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第22話 クリームソーダは特別なストローで

 試験期間をあと2日残して、泰生の前期試験は全て終了した。今日もまた、地球に蒸し焼きにされそうなくらい暑い。しかも試験が済んだのは、夏の1日で一番暑苦しい、15時少し前だった。

 とはいえ何とも言えずすっきりした気持ちになったので、泰生は商店街のある駅で途中下車した。アーケードの中にはもう祇園囃子は流れておらず、Summer Sale と書かれた横断幕が飾ってあった。電車の中で大阪の天神祭の吊り広告を見たが、この辺りは京都なので、それは関係無いということらしい。

 泰生は淡竹を目指して商店街を下る。暑過ぎて危険なレベルだからか、夏休みに入っているはずの子どもの姿はあまり無いが、おもちゃ屋の店頭で浮き輪とビーチボールが揺れていた。定休日の店舗の前では、野菜や果物の露店が並ぶ。緑色のプラスチックの籠に、小ぶりの桃が盛られているのを見て、お盆が近いなと泰生は思う。

 予想に反して、喫茶店は混雑していた。テーブルは全て塞がっているのに、店の中には店長1人きりだ。

 泰生はカウンターに向かい、店長にこんにちは、とそっと声をかけた。店長はトーストを切る手を止めて、ああ、いらっしゃい、と笑顔になった。


「ごめんな、俺一人でばたついとって」


 店長はトースターのタイマーを回してから、4つのグラスに氷を入れた。


「キムラさんが調子崩しとってな、こんなクッソ暑いのに混むと思わんやん……」


 小声で言いながら、店長がポットからグラスにコーヒーを注ぐと、香ばしい匂いが広がった。キムラさんとは、この間岡本と一緒に働いていたベテランの女性らしい。

 店長は手早く銀の盆にコーヒーの入ったグラスと、ガムシロップとコーヒーフレッシュが入った小さなピッチャーを置いて、カウンターから出ていった。戻るとすぐに泰生にお冷やと冷たいおしぼりを出し、こそっと言う。


「キムラさんコロナみたいなんやわ、流行ってきてるし長谷川くんも気ぃつけや」


 あの女性の気の良さそうな笑顔を思い出し、泰生は気の毒に思った。兄の友樹の会社でも、父の会社でも、陽性判定が出て休んでいる人が出ているという嫌な話を昨夜聞いたばかりだった。

 泰生ははい、と答えながら手を拭く。冷たくて気持ちいい。頷く店長がドリッパーに湯を落としていると、アイスコーヒーが運ばれた席から声がかかった。


「マスター、ストローおくれ」

「あっごめん、ちょい待ってや」


 ドリップを途中で止めるわけにはいかず、店長の声に焦りが混じる。彼の背後でトースターがちん、と音を立て、ワンオペのキッチンは大わらわだ。

 泰生は自分の座る席の斜め前に、袋入りのストローが数本立っているのを見つけ、思わず声をかけた。


「ストロー持って行きます」


 店長はえっ! と言ったが、ごめん、とすぐに翻った。泰生は立ち上がり、カウンターから手を伸ばした。

 4人の老人は、袋に入ったストローを泰生が持ってきたのを見て、ごめんな、ありがと、と口々に言う。


「ごめん、ついでに水もろていい?」 

「えっ? あっ、ちょっと待ってくださいね」


 泰生が慌ててカウンターに戻ると、店長は焼き上がった厚いトーストにバターを塗っていた。


「店長、水やそうです」

「ごめん、頼まれていい?」


 氷水の入ったピッチャーを指差されて、泰生はそれを取り上げた。水滴が底からぽたぽた落ちたので、傍にあった乾いたダスターで拭く。

 老人たちのグラスに順番に水を注いでいると、にいちゃん新しいバイト? と訊かれた。


「いえ、客です……」


 老人たちは軽くどよめく。


「そうなん? あっ、キムラさん休みやからか、気ぃつかへんでごめんなぁ」


 泰生は今年の2月まで、京都駅の傍の飲食店街にあるチェーンカフェでアルバイトをしていたので、慣れた仕事だった。いえいえ、と返事しておく。

 その時、奥のテーブルの3人の中年女性が席を立った。さすがに会計をするのは憚られるので、泰生は代わりにバタートーストを営業マンらしき男性のところに運んだ。

 店長は顔の前で手を合わせ、ほんまごめん、と泰生に謝った。それを見ていた常連らしき老婦人たちが、バイト代出したげなあかんなぁ、と笑う。

 それを聞いた店長が、探る目線を送ってきた。


「長谷川くん、もし暇やったら、5時に文哉来るまで手伝ってくれへんかな」

「えっ……」


 暇なので構わないのだが、物の場所もわからないのに、逆に迷惑ではないのか。断らない泰生を見て、店長は食器棚の下のほうから、クリーニングの袋に入ったデニムのエプロンを引っぱり出した。


「頼んだ、バイト代払うわ……鞄ここの奥に入る? 心配やったらスマホと財布持っといて」


 マジですか。あ然とする泰生の背後で、老婦人たちが、楽しげに手を叩く。引けなくなった泰生はエプロンを袋から出して、店長と同じ姿になった。


「いらっしゃい」


 小さな男の子と女の子を連れた母親と、子どもたちの祖母と思しき4人が店に入ってきた。手を洗った泰生は盆を持ち、客が去ったばかりのテーブルをきれいに片づけ、新規客を座らせた。


「僕かき氷がいい」

「お腹壊すで、あんた昼ご飯の後もアイス食べてたやん」

「えーっ、ほなクリームソーダ」

「はいはい、おにいちゃんに言い」


 かき氷がダメでクリームソーダはOKというのがよくわからなかったが、母子は軽く攻防した後、泰生にオーダーした。働いていたチェーンカフェではオーダーを手書きすることが無かったので、そんなところで少し緊張した。

 オーダーを通すと、店長は冷凍庫からてきぱきとバニラアイスの入った箱を出した。よく動く人だ。

 シンクには洗い物が溜まっていた。ストローがあまり無いのも気になる。家族連れのためにストローを用意すると、長谷川くん、と店長が呼びかけてきた。


「コーヒーはそれでええわ、クリームソーダはこっちでお願い」


 色とりどりの太めのストローが、チャックつきの袋に詰まっていた。何色がいいだろう。泰生は男の子にはミントグリーン、女の子にはペールオレンジを選ぶ。彼らがそれぞれ着ているTシャツの色だ。

 太いストローは5センチほど下が蛇腹になり、折れ曲がるようになっている。前のアルバイト先ではストレートのストローしか取り扱っていなかったので、ちょっと新鮮だ。

 店長は緑色のソーダをグラスに注ぎ、アイスクリームディッシャーでぽこっとバニラアイスを乗せた。


「長い柄のスプーンも持ってったって」

「えーっと、はい」


 子どもたちはクリームソーダに大喜びして、カラフルなストローとスプーンをグラスに突っ込んでいた。それを見て泰生は、何年くらい蛇腹つきの太いストローで、ソフトドリンクを飲んでいないだろうかと思う。

 2人の老婦人と4人の老人たちが帰ると、泰生は洗い物を始めた。洗浄機を1回回せるだけ食器を放りこんでおけば、だいぶ店長も楽なはずだ。

 作ったばかりのアイスコーヒーを冷やすべく、店長はポットにそれを移した。


「後で出来たて冷えたてをご馳走するわな、ほんま助かるわぁ」

「いえ……あ、普通のストロー後で補充しますね」


 いかんせん店内が狭いので、少しの手伝いで落ち着きそうだった。でも、有り難がられるのは、素直に嬉しかった。



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