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1-6 菊の墓標

 広間を出たチトは、すぐにべにを発見した。


 土間の奥――使用人しか立ち入らないような薄暗い一画。紅は、かまどのそばにある小さなつかの前でうずくまっていた。

 本人はそこで隠れているつもりらしかったが、泣き声を漏らしていては意味がない。


 チトがそっと呼びかけると、紅は、あいが追いかけてきたと思ったのか、


「藍ちゃん?」

「……藍でなくてすまない」

「あっ、いいえ、私の方こそごめんなさいぃ――えぇと、チト様……ですよね?」


 紅はごしごしと目元をぬぐい、


「……なんとなく聞きそびれちゃってたけど、やっぱり、あなたが伝説の〈庭師にわし〉の『チト』なんですよね? 一目見た時から、普通の女の子じゃない気はしてたんだぁ」


 どことなく恍惚とした口調で、紅が問う。

 しかしチトは、藍からの反応を思い出して曖昧に視線をらした。正体を容易に明かすべきか、隠しておくべきか。


「い、言いたくないならいいんですよぉ! いろいろ事情もあるでしょうし。それに、藍ちゃんもキツいことを言ったんだろうし……ほら、藍ちゃん真面目だから」


 紅はそう言ってはなすすった。

 まるで、藍がチトの異能を批判した場面を見ていたかのよう。思わず目を丸くするチトに、紅は「幼馴染おさななじみだから藍ちゃんのことは大体わかるの」言い添えた。

 紅は、今回のような喧嘩けんかは珍しくないこと、それから、大抵は紅が泣いておしまいになることを自嘲して、


「……藍ちゃんは、本当は優しい子なんですよぉ。夏の大水おおみずのこと、まだちょっと割り切れてないだけで」

「大水――洪水のことか。何があったのか聞いてもいいか?」


 紅は、チトの真剣な眼差しにうなずき、


「今年の夏はひどい長雨ながあめだったんです。工房の裏山で土砂崩れがあって、藍畑がほとんど流されてしまって……アイの収穫ができなかった、って聞いてますぅ」


 紅は寂しげに目を伏せて、こう続けた。


「雨とか風とか……自然の前では、私たちはどこまでも無力だから。こうしてヨナギ村のキクだけ救われたのが、悔しかったんじゃないかなぁ。

 藍ちゃん、『自分も救って欲しかった』って嫉妬しっとしてるだけだと思うの。チト様に八つ当たりしたって意味ないのにねぇ」


 紅の言葉には、諦めに似た感情が宿っていた。

 土砂崩れが起こるほどの天災だ。ひょっとすると紅が大切にしている植物――例えば近村のベニバナ園なども、甚大じんだいな被害を受けたかもしれない。努めて淡々と語る紅の気丈きじょうさに、チトの胃はきりきりと痛んだ。

 それに事情を知った今では、藍の鬱憤うっぷんがチトに向いたのも、何だか責められない気がした。


 ややあって、沈痛ちんつう面持おももちで黙り込むチトに、紅が声のトーンを変えてこう尋ねた。


「ところでチト様。民子たみこさんは元気でしたか?」 

「……え?」

「実は、私と民子さんは同じ里の出身なんです。年齢は、私が16で民子さんが28だから、私のほうがずっと下だけどぉ……共通点が多いのもあって、民子さんとは昔からずっと仲良しなんです」


 チトは、紅が民子の不在を残念がっていたことを思い出した。

 並行して、紅と民子の共通点に首をひねる。年齢、身長・体重、職業も異なる紅と民子。同郷以外の共通点などないように思えたが、


「私はこんなそばかす顔だし、民子さんも生まれつき顔にあざがあって、皆から遠巻きにされてきた……そういう、劣等感の繋がりっていうのかなぁ。私と民子さんはよく似てたんだ。

 例えば……チト様は『末摘花すえつむはな』ってわかりますか? ベニバナの別名なんですけどぉ」


「『源氏物語げんじものがたり』の末摘花か。作中随一の醜女しこめといわれるキャラクターだったな」


 極東の古典文学『源氏物語』の登場人物・末摘花。光源氏ひかるげんじに恋する純朴なキャラクターだが、鼻の先端が赤いこともあって、ベニバナに例えられた女性である。


「ええ、そうですぅ。私も民子さんも、ドジでえなくて可愛くないから『末摘花同盟すえつむはなどうめい』なんて言って結託けったくしたりして……もっとも、民子さんは菊代きくよさんに仕えるようになってから、あまり気にしなくなってたけれど」


 紅はそう言うと、遠くを見るように目を細めた。

 紅に対して敬遠しない藍のような存在が、民子にもいた。それが、四年前の流行病はやりやまいで亡くなった菊代だったという。

 民子と菊代は、使用人と主人といった立場でありながら、気のおけない親友のような関係だった――紅はそう前置きして、民子と菊代のエピソードを語った。


「『菊代様は本当にお綺麗な人』っていうのが民子さんの口癖。もちろん外見もうるわしいけど、心が美しいんだ――って。っていうのもね、菊代さんは、民子さんの顔の痣をまったくいとわなかったみたいなのぉ」


 それどころか。

 菊代は民子が顔に巻き付けている布をぎ取り、民子の痣を、植物の葉に部分的な色ムラができる「斑入ふいり」の現象になぞらえて、


「ねぇ民子。斑入りのキクだって美しいでしょう? そんなに気にすることないわ」 


 と笑い飛ばしてみせたらしい。

 チトはそれを聞いて、無意識に口元を緩めた。

 民子が菊代へ抱く忠義は、VERTヴェールに依頼してキクを咲かせてもらおうとした経緯からも、並々ならぬものだと悟ってはいた。だが、民子と菊代が特別に親しい関係だったとは。


「民子さん、心の底から菊代さんのことをしたっていたから……菊代さんが亡くなったって聞いたとき、私、すごく心配だった。

 繰り返し電話したし、何度も訪問した。でも民子さん、あれから一度も会ってくれないの。もしかして私、けられてるのかなぁ……」


 紅がしゅん、と落ち込んでみせた瞬間、


「……待て。紅、今何と言った?」

「『避けられてるのかな』って」

「違う、その前だ。『お手紙じゃダメ』――なぜ手紙ではいけない?」


 チトは突然前のめりになって、紅に迫った。

 チトの蒼い目が大きく見開かれ、深紅の振袖がひるがえる。驚いた紅が一歩後退あとずさる。

 急に話題に食いついたチトに、紅は困惑しながらも素直に答えた。


「な、なぜって……民子さんは読み書きができないもの」


 ごくり。チトの喉が静かに鳴った。

 紅が不安げにチトの顔色をうかがうが、チトはそれを無視して、疑うように宙をにらんだ。

 民子は文字の読み書きができないという――それでは、VERTに届いたあの手紙は、いったい誰が書いたというのだろう?


   ・・・


 一方その頃。

 菊人形の衣装づくりに参加させてもらえなかったリュッカは、


「うわっ! この人形、めちゃくちゃリアルじゃないですか!」


 ヨナギ村の共同納屋なや木戸きどを開けて、尻餅しりもちをついていた。

 リュッカの気取らないリアクションに、菊人形の本体――キクの衣装を着せる土台となる「胴殻どうがら」を取りにきた村人たちが、どっと笑い声をあげる。

 村人たちは、村内をとぼとぼと歩いていたリュッカを見咎みとがめ、胴殻を広間へ運ぶ力仕事を提案したのだが、


「皆さん、俺をからかったんですね!?」


 薄暗い納屋の中、ずらりと並ぶ等身大の木偶でく人形。

 胴殻と呼ばれる人形の胴体は、木材と巻きわらでできた骨組みに過ぎなかったが――その頭部はリアルな木彫りだった。

 生々しい表情に、否応いやおうなしに心臓が跳ねる。リュッカはまんまと村人の悪戯いたずらにはまっていた。


 リュッカはぶつぶつと文句をれた後、


「でもこの人形、顔立ちが全部違うんですね。女性や子どもをかたどったものもある。それに何だか、実在した人間のような表情で……」

「そりゃそうさ。この人形は、村の人間をしているんだから」


 リュッカの疑問に、年配の村人がさらりと答える。


「義手の兄ちゃんは知らなくても当然だがね。ヨナギ村には墓がないんだよ。この人形が、墓の代わり」


 村人が語る内容は、リュッカの想像の斜め上だった。

 目の前の人形が急におどろおどろしく見えてきて、リュッカは思わず息をのんだ。


「それじゃ『菊人形祭り』というのは――?」

「村で亡くなった人をとむらう祭りさ。昔は、その年に亡くなった人だけをキクで送っていたんだが……四年前に流行病があってから、村長が変えたんだよ。あのときは……あんまりにも多くの人が一度に死んじまったからな」


 村人は長いため息を挟んで、


「『せめて彼らを忘れないように』って、生前の姿を人形にして、キクで着飾るようにした。だから、ここにある人形は全部……そのとき死んだ人間の生き写しさ」


 老若男女。夫婦、兄弟、親子の人形。

 二十体は下らない人形を見渡して、リュッカはきつく唇を噛んだ。

 村人の話の通りなら、この中には、流行病で他界した正夫の妻・菊代の人形もあるに違いない。民子が「美しい人」と絶賛した、菊代の人形はどれだろうか……


 一体ずつ吟味ぎんみするように見比べているうちに、リュッカは人形の汚れが気になってきた。


 おそらく祭りの際に、屋外に展示するせいだろう。人形の顔には細かい葉屑や羽虫がついていた。

 経年劣化けいねんれっかは仕方ないが、村人の想いのこもった人形だ。できるだけ丁重に扱いたい。軽い汚れならこの場で綺麗にしておくべきだと考えたリュッカは、村人に断って、雑巾ぞうきんを借りに屋敷に戻った。



 台所なら、布巾ふきんのひとつもあるに違いない。

 そう予測したリュッカは、土間の奥へ進み、かまどの裏を覗き込んだ。

 そこに目当てのものはなかったが――代わりに、小さく盛り上げられた砂の山がひとつ。人目をはばかるように鎮座ちんざしていた。

 砂山のてっぺんにはキクが一輪添えられていて、まだ手折られたばかりなのか、鮮やかな黄色に輝いていた。


 これはつかだ。リュッカはたちまち直感した。

 しかし、ヨナギ村には墓はないと聞いた――それでは、このキクの墓標ぼひょうは、いったい誰のものなのだろう?

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