父さんに相談してから、あっという間に数週間が過ぎた。
俺たちは学園の努力成果の提出に向けて、それぞれが忙しい日々を送っていた。
平日は学園での授業と訓練、そして週末には二人でダンジョンに潜り、レベルを上げるために効率よく魔物を討伐して素材を集める。そんな生活が続いた。
そして、ようやく努力成果を二人とも提出し終え、少し落ち着いた頃。
ある日の放課後、授業が終わって教室を出ようとすると、舞が俺に声をかけてきた。
「海人。今週末に美女木支部でやる祭り、行くでしょ?」
舞は目を輝かせながら、俺の顔を覗き込むように言った。
美女木支部で祭りがあることは知っていたが、努力成果の提出で頭がいっぱいですっかり忘れていた。
「もちろん!行く行く!」
「それじゃあ、土曜日の午後、美女木支部の前で待ち合わせね」
「うん!楽しみだね〜」
舞は嬉しそうに微笑んだ。その笑顔を見ていると、俺も自然と笑顔になる。
そして迎えた土曜日。美女木支部周辺は、朝から祭り一色だった。
色とりどりの提灯が飾られ、屋台からは美味しそうな匂いが漂ってくる。普段は探索者で賑わう通りも、今日は家族連れやカップル、友人同士でごった返していた。
俺は約束の時間より少し早めに美女木支部の前に着いた。すでに多くの人で賑わっている。
舞はまだ来ていないようだった。しばらく待っていると、人混みの中に舞の姿を見つけた。
普段の探索着とは違う、夏らしい浴衣姿の舞。髪はアップにまとめられ、うなじが綺麗に見えている。いつもとは違う舞の姿に、俺は思わず見惚れてしまった。
「舞!こっち!」
俺が声をかけると、舞は俺に気づき、笑顔で駆け寄ってきた。
「海人!待った?」
「いや、今来たところだよ。…浴衣、似合ってるね」
俺は素直な感想を口にした。舞は少し照れたように微笑んだ。
「ありがとう。海人も、今日の服、似合ってるわ」
俺は甚平を着ていたが、舞にそう言われると、なんだか嬉しくなった。
「さ、行こう!」
舞は俺の手をそっと握った。その温かさに、俺の心臓は高鳴る。俺たちは手を繋いだまま、祭りの人混みの中へと足を踏み入れた。
射的、金魚すくい、たこ焼き、焼きそば。祭りの屋台を一つ一つ見て回り、俺たちは童心に帰ったように楽しんだ。
舞は射的で景品を狙い、俺は金魚すくいで奮闘する。たこ焼きを二人で分け合い、焼きそばを頬張る。どれもこれも、探索では味わえない、特別な時間だった。
「ねぇ、海人。あそこの綿あめ、食べたいな」
「ん、行こう」
舞が指差す先には、カラフルな綿あめを売る屋台があった。俺たちは綿あめを買い、二人で分け合って食べた。口の中でふわっと溶ける甘さに、舞は満面の笑みを浮かべている。
2人で歩きながら食べていると、大扉に続く大通りが、にわかに騒がしくなり始めた。
ざわめきが波のように広がり、人々の視線が一斉に一点に集まっていく。
「神崎啓介が来たらしいぞ!」
「は!?マジで!?あの神崎啓介が!?」
「神崎様!?会いたい!」
周囲から、興奮した声が聞こえ始める。神崎啓介。その名を聞いて、俺は鬼龍先生の授業を思い出した。
日本にダンジョンが現れて以来、たった一人で国家間の均衡を作り出したという、伝説の探索者。まさか、こんな場所で会えるとは。
俺と舞も、その騒ぎの中心へと向かおうとした。
しかし、あまりの人混みに、一歩も前に進めない。人々は皆、大通りの奥を指差し、興奮した面持ちで何かを叫んでいる。
「すごい人ね…」
舞が俺の腕を掴みながら言った。俺も頷くしかない。これでは、神崎啓介の姿を見るどころか、何が起こっているのかも分からない。
その時、ダンジョン入口の大扉の前に設置されていた高台の上に、いつの間にか一人の老人が立っているのが見えた。
老人だが、その身長は高く、背筋はピンと伸びていて、姿勢が良い。遠目からでも、その存在感は圧倒的だった。
俺はどことなく、彼から底知れない怖気を感じた。
老人はマイクを持つと、軽くマイクテストをした。
その声は、老齢を感じさせない、力強く響き渡る声だった。
「あー、聞こえるな?私は神崎啓介だ」
その言葉に、周囲のざわめきが一瞬にして静まり返った。
誰もが息を呑み、その老人の言葉に耳を傾けている。
俺も舞も、その場に立ち尽くし、神崎啓介の言葉に集中した。
神崎は軽く周囲を見渡すと、満足そうに頷いた。
「うん。実力のあるやつがそこそこいるな、良いことだ」
そして、軽く咳払いをして、再び話し始めた。
「長話は好きじゃないからすぐに終わらせる。お前ら、探索は好きか?ダンジョンは楽しいか?」
神崎の問いかけに、所々から「おおー!!」「もちろん!」といった肯定の叫びが聞こえる。
その声は、まるでダンジョンに魅せられた探索者たちの魂の叫びのようだった。
神崎啓介は満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、まるで子供のように純粋で、しかしどこか底知れない不気味さを感じさせた。
「私もだ。ダンジョンは良い、夢という宝が詰まっている宝箱みたいなものだ。
ここで、せっかくだから私が1つ宝を追加してやる」
神崎は一拍おいた。その間、周囲は静まり返り、誰もが彼の次の言葉を固唾を飲んで待っている。
俺も舞も、その言葉に引き込まれるように、神崎啓介を見つめていた。
「今、ダンジョンにある深層領域、そこをさらに越えた先で、私は人に会ったことがある。言葉は通じなかったが、敵対心もなく知性のある確かな人間だった。そして、私と同じ実力者だった。
おそらくだが、深層領域をさらに越えた先、そこには異世界への大扉があるのではないかと推測している」
神崎啓介の言葉は、まるで雷鳴のように俺たちの頭に響き渡った。
周囲の探索者たちは、その言葉に驚きと興奮を隠せない様子で、ざわめきが再び大きくなっていった。
俺も舞も、その言葉にただ立ち尽くすしかなかった。異世界。その言葉が持つ響きは、俺たちの想像力を掻き立て、新たな冒険への期待を抱かせた。
「フフ…いい顔だ。それでこそ、探索者というものだ。それでは祭りを楽しむと良い。機会があれば、また会うことになるだろう」
そう言って、神崎啓介は高台からスッと消え去った。