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1-4 後の宴、祭りの準備

「おい坊主、ワシの酒が飲めないなんて言わないよな?」

「いや、でも俺は任務で……」


 チトの奇跡を目の当たりにした夜。遅めの夕食で集った、お茶の間で。

 リュッカは、一升瓶いっしょうびん片手に詰め寄ってくる正夫まさおから逃れようと、視線を泳がせた。

 数時間前のおっかない姿はどこへやら――正夫は畳の上で片膝を立てて、機嫌きげんよく酒をあおっていた。用意されたお膳には、旬の山菜やキノコなどの手料理が並び、たみこ子が新米をたっぷりよそってくれる。


 それは見事にキクを咲かせたチトへの、感謝とねぎらいの晩餐だった。


「いかがでしょう、チトさん。お口に合いますかしら?」

「民子、酒が切れるぞ。くらにワシの秘蔵酒があるから取ってこい!」

「おいしい。これはユリの球根きゅうこんか?」

「あの、俺、はしはちょっと難しくて……フォークってないですか?」


 すっかり打ちけた雰囲気は、正夫がVERTヴェールから来た二人を認めた証。

 ――いや、正しくはチトを認めた証か。リュッカはチトの異能が炸裂さくれつした瞬間を思い返した。

 目の前でキクが満開を迎える、魔法のような光景。何度思い出しても鳥肌が立つ。そういえばあの後、民子が咲いた菊花をいくつかんでいたが、何のためだったのだろう。


 リュッカは回想しながら、不器用な義手で箸を握った。

 手元が狂って、漬物が空を飛ぶ。革手袋をしたまま食事をするチトも大概たいがいだが、リュッカの粗相そそうは目に余った。

 その不作法はもちろんリュッカも自覚していて、


「……すみません、こんなに散らかして」

「その義手じゃ仕方なかろう。今晩は無礼講ぶれいこうでいい。それよりも、ほら、さかずきを持て」


 正夫は落ち込むリュッカにそう言うと、盃を押し付けた。

 ぐいみではなく、大きく平たい朱塗りの盃。リュッカは断り切れず両手で受け取った。軽くて丈夫な漆器に、民子がなみなみと清酒を注ぐ。そして仕上げに――キクの花弁を一枚。盃の中の湖に、小舟のようにそっと浮かべた。


「この花びらは何ですか?」

「『菊酒きくざけ』という風習でございます。厄除やくよけや健康長寿を願うものなんですよ」


 民子は答えると、静かにその場を離れた。

 正夫も遠い目で菊酒を見つめ、にわかに口を閉じる。

 正夫の妻・菊代きくよを含めた多くの住人を、流行病はやりやまいで失ったヨナギ村。そんな場所で、長寿祈願の盃を交わそうというのだから、内心平静ではいられないだろう。チトが食事の手を止めてリュッカを見た。


 盃を持つ義手が震え、キクの花弁が揺れる。

 なかったことにはならない悲しい過去たち。

 リュッカはそれらを振り払うように、盃をぐいとあおった。


「――ぷはっ」


 かぐわしい香りが鼻を抜け、途端に酔いが回る。視界がブレる。


「お、なかなかいい飲みっぷりじゃないか、坊主」


 一気にあおったリュッカを見て、正夫が悪戯いたずらな笑みを浮かべる。少し離れた場所では、チトが興味深げにまたたいていた。正夫は哀愁あいしゅう清算せいさんするように、追って自分の盃をからにすると、民子に合図するように高く掲げた。



 さて――その後の出来事は、リュッカの記憶からすっぽりと抜け落ちている。

 酩酊めいていに次ぐ酩酊。リュッカは正夫に勧められるがまま、浴びるように酒を飲んだ。どれだけ飲んだのかまったく思い出せない。

 しかも後で聞くところによると、酔ったリュッカは給仕きゅうじに走る民子を見かねて、デリカシーに欠ける発言をしたとのことだった。

 というのも、リュッカはかわやに立った民子に対して、


「俺も手伝いまひゅ!」


 と挙手したらしい。

 いや、だって、「お花を摘みに」と聞いて黙っていられる〈庭師〉がいるだろうか。


 リュッカはチトから冷ややかな視線を頂戴ちょうだいし、正夫から鉄拳てっけんを見舞われ、ついには使用人部屋に放り込まれて一夜を明かした。民子がチトをかばうように部屋を分けたのを、うっすらと思い出す。誤解を招く言い回しはもうこりごりだ、とリュッカは思った。


   ・・・


 翌朝。リュッカはほとんど全裸で目覚めた。


「うう、頭が痛い……」


 二日酔いでぼんやりとする頭を、掌底しょうていで叩く。

 貸与された浴衣は、かろうじて腰帯からぶらさがっている状態。寝ているうちにきむしったのか、胸には引っ掻き傷が残っていた。リュッカは右肩の義手の継ぎ目を眺め、いそいそと着替えはじめた。

 VERTの紋章がついた、軍服じみたマントを羽織る。

 リュッカは着替え終わると、コメを炊く香りに誘われるように使用人部屋を出た。


 リュッカがまっすぐ居間へ向かうと、


「ひゃふ!」


 行く手から、聞き覚えのある小さな悲鳴。

 悲鳴のほうを見れば、廊下に膝をつくチトの姿があった。

 チトは慌てて立ち上がり、きょろきょろと首を巡らす。転んだのを見られたくなかったのだろうが――タイミング悪く、出くわしたリュッカとばっちり目が合った。

 チトは誤魔化ごまかすように咳払いをして「……おはよう」と呟いた。


 おそらくチトは、慣れない服装のせいで敷居しきいにつまづいたのだろう。

 だってチトの着ているは、


「その着物、どうしたんですか?」

「今朝、民子が着せてくれたんだ。菊代がもっていただそうだ」


 チトが着ていたのは、鮮やかな深紅の振袖だった。

 晴れの日専用の衣装があるのか。そんな誤解を顔面で表現したリュッカに、着物姿のチトが噴き出す。


「『ハレ』とはいわゆる非日常。冠婚葬祭を代表とする特別な日のことだよ」

「なるほど」

「と、ところでリュッカ。どうだろう。わたし、変じゃないか……?」


 チトが着物の袖をつまんでくるりと一回転する。

 金色の帯は、リボン型の文庫結び。紅色の布地には、小菊の刺繍ししゅうが散りばめられていた。えりぐりから覗く黄色の単衣ひとえが、チトのブロンドヘアーとよく馴染んでいる。


 リュッカはそわそわと返事を待つチトに、


「はい。まったく変じゃないですよ」

「…………」


 リュッカのあっけらかんとした答えに、チトは沈黙した。

 途端に唇をとがらせ、もじもじと指を組み合わせるチト。その手にはいつもの革手袋がはめられていて、あでやかな着物姿においても変わらず異彩を放っていた。


「あっ、その着物が気に入らないなら、俺から民子さんに言いましょうか?」

「……そうじゃ……なくて……」

「大丈夫ですか? もしかして具合でも悪――」


 言いよどむチトを心配して、リュッカが尋ねた瞬間。


「そこは『か・わ・い・い・ね』じゃろうがッ!!」


 ごつん! と、げんこつ大の衝撃が、リュッカの頭をしばいた。

 唐突な暴力に、脳みそがぐわんぐわんと揺れる。痛い――だけど目は覚めた。リュッカが振り返ると、正夫が呆れた様子で立っていた。


「菊代の着物か。こりゃまた懐かしいものを。似合ってるぞ、嬢ちゃん」

「……ありがとう、正夫」


 チトはリュッカを不満げに一瞥いちべつすると、正夫について歩いていった。

 変じゃないか、と聞かれたからそう答えたのに。チトはいったいなんなんだ――ひとり取り残された廊下で、リュッカは頬を膨らませた。


 正夫はああ言ったが、リュッカはことのほか、正夫の指摘に懐疑的かいぎてきだった。

 ヨナギ村のキクを救ってみせた〈一級庭師〉のチトは、世界的にもう十分「すごい」人物なわけだし、今さら服装でめられたって嬉しくはないだろう。

 それに――昨晩は興奮してチトの手を握ってしまったが、リュッカはまだ、チトとの距離感を測りかねていた。調子に乗って褒めたりなんかして、初対面のときみたいに拒絶されるのは勘弁かんべんである。まあ、振袖が似合っていたことには同意するけれど……

 リュッカは正夫にしばかれた頭をさすりながら、ふらふらと二人の後を追った。




 昨日のうたげとは打って変わって、おごそかな朝食の時間。

 正夫は、民子が用意した食事をぺろりと平らげると、


あわただしくて悪いんだが、今日は、菊人形づくりのすけを呼んでいる。いやなに、ワシの知人ばかりだ。そろそろ到着する頃だから迎えに行ってくる。嬢ちゃんたちはゆっくりしていってくれ」


 そう言って、正夫はテキパキと片づけを始めた。

 どうやらリュッカが知らないうちに、

「せっかくだから『菊人形祭り』まで滞在していきなさい」

 という話になっていたようだ。

 チトが着物姿なのも、今朝中にヨナギ村を出発するつもりがないからだと気づく。民子に至っては、朝から祭りの準備に奔走ほんそうしているようで、挨拶あいさつどころか朝食の場にも居合わせない始末しまつだった。


「正夫。ぜひ、わたしにも菊人形づくりを手伝わせてくれ。こう見えて、細かい作業は得意なんだ」


 すかさずチトが、革手袋の手を掲げて立ち上がる。

 リュッカもそれに追随ついずいしようとしたが、ふと冷静になった。

 器用とは対極にある、リュッカの鉄の義手。それは、菊人形の制作――キクを使って人形の衣装を仕立てる繊細な作業に向いているはずもなく。

 チトと正夫が意気揚々と去っていくのを見届け、リュッカはしょんぼりと肩を落とした。


 ……えも言われぬ疎外感。

 こうなったら、言われた通り「ゆっくりしていって」やろうじゃないか。

 リュッカは寂しさをまぎらわすように、斉藤家の敷地を探索しはじめた。村は閑散としていたが、のんびりと散歩すれば、キクの香りがする風が心地よかった。

 そして、リュッカが屋敷の裏手に出たときだった。


「やっと見つけた」


 敵意のこもった一声が、リュッカを呼び止めた。

 足を止めれば、そこには見知らぬ少女が二人、リュッカを品定めするように立っていて、


「……ねぇあいちゃん、やめようよぉ。人違いだったら失礼だよぉ」

べには相変わらず臆病おくびょうね。アイツがチトに決まってるわ!」

「でもでも、怖い人かもしれないしぃ……」

「平気よ。紅はちょっと下がってて」


 遠巻きに立ちはだかる、十代半ばの、着物姿の少女たち。

 リュッカに突っかかってきた前者はショートカットで、腰が引けているそばかす顔の後者は、長い髪をお団子にしていた。

 二人は内輪うちわで何やらもめていたが、やがて「あいちゃん」と呼ばれた勝ち気な少女が、リュッカを見据えてこう言った。


「アンタがチトね? 私は〈みどりのゆび〉なんてインチキな能力、認めないんだから!」

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