用人はこの食堂に予め用意していた音楽を流し始めた。
ゆったりとした明るいピアノを主旋律にした音楽がこの食堂に流れる。
まるで蝶が舞を舞っているような優雅さと愛らしさを感じさせる音楽だ。
その音楽に合わせ私は舞いながら所々で袖や服に仕込んでいた魔法薬をふわりと撒いた。
その魔法薬は花びらと蝶の幻覚を見せるもので、舞う私の周りを花びらと蝶がひらひらと舞い、まるで私と花びらと蝶が戯れているように見せた。
私が舞ったのはたった数分だった。
音楽が止まるのと同時に動きを止める。
ようやくこの大一番が終わったのだ。
「素晴らしい!」
私が舞い終えるとまず最初に陛下がそう感動したように声を上げて拍手をする。
するとそれを待っていましたと言わんばかりに食堂中が割れんばかりの拍手に包まれた。
せ、成功した?
やっと余裕ができ、皇族の皆様を見ればみんな笑顔で私に拍手をしている。
よかった…。
素人の舞でもとりあえず許してもらえた…。
安堵している私に陛下は満足げに「本当に踊り子ではないのか?素人とは思えぬ舞だったぞ。やはりロイの目は確かだということか」と言っていた。
本当に陛下に満足していただけてよかった。
「素晴らしい才能でしょう」
「ああ、そうだな。ロイが宮殿の踊り子に推薦していることも頷ける。どうだろう?ステラ、我が宮殿の専属踊り子にならないか?」
ロイと陛下の期待に満ちたルビーの瞳が私の方へ向けられる。
「…大変有り難いお言葉なのですが私には分不相応でございます」
私はそんな2人にそう言って遠慮がちに笑った。
本当にやめてください。
私は踊り子ではありません。本当はここから一分一秒でも早く逃げたいんです。
目標は国外逃走なんです。
「しかしこんなにも才能溢れる踊り子の子どもは私でさえも始めて見たぞ。やはり我が宮殿の専属に欲しいなぁ。なぁ、ロイよ」
「ええ。僕もそう思います。ステラが我が宮殿の専属になった暁には週に数回、舞の披露宴を行うのはいかがでしょう」
「それは名案だな」
確かにお断りをしたはずなのだが、そんな私なんてお構いなしに陛下とロイが楽しそうに今後の計画の話を始める。
そして2人の皇子たちと皇后も口々にいろいろな感想を言い始めた。
「彼女は踊り子ではなかったのですね。驚きました」
「素晴らしい舞でしたね。とても素人の舞には見えませんでした」
ロイと同じルビーの色の瞳に驚きの色を浮かべて2人の皇子が私を見つめている。
「愛らしさもあり、それでいて美しさもある。魔法薬で見せる幻想と少女の舞は芸術でしたわね」
皇后も皇子たちと同じように驚きながらも興味深そうにそう言って微笑み、私を見ていた。
この場にいる全員がやり過ぎなほど私の舞を讃えていた。
ただリタだけは違った。
皇族一人一人の言葉ににこやかに頷いているが目が笑っていない。
自分が話題の中心ではないことが不満なのだろう。
長年リタの代役を務めただけにリタが今何を考えているのか手に取るようにわかる。
きっと私が今リタの代役をしているのなら、甘えた声でおずおずとロイに「とても素敵でしたが、私のことも見て欲しいです…。他の女の子を見て欲しくないですわ」とか言うだろう。
リタはどうすのだろうかと何となくリタの様子を見ていると、リタは自分の隣に座るロイの服の袖を不満げにだが、遠慮がちに引っ張り、上目遣いでロイを見ていた。
ロイはそんなリタに気がつくと子どもをあやすようにただ軽くポンッとリタの頭に触れ、その後は特に何もしていなかった。
思ったより控えめなリタに拍子抜けだ。
もっとわがままお嬢様を発揮すると思ったが、一応皇族の皆様の前だからか遠慮しているらしい。
私は一通り皆様からの有り難い言葉を受け取ると最後にもう一度深々とお辞儀をしてこの食堂を後にした。
*****
「お疲れ様。とても素晴らしい舞だったよ」
夕食会が終わった後、お風呂に入ってのんびりとしているとそう言ってにこやかにロイが私の部屋に現れた。
また来たよ。
ロイが何度も何度もここを訪れるせいでもうここではほぼずっとロイと一緒にいる。
一緒にいたくないのに。
「…ありがとうございます。ロイ様のお陰です」
私はこちらに歩いてくるロイに何とかにこやかな笑顔を浮かべてお礼を言った。
この状況を作った元凶はロイだが、今日の舞が成功したのもロイのお陰だ。お礼くらいは言わないと。
そんな私にロイは「いいや。僕はお礼を言われるようなことはしていないよ。とても楽しかったしね」と美しい笑みを浮かべ何故か私が座っているソファに腰を下ろした。
…長居するつもりだ。
「ん?何かな?その顔は?」
「…いえ、皇太子様が急に隣に来られたので緊張してしまって」
「君がそんなたまかい?」
ほんの少しだけ嫌そうにロイを見ていたことがロイにバレ、私は取り繕うように笑う。
するとロイはそんな私をおかしそうに見た。
す、鋭い。
これ以上私の感情を悟られないように私は「そんなたまなんです。私はただの平民ですから」と言ってロイから視線を逸らした。
「あはは。ちょっと意地悪をしすぎたかな?ごめんごめん」
「…別に謝っていただかなくても結構です。怒っていませんので」
未だに楽しそうに笑っているロイの声が私の耳に届く。
見なくてもきっとその美しい顔に意地の悪い笑みを浮かべていることがわかる。
元々いい性格ではないと思っていたが、ステラの私と関わる時のロイはリタの代役時の時よりも意地悪でよく笑う。これがロイの本来の姿なのかもしれない。
何も持たない平民相手だからこそ、取り繕う必要がないのだろう。
「ステラ、機嫌を直して。明日は宮殿の中庭で苺のお茶会をしよう。宮殿の為だけに作られた苺をふんだんに使ったデザートをたくさん用意させるよ」
「いいです。明日にはもう帰りますから」
「でも帰るまで時間はたっぷりあるはずだよ?苺をふんだんに使用したショートケーキにタルト、ゼリーにパフェ、それからプリンもあったかな?」
「…」
ロイが笑顔で言っている苺を使ったメニューたちが私の頭の中にふわふわと浮かび始める。
ショートケーキもタルトもゼリーもパフェもプリンも全部美味しそうだ。
正直めちゃくちゃ食べたい。
そこにクッキーとか紅茶とかあるのだろうか。レアチーズケーキも欲しいところだ。
…いやいやいや。
ダメダメ。
あんまりロイと一緒にいるとボロが出る可能性がある。
鋭いロイのことだ。小さな違和感から何か勘付かれてしまう可能性だって十分にあり得る。
「大変有り難いお誘いなのですが明日はすぐに帰る予定ですので…。それにロイ様にはリタ様もいらっしゃいますし、あまり私にばかり構われては…」
リタ様が機嫌を損ねてしまうでしょう?
最後の言葉だけわざと口には出さず、伺うようにロイを見る。
ロイはリタとの契約でリタを人前では婚約者として最低限扱わなければならない。
私からリタの話が出れば私よりもリタを優先するしかないだろう。
「リタのことかい?気にしないで。リタとはいつでも会えるけどステラとはなかなか会えないからね」
しかしロイはまさかの全くリタを優先しなかった。
しようとする素振りさえも見せなかった。
予想外だ。せめてリタへの愛を語りながらステラを優先しようものならそこをついてリタを優先しろと強く押そうと思っていたのに。
「…私なんかより婚約者のリタ様を最優先すべきです」
「何故?僕は僕のしたいようにするよ?それに僕たちの関係は特殊でね。婚約者だからと最優先する必要はないんだ。だからステラは何も気にしなくていいんだよ」
苦し紛れに言った私の言葉をロイが笑顔でバッサリと切り捨てる。
私はそんなロイを見て心の中で盛大なため息をついた。
まさかの契約を軽く無視しているではないか。
ただの何も持たない平民の私がこれを聞いたからいいものの、他の誰かが今のロイの発言を聞いてみろ。
ロイはリタを愛していない、と瞬く間に帝国中に広まるはずだ。
「ステラはリタのことを気にして僕の誘いを断ったんだよね?どう?もう誘いを断る理由はないんじゃない?」
「…いえ。それでも明日は早く帰るのでどちらにしても無理ですから」
「そう…。それは残念だね。明日の為にもうシェフたちが奮ってデザートの下準備をしていたんだけどそれも無駄になってしまったね」
「…宮殿内にいる方で召し上がればよろしいかと」
「いいや。彼らは君が苺好きだと知って準備をしていたんだ。一番に食べてもらいたいのは君だと思うよ?」
「…」
宮殿のシェフを憐れむように瞳を伏せるロイに私は何とも言えない気持ちになる。
わかっている。これはロイが私の罪悪感を刺激しているのだと。
だが宮殿のシェフたちのことを思うと簡単には突っぱねられない。そして本当はとっても宮殿お抱えシェフの苺のデザートが食べたい。
「…わかりました。苺のお茶会参加させてください」
もう何を言っても無駄だろう。きっとロイの口車に乗せられて私はロイとの苺のお茶会に参加せざるを得ないのだ。
そう思った私はついに観念したように笑ってロイにそう答えた。
そしてそんな私をロイは満足げに見て「よかった。明日が楽しみだね」と柔らかく笑った。
…笑顔だけ天使のとんだ悪魔だ。