次の日、授業が終わると、鬼龍先生に声をかけられた。
「鈴木、一之瀬、来い」
「うぇ?あ、はい」
「…はい」
俺は戸惑って思わず変な声が出た。一之瀬さんは普通に返事をする。
鬼龍先生の元まで行くと、鬼龍先生は俺達を見て話し出した。
「先日、お前たちがダンジョン入口まで運んだ探索者のご家族が校長室に来ている。お礼をしたいそうだ、行くぞ」
「はい」
「分かりました」
鬼龍先生は歩き出したので、俺達も続いて歩く。
それにしても、亡くなった探索者のご家族か。正直、気が重いな。
校長室へ向かう廊下は、妙に静かだった。教室の喧騒も遠くに感じる。校長室の前に着くと、鬼龍先生がノックをして扉を開けた。
中では三人掛けソファが2つ並び、間にはガラスのテーブルがある。そしてソファには着物を着た綺麗な姿勢のお婆さんが座っていた。
どことなく気品を感じ、ただ座っているだけだが、空間の中心にいるかような存在感がある。
この人があの亡くなった探索者、伊藤仁さんの親族なんだろう。
向かいのソファでは校長である佐々木歩美が応対していた。俺たちが入ると、校長が立ち上がる。
「失礼します。例の生徒2名、連れてきました」
「ありがとうございます。鬼龍先生は退室してください」
「はい」
鬼龍先生は校長室から出ていった。そして校長はお婆さんの向かいに座るように促す。
「2人ともこちらのソファに」
俺と一之瀬さんは無言のまま、促されるままにソファに腰を下ろした。
目の前のお婆さんは、静かに俺たちを見つめていた。
「初めまして。私は伊藤仁の母、伊藤誠子です。今日は、どうしても直接お礼を申し上げたくて伺いました。
命の危険まであるのに、息子を私達の元まで帰してくれて、本当にありがとうございました」
伊藤さんは深々と頭を下げた。ゆっくりと、丁寧に。
俺と一之瀬さんは、どう言葉を返せば良いかと少し黙ってしまうと、伊藤さんは頭を上げて話し出す。
「ごめんなさいね。来られても迷惑なのは分かっていたのだけれど、どうしてもお礼だけは言いたくて」
「いえ、その…まぁ、当たり前のことをしたまでなんで」
「私たちとしても、そのままご遺体が帰らないのは心苦しかったので」
「ええ。本当にありがとうございました。それでなのだけれど…」
伊藤さんは手持ちバッグから名刺入れとお土産で買うような饅頭が入っている平たく大きい箱を2つ取り出した。
その箱が入るほどの大きさには見えないので、異空間収納の手持ちバッグだな。
「この饅頭は私の地元で作られてる饅頭なのよ。良かったら食べて」
「へぇ~、いただきます」
「ありがとうございます」
俺たちはその箱を受け取る。思っていたよりも重量があり、パッケージにある饅頭はとても美味しそうだ。中身はあんこだな。
「それと…これは私の名刺なのだけれど、もし困ったことがあったら、遠慮なく連絡してちょうだい」
受け取った名刺には、桜の花びらが印象的な家紋があり、伊藤さんのフルネームと電話番号が書かれている。
俺はぎこちなく頷く。
「分かりました。ありがとうございます」
「もし何かあったら、連絡させていただきます」
「ええ。何度も言うけれど、本当にありがとうございました。
佐々木さんも、この場を作ってくれてありがとうね」
「いえ」
「それじゃあ、私は失礼いたします」
伊藤さんは立ち上がり帰ろうとするので、俺たちも立ち上がって見送った。伊藤さんが校長室から頭を下げながら出ていくと、校長が喋りだす。
「あの方は、ダンジョン出現から力を持ち始めた伊藤財閥の代表です。
表向きは伝統ある茶道の家元として知られていますが、実際には複数のダンジョン関連企業や研究機関に出資している方です。影響力は計り知れません」
校長がそう言うと、俺と一之瀬さんは思わず顔を見合わせた。
伊藤財閥の代表?まさか、そんな大物だったのか。
一之瀬さんが、眉をわずかにひそめ、俺も思わず名刺を見直す。
「お二人には、ただの偶然がもたらした縁かもしれませんが…彼女がああして名刺を渡したということは、今後、伊藤家が何かしら関わってくる可能性があるということです。
無礼のないように…とまでは言いませんが、その縁を無駄にしないように」
「「はい」」
返事をした俺たちに、校長は一瞬だけ微笑んだ。
その後、一之瀬さんと校長室を出ると、基礎訓練施設へと行き、また気の訓練をした。
そして家に帰り、晩飯のからあげを食べ終わると、饅頭が入った大きな箱をリュックから取り出す。
封を切って箱を開けると、そこには小袋に入った饅頭がぎっしりと入っていた。
「随分あるな。食べきるのに時間がかかりそう」
饅頭を1つ取り出して、袋を開けて食べる。
もちもちの食感の後にあんこの甘味が口の中に広がる。もち自体にも優しい甘味があり、かなり美味しい。
牛乳を飲みながら続けてもう1つ食べると、箱の底がわずかに浮いていることに気が付いた。
「なんだ…って、おいおい。マジか」
底を完全にずらすと、そこには何枚かに重なる1万円札がズラッと並んでいた。
饅頭を取り出して、お札も全て取り出すと、そこには合計100万円と達筆な手紙が入っていた。
そこにはこう書かれている。
『これは、お二人が息子のリュックに入れてくださった物の合計金額です。この恩は必ずお返しいたします。
困ったことがあったら、お気軽に連絡してください』
「いや、もう貰いすぎだって…」
俺はすぐさま一之瀬さんに連絡する。何秒か経つと、一之瀬さんが電話に出た。
「『こんな時間にどうしたのよ』」
「いや、饅頭の中、見た?」
「『…まだだけど、その言い方からすると、何か嫌な予感がするわね』」
通話越しにガサゴソと聞こえる。そして少し経つと、また喋り出した。
「『ただの饅頭じゃない』」
「饅頭どかして箱の底ズラしてみ」
そう言うと、少しの物音のあと、無音が続いた。
思わず通話が切れたのかと、スマホを見てみるとそんなことはない。
「一之瀬さん?」
「『……なによこれ。現金?…これ、全部でいくらよ?』」
「そっちも100万だと思う。俺んとこがそうだったから」
通話の向こうで小さく息を呑む音がした。一之瀬さんの声が少し低く、慎重な響きを帯びる。
「『これ、受け取っていいものなの?』」
「手紙も入ってるでしょ?探索者さんのリュックに入れたドロップ品の合計金額だって。
ただ、たぶんこれ、いくらかプラスして入ってると思うわ」
「『そうよね?私とあなたで200万ってことでしょう?
絶対そんなには無かったはずよ。どうしたら良いのかしら』」
一之瀬さんが悩むような声で言う。
「まぁ、あの感じだと返しても拒否されるだろうし、使わないで取っておくで良いんじゃない?」
「『…そうよね。それが一番角が立たないか…ありがとう。教えてくれて』」
「うん。それじゃ、おやすみ」
「『ええ。おやすみなさい』」
通話を切った俺は、一息ついた後に、札束を押し入れの奥にしまった。
財閥の代表だと言っていたが、これからもお礼として何か貰ったりだとかがあったら、少し面倒だな。
まっ、何とかなるか……いや、そういえばSNSでバズってた件もあったな。
「はぁ…寝よ」