sideステラ
ユリウス行方不明事件はアリスが正式に帝国騎士団に捕まり、帝国の地下牢に拘束されたことによって終わった。
ジャンたちの後を追うようにあの現場に現れ、全てを見てしまった父であるハリーもアリスを庇うことはできず、心苦しそうだったが、その手でアリスを宮殿地下牢へと連行していた。
そしてあれから数ヶ月後。
私がここ、公爵邸へ来てもう半年が経った。
隣で私と同じ布団に入るユリウスを見て私は思う。
もうすっかりユリウスと寝ることが日常になってしまった、と。
窓からわずかに差し込む月明かりを吸い込むまっすぐな黒髪が、サラリと下へと流れ、その髪から覗く瞼は閉じられている。
瞼を閉じているユリウスの姿は当然ながら端正で息を呑むほど美しい。
相変わらず黙っていれば作りもののように完璧な見た目だ。
「…眠れないのか?」
私の視線に気がついたユリウスが瞼をゆっくりと開け、切れ長の金色の瞳で私を捉える。
冷たい印象はいつものことだが、その瞳には私への優しさや愛情があり、少し気恥ずかしくなってしまう。
「…んーん。ちょっと見てただけ」
私はそんなユリウスに軽く首を振った。
気恥ずかしさはもちろん悟られないようにいつもの調子で。
するとユリウスはそんな私に「そうか」と優しく呟き、私の頭に手を伸ばすと、優しく撫でた。
ユリウス行方不明事件から私たちはこうして毎日一緒に寝ている。
てっきり一緒に寝るのはあの日だけだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。ユリウスは次の日も、その次の日も当然のように寝る時間になると私の部屋に現れ、私と一緒に寝ていた。
事件前の私なら一緒に寝ることなど絶対に問答無用でお断りしていただろう。
だが、しかし、あの事件以降、ユリウスの存在が私にとってどれだけ大切で、どれだけ大きなものなのか思い知ってしまい、どうしてもユリウスを部屋から追い出すことができなかった。
事件解決の次の日、
「もう寝るか」
と、言って急に私の手を引き、布団へ入ったユリウスを今でも鮮明に思い出せる。
マイペースで意味のわからないユリウスの言動に最初こそ驚いたものだが、毎日続くとそれにも慣れてしまった。
私は近い将来、この公爵邸から…いや、ユリウスから離れることになる。
いつか離れなければならないのなら、せめて今だけでも一緒にいたい。
だからこそ、私は今もユリウスと一緒に寝ることを望んでしまっている。
我ながら絆されたな、と思う。
だが、これはもう仕方のないことだ。
今日も私の側にユリウスがいてくれる。
幸せなまどろみ中、私は今日もユリウスの横で眠りについた。
*****
「…っ」
突然、息苦しさを感じて目を覚ます。
く、苦しい。
「…ゴホッ」
そう感じた次の瞬間、何かが込み上がり、咳き込むと、私の口内いっぱいに鉄の味のする液体が溢れた。
え。
「…っ、かはっ」
喉に液体が詰まる感覚がして、急いで体を起こし、それを吐き出す。
吐き出したそれは白いシーツに赤色の模様を描いていた。
これは血?
「…ゔっ、ゴホッゴホッ」
まだ状況を理解しきれていない。
それでも息苦しさと咳は止まらない。もう一度咳き込めば、私の口からまた血が吐き出された。
「…な、んで」
何故、急に苦しくなり、吐血したのか、原因が全くわからない。
唖然としながらも、口から顎へとたらりと垂れる血を自身の手で拭う。
「…っ!?」
そして薄暗い中でもはっきりと見えた自身の手の変化に驚いた。
いつも見ているあの幼い手ではない。
リタの代役をやっていた時の、19歳の手だ。
そこまで気がつくと、私はベッドから勢いよく降りて、慌てて鏡の方へと向かった。
真っ暗なこの部屋で頼れる光源は窓からわずかに差し込む月明かりだけだ。
その月明かりによって、鏡にぼんやりと映し出された私の姿に、私は衝撃で言葉を失う。
何の特徴もない細身の大人の女がこちらをひどく動揺した目で見ていたからだ。
鎖骨よりも少し長い栗色の髪に緑色の瞳。
どこにでもいるような平凡な顔、これは間違いなく私だ。それも12歳ではなく、19歳の。
今、鏡に映っている私は19歳の、本来の姿の私だ。
何故、今、急に体が元に戻ったの?
「んん…、ステラ?」
私の異変に気がついたのか、ユリウスが眠たそうにベッドの上でそう言っている。
ど、どうしよう。
もし、今の姿を見られたら私は何とユリウスに説明すればいいの。
ステラだと言えば信じてもらえる?
ぐるぐると頭の中でいろいろな考えが浮かんでは消えていく。何が正解で何が不正解なのかわからない。
「ユ…」
とりあえずユリウスの名前を呼ぼうと声を出す。
だが、声を出した瞬間、自分の声があまりにも12歳のステラとは違い、ユリウスの名前を呼ぶこともできなかった。
ダメだ。私があの〝ステラ〟だとどうやって証明すればいいのかわからない。
私は今の状況を説明することを諦め、いつか使おうと用意していた脱走用の大きな鞄を手に取った。
これさえあればどこへでも…いや、せめて隣町ユランにまでなら行けるはずだ。
「…ステラ?」
なかなか返事を返さない私にユリウスがついに体を起こす。
「…今までありがとう、ユリウス」
私は12歳のステラとは違う、大人びた女性の声で小さくそう言うと、ベランダに続く大きな窓を開け、そのままベランダへと飛び出した。
そして目の前にある木に飛び移り、私は公爵邸の外へと出た。
*****
深かった濃紺の星空が薄くなり始める。
もうすぐ夜が明けるのだ。
「はぁ…はぁ…」
私は肩で息をしながらもそれでもその足を止めることなく、ただひたすら目的の場所へと走り続けていた。
目的の場所とはもちろん、帝都の隣町、ユランだ。
ここまでは今まで何度も外出の度にこっそり下見していた安全にそして最短でユランへと行けるルートを選んで進んでいた。
少し向こうを見れば、帝都と同じような街並みだが、どこか古い建物が目立つ場所が見える。
あの街こそ、私が目指しているユランだ。ユランの街までもう目と鼻の先だ。
「…あ、あと少し」
やっと見えてきた街並みに安堵し、走り続けていた足のスピードをゆっくりと落とす。
もうすぐだ。やっとユランに着くんだ。
まずは夜明けを待ってあの小さな銀行へと行こう。
それから300万の全財産を下ろして、帝国外を目指す。
それまでの道のり、これからの生活も300万あればとりあえずは問題ないだろう。
「…っ」
そこまで考えていると突然またあの息苦しさに襲われて私はその場で足を止めた。
な、何で、また…。
「…、ゔぅ、ゴホッゴホッ」
先ほどと同じように咳が止まらない。
「…かはっ」
そして何度も何度も咳き込んでいるうちにまた私は吐血していた。
「…っ」
え?
「…ぅゔ、ゴホッ」
理解が追いつかない。
今、私の体に何が起きているのかわからない。
それでも私の体は苦しいままで、咳も止まることはない。
苦しくて苦しくて仕方ない。
その場でうずくまって全身を襲う苦しさに何とか耐えようとする。
するとまた体にある違和感を覚えた。
体が小さい気がする。
そう思った私は慌てて自身の腕と体を見て、唖然とした。
「嘘でしょ…」
私の体がまたあの幼い姿に戻ってしまっていたからだ。
今、私の目に入っている私の姿は19歳の本来の姿ではなく、魔法薬を飲んで幼くなってしまった12歳の姿だ。
元の19歳の姿に戻ったと思ったらまた12歳の幼い姿になってしまった。
私の体に一体何が起きているの?