キースの忠告通り、私は1週間、とんでもなく苦しい思いをした。
〝体の時間を戻す〟魔法薬の効力を解除する為に、毎日3回も飲む薬は喉を通すのも難しいほどドロドロしており、味も苦い。さらにその薬を飲んだ1時間後には、必ず体温が一気に上昇し、熱と寒気と頭痛と吐き気にずっと襲われた。
それを何度も何度も繰り返す終わりの見えない日々に、私は毎日毎日訳がわからなくなっていた。何故、自分は今、死にそうになっているのか、と。生き延びたいはずなのに。何故。
苦しさと疑問でぐちゃぐちゃになっていたが、それでもほんの僅かだが、少しずつ症状は和らぎ、1週間後には完全に〝体の時間を戻す〟魔法薬の効力を解除することができ、私は本来の19歳の姿を取り戻した。
そこから1週間は魔法薬解除によって失われた体力の回復に努め、キースに保護されて3週間後にはキースの研究を手伝いながらも帝国外へと逃走する下準備を進めた。
そしてキースに保護されて一ヶ月の月日が経った。
いよいよ私は今日、キースの家から国境の検問所を目指し、帝国外へと出る。
「キース。本当に一ヶ月間お世話になりました。キースのおかげで無事生きて帝国を出られそうだよ」
玄関先で朝日を浴びながら私を見送るキースに私はここ一ヶ月分の感謝の気持ちを込めてキースに頭を下げる。
キースのおかげで体も問題なく元に戻り、帝国外へと無事に逃げられる準備も整った。
帝国外へ出るには必ず国境にある検問所を通らなければならない。
検問所を通る為にはいろいろと書類が必要なのだが、その中には自身が自身であると証明する書類も必要だった。
私には戸籍がない。本来、戸籍のない人間は帝国外には出られない。
なので私は自身の財産の半分を使ってでも旅人や行商人に報酬を渡し、荷物として、または身分や戸籍を偽って帝国外へと出ようとしていた。
だが、その偽りの身分と戸籍を何とキースが作り、用意してくれていたのだ。
『このくらいないと安全には外に出られないでしょ?』
と、何でもないように偽りの必要な書類を全部渡された時は本当に驚いたものだ。
まさかあのキースが誰かの為に動くことができるなんて。
「別にこのくらい…。ニセモノのリタお嬢様のおかげで人類がまだ関与することさえもできなかった時間に関する研究ができた訳だし。それのお礼だよ」
愛想のない表情でぶっきらぼうにそう言うキースを見て、私は笑う。
まるでお礼を言われている気がしない表情だが、あのキースが人にお礼を言う時点で凄すぎるし、何よりあれがキースの精一杯のお礼だとわかるので、全く気にはならない。むしろ微笑ましい。
「あとこれ。もう大丈夫だと思うけど一応ね。君、いろいろと危険に晒されているし」
「?」
私にお礼を言った後、キースがずいっと右腕を伸ばし、私に何かを渡す。
不思議に思いながらも、私はそれを受け取り、確認すると、それは紫の液体が入った薄い縦丸の小さな容器を黒の紐でネックレスにしたものだった。
「これは?」
小さな容器の中でゆらゆらと揺れる紫の液体を見つめながら、私はキースにこの液体の正体を聞いてみる。
キースから渡されたものなので、魔法薬なのだろうとは思うが、何の魔法薬なのかはわからない。
「これはどんな状態でも飲めば一瞬で回復することのできる、この帝国一の魔法使い僕作のチート魔法薬だよ。毒に侵されていようが、全身骨折していようが、心臓と脳さえ動いていれば、この薬を飲めば必ず一瞬で回復できる。ただこれは全身の細胞を無理矢理活性化させて再生させるものだから、これを飲めば回復はできるけどその代わり回復するまでにものすごい痛みを感じる」
「も、ものすごい?」
「うん。ものすごい。死ぬほど痛いらしいよ。でも死なないから」
「へ、へぇ」
キースの淡々とした説明に冷や汗を流す。
この薬を飲む時が来ないことを祈るしかなさそうだ。
「そのネックレスは着けてしまえば着けている本人にしか認識できない。だから誰かに取られることもないし、それさえあれば君は一度だけなら絶対に死なないよ」
「…わかった。さすがキースだね」
「まぁね」
キースの説明を聞き終えた私は深く頷き、感心する。
私に褒められてキースも得意げだ。
「ありがとう、キース。あっちで落ち着いたらまた連絡するよ」
「うん。健闘を祈るよ」
笑顔でキースにお礼を言う私にキースが少しだけ微笑む。
こうして私は一ヶ月お世話になったキースの家を後にした。
あとはいよいよ国境付近の検問所に行き、合法的にこの帝国から出るだけだ。
*****
幼い12歳の私を探す者は多い。
一ヶ月前、私を必死に探していたのはフランドル公爵家だけだったが、今では何故かそこに皇太子であるロイも加わり、私は今、帝国中で探されている存在になっていた。
少なくともマルナの街中ではあちこちにあの指名手配書のようなものが貼られており、それを目にする度に私は毎回苦笑していた。
キースが1人で街に出て帰ってくる度に、半笑いで「君、いつから犯罪者になったの?街中に君の指名手配書もどきがあったけど?」と言っていたが、街を歩いてみてやっとその意味を理解した。
だが、逆に言ってしまえば、19歳の、本来の姿の私を探す者はルードヴィング伯爵家くらいしかいない。
しかもルードヴィング伯爵家はユリウスやロイのように大々的に私を探してはいなかった。あくまで秘密裏に探しているようで、セスを中心に誰かを探している、という噂が一時的に流れていたが、その程度だ。
なので幼い私の姿で移動するよりも、今の姿で移動する方がずっと移動しやすかった。
それでも私はキースに渡された焦茶の大きなコートのフードをぐっと引っ張り、あまり周りに顔を見られないよう、また怪しまれないように、周りを警戒しながら移動した。
幼い私ほど探されていないとはいえ、用心することに越したことはないだろう。
ルーワの森から一度、マルナへ出て、そこからさらに国境の検問所へと向かう。
そして検問所へ辿り着くと、私は帝国外へと出ようとしている人の列に並んだ。
この検問所はどの時間帯でもだいたい人が並んでいるが、今の昼前の時間帯が一番人通りが多い。
人通りが多いということは忙しいということだ。
キースが用意してくれた書類に不備など一つもないだろうが、念には念を入れたい。
どうせなら一番忙しい時間帯に行き、雑な処理を受けて、晴れて外へと逃げたい、という魂胆から私はこの時間帯を選んでいた。
検問所の入り口からここまで50メートルはあるだろうか。
まだまだ順番は来ないが、私は焦ることなく、気長に自分の番を待つことにした。
帝国外まであと少しだ。