俺は速の訓練エリアへと足を運び、そして短距離ダッシュのエリアに着くと、そこでは1人の女性が走っていた。
おそらくは上級生で、俺の3倍は早いように見える。
「すっごいなぁ」
思わずじっくり見ていると、その女性がこちらにやってきた。金髪ショートカットで身長が高く、スラッとした体型をしている。
いわゆる王子様系女子とでも言うのだろうか、彫りが深くイケメン寄りの人だ。
「僕のことをじっくり見ていたようだけど、何かようかな」
「あ、すんません。凄く速いなぁと思って見ちゃって、まだ俺レベル2だから参考にしちゃいました」
「ん、新入生か!僕の後輩というわけだね、名前は?」
「鈴木海人です」
「海人くんか。僕は2年の美倉天音(みくら あまね)だよ。よろしくね」
天音先輩はにこやかに右手を差し出してきた。その仕草が自然で、つい俺も反射的に握手を返す。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
握った手は細くて華奢なはずなのに、しっかりと鍛えられた芯の強さを感じた。
「海人くんの職業を聞いてもいいかな」
「俺は盗賊です。美倉さんは?」
「あぁ、海人くんも名前で呼んでくれるかい?」
「あ、はい。天音さんは職業は何なんですか?」
「ふふ、名前で呼んでくれてありがとう。僕は格闘家だよ」
「え、格闘家だったんですか。速いっすね」
「格闘家は力の次に育ちやすいのが速だからね。速は積極的に鍛えてるんだ。それに、レベルもそれなりに上がってるしね」
そう言いながら、天音さんは軽く肩を回す。
その動きはまるで風をまとうかのように滑らかで、無駄が一切ない。見ているだけで圧倒される。
「レベルって、どのくらいなんですか?」
「ふふ、内緒。でも、まぁ15は超えてるよ」
「へぇ、15も…めっちゃ凄いっすね」
「地道に頑張れば誰でも届くさ。ちゃんと訓練してるなら、ね?」
天音さんは俺の肩を軽く叩く。さっきまでの爽やかな笑顔に加え、どこか熱を帯びた眼差しが混じっていた。
「速を鍛えるなら、ただ走るだけじゃダメだよ。フォームの見直しと、瞬間加速の感覚を掴むこと。
特に盗賊なら、瞬発力が要になる」
「瞬間加速、ですか」
「もしよかったら、軽く並走してみる?本気じゃなくて、フォームを見るくらいのペースで」
「いいんですか?」
「もちろん。後輩が頑張ろうとしてるのを、放っておけない性質なんだ」
天音さんはそう言って、スタートラインに立った。
「じゃあ、合図は僕が。よーい、スタート」
合図とともに、地面を蹴って走り出す。風が肌を打つ感覚が心地いい。
天音さんは無駄な力を一切使わず、まるで地面との摩擦すらなかったかのように滑るように進む。
脚の回転も、腕の振りも、全てが洗練されていて、それでいて柔らかさを失っていない。
俺が必死に蹴り出して前へ進んでいるのに、天音さんはただ流れているようだった。
「肩の力、抜いて。もっと身体全体で前に運ぶ感じで」
走りながらも、天音さんは落ち着いた声でアドバイスをくれる。その余裕っぷりに、思わず笑ってしまいそうになる。
少しでも真似しようと意識を変えると、体の重心が前へとスッと移動し、ほんのわずかだが足取りが軽くなった気がした。
(こんな、変わるもんなのか)
ゴールまで走り終えると、俺は軽く息を荒くしながら立ち止まる。一方の天音さんは、全く息を乱すこともなく振り返った。
「うん、素直でいい動きだ。意識を変えるだけでも、ちゃんと変化が出てる」
「ほんとですか?」
「あぁ。伸びしろはかなりあると思う。特に盗賊って職業は、動きに自由度があるからね。
体の使い方が上手くなれば、グンと伸びると思うよ」
そんなことを話していると、女子生徒数人がこちらにやってきた。誰もが熱っぽい視線で天音さんを見つめていて、俺への視線は若干敵を見ているような感じがする。
「天音様!そろそろ、会議の時間ではありませんか?」
その中のひとり、ポニーテールの女子が一歩前に出て、丁寧に言葉を紡いだ。制服の胸元には小さなバッジが光っている。きっと何かしらの役職持ちなんだろう。
「ああ、そうだったね。ありがとう、七瀬。
っと、海人くん、ごめんね。どうやらお姫様たちが迎えに来ちゃったみたいだ」
天音さんは冗談めかして笑い、俺にウインクをひとつ投げてから女子たちに向き直る。
その瞬間、彼女たちの顔がぱっと明るくなるのが分かった。まるで王子様に名前を呼ばれた民みたいに。
「また会おうね、海人くん」
「はい、ありがとうございました」
天音さんがその場を離れると、残された女子たちが一斉に視線を向けてくる。
その圧に思わず苦笑いしながら、俺は足元のトラックに視線を落とし、さっきの感覚を忘れないうちにもう一度走り出した。
「先ほどの男子生徒…確か、ネットで話題になっていた2人のうちの1人ですか」
「ん…あぁ、言われてみればそうだね」
美倉天音とその他数人の女子生徒が渡り廊下を歩く。美倉は歩きながら、ふと顎に指を添えて考えるような仕草を見せた。
「名前は鈴木海人くんだったかな」
「はい。もう一人の子と一緒に亡くなった探索者を大扉まで運んだのがネットニュースになってましたね。バズってましたよ」
「へぇ…やっぱりその辺りの美談は伸びやすいね。
まぁでも、彼は単純にセンスがあるように見えたなぁ。顔も良かったし」
美倉の声には、どこか楽しげな響きが混じっていた。それを聞いた女子たちは一瞬だけ沈黙し、その後の空気が微妙にざわついた。
「…天音様、まさか気に入ったんですか?」
「ん?気に入ったっていうより、目をかけてあげたいなって思っただけさ。基礎訓練施設を使うなら、これからも会うことはあるだろうしね」
「むぅ、男子とはあまり関わってほしくないです」
七瀬という女子生徒が暗い表情を見せる。他の女子生徒も同様に。
美倉はそれを見て笑みを浮かべた。
「嫉妬かい?彼と愛し合っていたわけでもないのに」
「これからそうなりそうだから危惧してるんです!」
「そうですよ!」
七瀬の言葉に他の女子生徒も同調する。
「フフッ…まぁ、そうだなぁ」
その様子を見て美倉は軽く笑うと、両脇にいる七瀬と女子生徒の腰を抱いて引き寄せた。
「このあとの君たちの頑張り次第で、僕の気持ちも変わるかもしれないね」
「——っ!」
七瀬ともう一人の女子生徒の顔が一瞬で赤く染まった。
天音の腕の中で戸惑いながらも、否定の言葉は出てこない。むしろ目元にはほんのりとした喜びすら浮かんでいた。
「も、もう……そうやってすぐに惑わすんだから…!」
「天音様、ずるいです……!」
「わ、私も抱き寄せてください!」「私も!」
女子生徒たちは文句を口にしながらも、その歩みは緩むことなく天音の隣を占めるようにしてついていく。
「フフッ…それじゃあ行こうか、僕の家に。
そこでじっくりと会議をするとしよう」