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第7話 美女木ダンジョン

俺はダンジョン入口の大扉から離れて歩いていく。

柔らかな草を踏みしめるたび、微かな湿った音が足元から伝わってくる。遠くで小鳥の鳴き声が聞こえ、気持ちの良い風に土と緑の匂いが乗る。


100メートルほど進んだあたりで緑色のプルプルとしたスライムがいた。地面に生えている草を溶かして吸収しながらゆっくりと進んでいるようだ。

短剣を軽く構え直し、歩いて接近していく。するとスライムが粘液の塊を勢いよく吐き出してきた。


反射的に身体をひねってそれを回避する。

ねっとりとした粘液の弾は俺のすぐ横をすり抜け、草地に落ちてジュッと煙を上げた。


俺は短剣を握る手に力を込める。スライムはこちらに向かって跳ねながら、粘液を次々と飛ばしてくる。俺は難なくそれらを避けていくと、一気に距離を詰めた。


目の前まで迫ったスライムに対して、踏み込みながら素早く刃を突き立てる。

ブシュッという鈍い音と共に、スライムの体が一気にしぼんでいく。


そしてスライムの身体が淡く光り、光の粒子となって空へと消えた。

足元には小さな紫色の透き通った石、魔石が転がっている。

俺はしゃがみ込み、魔石を拾った。持ってみるとわずかに温かいのが分かる。


「ふぅ…初戦闘は上手くいったな」


小さく息を吐きながら、俺は魔石をリュックに入れた。

振り返るとまだ巨大なダンジョンの入口が見えている。もう少し進んでも大丈夫そうだな。

俺は周囲を軽く見渡すと、また進み出した。


少し歩くと緑色の大きな花がいくつか生えているのを見つけた。これは治癒の花だな。

花びら部分が素材になり売れるはずなので、俺は短剣を鞘に収めて近づく。

そして治癒の花を摘み取った。淡い香りが鼻をくすぐり、指先にわずかな湿り気が伝わる。


(採取も結構楽しいな)


手際よく7つの治癒の花を集め、リュックの中にしまい込んだ。

すると視界の端で何か動いたのが見え、バッとそちらを見ると、そこにはやたらと筋肉が発達している大きめの豚がいた。


「マッスルピッグじゃん…もうちょい奥で出るもんかと思ってたけど」


幸いにもマッスルピッグは俺に気が付いておらず、その辺に生えている草をムシャムシャと食べている。

俺はそっと息を潜めた。

マッスルピッグは見た目こそただのデカい豚だが、突進力はスライムとは比べ物にならない。真正面からぶつかれば、骨の一本や二本は簡単に折れる。


(どうする……やるか?)


短剣の柄を握り直す。

相手に気づかれていない今なら、奇襲が狙えるかもしれない。だが失敗すれば、一気に距離を詰められて反撃を受ける危険もある。


俺は慎重に周囲を確認した。

地形はほぼ平坦、障害物は少ない。逃げ道は問題ないな。

リスクはあるが、挑戦しても良い条件は揃っている。


俺は姿勢を低くして距離を詰め、できるだけ背後から近づく。

マッスルピッグは夢中で草を食んでいる。鈍重に見えるが、動き出せば速いはず。だから一撃で仕留めたい所だが…


一歩一歩、なるべく音を立てずに近付いていく。

俺が唯一持っている職業スキル"忍び足"の効果も相まってかなり足音が抑えられているはずだ。

そして、マッスルピッグから2mほどの距離になると、不意にマッスルピッグがピクッと動き、こちらに顔を向けた。


(なんで!?あっそうか、こいつ獣系じゃん…)


人間よりも鼻が利くはずだ。

マッスルピッグの黒く小さな目が俺を捉え、グワァッと低く唸る。筋肉の塊みたいな前脚が地面を叩き、土埃が舞い上がった。


(まっず!)


思考より先に、俺の身体が動く。

回避を最優先に、横に跳んだ。直後、マッスルピッグは轟音と共に突進してきた。


「っぶね!」


地面を転がるように受け身を取り、すぐに立ち上がった。

マッスルピッグは自身が撒き散らした土煙のせいで俺を見失ったらしく、そのまま数メートル先で止まり、鼻息を荒くしながら辺りを探っている。


俺は素早く態勢を整えた。

無傷で済んだのは幸運だったが、次はない。やるなら今度こそ一気に決めるしかない。

短剣を逆手に構え直し、呼吸を整える。


マッスルピッグの背中がこちらに向いた、その一瞬。

俺は地面を蹴って一気に間合いを詰めた。

マッスルピッグが気配に気づき、再び振り返ろうとした瞬間、俺はマッスルピッグに飛び乗った。

そのまま体重をかけて短剣を力任せに突き刺す。分厚い皮膚の手応えが、腕にずっしりと伝わった。


「フゴオオオオオ!!」


マッスルピッグが怒り狂ったように暴れ始める。

俺は必死に短剣を握りしめ、振り落とされまいと食らいついた。そしてもう一度、渾身の力で短剣を押し込んだ。

するとマッスルピッグが大きく仰け反り、呻き声を上げた。

次の瞬間、身体がふわりと軽くなる。

マッスルピッグの体が、光の粒子となって消えたようだ。


荒い息を吐きながら、俺はその場に座り込んだ。


「いやぁ〜危なかったな」


一息ついて周囲を軽く見渡してからマッスルピッグがいた場所を確認する。

地面には、先ほどのスライムが落とした魔石よりも少し大きい魔石と、大きめの肉のブロックと皮が落ちていた。

俺はそれを異空間収納の黒革のリュックにしまう。まだまだ中は余裕あるな。

立ち上がると、少し膝が震えているのに気付いた。


「…やっぱりスライムなんかとは訳が違うな」


無理やり深呼吸して心を落ち着かせる。リュックを閉めると俺は再び歩き出した。

少し進むと草原地帯が途切れて森が見えた。俺は足を止めて森を眺めるが…


「さすがにまだここは早いか」


そう言って俺は振り返ると、後ろに何かの影が見えて飛び退いた。そこには俺と同じように白いダンジョンドローンを連れてニヤッと笑っている立花さんがいた。


「良い反応じゃねぇか」


「何やってんすか…立花さん。あぁ〜ビックリした」


「ハハハ、ちょうど飯屋で腹を満たしてたらダンジョンに行くお前が見えたからな。暇だし見守ってやろうと思ってつけてたんだよ。

万が一その森に入ろうとしてたら拳骨でもして止めてやろうとしたが、その心配はいらなかったな」


「ええ?全然気が付かなかったな」


「ま、そういうスキルもあんだよ。お前もそのうちスキルスクロールを手に入れられるさ」


立花さんは肩をすくめ、気軽な調子で言った。


「立花さんがついて来てたなら無理矢理にでも森に入ってみれば良かったなー」


「バーカ。入る前にはお前の頭にたんこぶが出来てるわ。

そもそも今日のお前、ソロ探索の練習みたいなもんだろ?」


「まぁそりゃそうなんだけど…やっぱ森って危険ですかね?」


「そりゃあな。足場と視界は悪いし、奇襲を仕掛けてくる魔物もいる。まぁその危険に見合うぐらいには儲かるんだけどな。

お前盗賊だろ?それならレベル5になったら手に入る職業スキル"気配察知"を手に入るまでは森は辞めておいたほうが良いぜ」


「気配察知…」


気配察知か。確かにそれがあれば不意打ちにも対応できるようになるか。


「レベル5って言っても、結構時間かかりそうっすね」


「そんなもんだ。とは言っても8月ぐらいには上がってんだろ。

俺はこれからこの森に行くが、お前はまだ探索すんのか?」


「そうですね。もう少し平原で小遣い稼ぎしようかなと」


「そうか。それじゃ警戒を怠らないようにな」


立花さんは散歩でもしにいくかのような足取りで森に入っていった。俺はそれを見て軽く息を吐く。


「ふぅ〜、ビックリした。それじゃ引き返すかね」


俺はまた平原を歩き出した。あの人昨日あんだけ酔っ払ってたのにこんな早朝から探索してるんだな。

やっぱB級ぐらいになると回復力とか桁違いなんだろうか。

俺なんか、まだマッスルピッグ一体倒しただけで膝ガクガクだったのに。


「ま、比べるレベルですらないわな」


そう呟きながら、小さな丘を越える。風が吹き抜けて、草の海がさわさわと波打った。

ふと視界の端に片手に錆びた剣を持っている人型の魔物、ゴブリンが見えた。

幸いにも背中を向けている。俺は姿勢を低くしてなるべく足音を抑えながら早歩きで接近する。

ゴブリンは気付く様子がない。俺は短剣の間合いにまで接近すると、背中に短剣を突き刺して斬り裂いた。


ゴブリンは悲鳴を上げることもなく光となって消えた。そしてその場には小さい魔石と錆びた剣を落ちている。


「うん。ゴブリンは狩りやすそうだね」


そう呟いて魔石と錆びた剣をリュックにしまった。

ゴブリンは1体いたら他にも5,6体はいると聞くが、どうだろうか。

俺は周囲に目を走らせる。草原は広いが、腰ほどの草が所々に生い茂っていて、魔物が隠れていてもおかしくない。

すると、風に揺れる草の陰から、また別のゴブリンが顔を覗かせた。


(……1匹、2匹…)


今度は2体だ。しかもちゃんとした槍を持ってるやつまでいる。


「まずは槍持ちからだな」


俺は低く構えたまま、バレないように早歩きで間合いを詰める。槍はリーチが長い分、懐に飛び込めれば対処は楽だ。


風の音に紛れるように足を運び、間合いギリギリまで接近した瞬間、俺は地面を蹴った。

槍を持ったゴブリンが僅かな音に気付いて振り向くが、その反応は遅い。

俺は体を沈めるように滑り込み、短剣をゴブリンの脇腹へ深々と突き刺す。


「ギャッ!」


短い悲鳴と共にゴブリンの体が光の粒子になって弾ける。

続けざまに、もう一体が怒ったように吠え、剣を振りかぶって突進してきた。


俺はすぐに一歩引き、剣の一撃をかわす。

そして振り抜いて体勢を崩したゴブリンの首を斬り裂いた。手応えとともに、ゴブリンもまた光となって消える。

ドロップしたのは小さな魔石2つと錆びた剣、そしてそこそこ使えそうな鉄製の槍だった。


「おっ、これは悪くないんじゃないか?」


汗を拭いながら拾い上げ、リュックに放り込む。

また歩き出すと、それなりに疲労を感じていることに気が付いた。やっぱり警戒もするしそれなりに体力を消費するな。

俺は一旦休憩するためにダンジョンの大扉の方に向かって歩き出した。

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