翌日。オレは開店している冒険者ギルド『ストレイキャット』の、いつもの静かな受付カウンターの中にいた。朝の日差しが窓から差し込んでいるけれど、ギルドの中はひっそりとしていて活気というものからは程遠い。新しい冒険者の姿は今日もまだ一人も見当たらない。
そんな受付カウンターにはリリスさんとジェシカさんもいる。昨日の今日で、もうすっかり『ストレイキャット』の一員として馴染んでいるジェシカさん。しっかりとストレイキャットの制服を着ている。すごく似合っていてかなり可愛い。
「ん?どうかしたの?……なんか私、変?」
「ああいや、その……制服、すごく似合ってるなぁって思って」
「えっ……そ、そう……ありがとう……」
ジェシカさんは照れくさそうに、ふわりと笑った。こんな顔もするんだな……なんだか、ドキドキしてきた。
「あの。イチャイチャするのは休みの日にしてもらえませんか?今は仕事中ですよ。これだから最近の若い子は。仕事とプライベートの線引きが出来なくて困ります」
「いや今のは別に……」
「エミルくん。周りがそう思ったらそうなんです!君は一応、このギルドのマスターで一番立場が偉いんですよ?上に立つ者としてもう少し責任感を持って行動したらどうなんですか?このまま、新しい人材を雇った時に真似されても困りますよ?分かってるんですか?それとエミルくんは、年下の女の子が良いんですか?まったく、男ってやつはダメですよね。私みたいな大人の色気が分からないなんて。本当にどうかしてます!」
「……すいません」
なぜか説教の中にオレへの毒舌を吐かれる。これは……嫉妬しているわけじゃないんだよな?とか思ったりすると、スキルを使われた時に大変になるから変なことを考えないようにしよう。
とりあえずそのまま、オレはリリスさんとジェシカさんと3人で、これからのギルド運営について話し合うことにした。
「コンセプトの『初級冒険者大歓迎』安心安全の初級冒険者のためのギルドになるには具体的にどうしたらいいか。何か良いアイデアはありますか?リリスさん、ジェシカさん」
オレがそう切り出すと、ジェシカさんはすぐに真剣な表情で考え始めた。一方、リリスさんはというと、さっきから何やら熱心に紙に何かを書き連ねているようで、ずっとペンを走らせている。カリカリと、ペンの先が紙を擦る小さな音だけが、この静かな空間に響いていた。
一体、何を書いているんだろう……横目でチラチラ見てみるも、細かい線が入り組んでいて、さっぱり分からない。まるで複雑な迷路のようだ。なんだか、すごく気になるなぁ……こんな大事な時に別の作業をしている余裕があるなんて、さすが元最強冒険者とでも言うべきか、それとも……
「あの……リリスさん……?」
「ん?なんですか、エミルくん?私のことは気にせず、どうぞ話を続けて下さい」
リリスさんは顔を上げずに優しい声でそう言った。だけど、やっぱり、こんなギルドの未来を左右するかもしれない一大事なんだから、もう少し真剣に話し合いに参加してほしいんだけど……
「いや……あの、何をしているのかなって、気になって」
「これですか?これは、この前の初級冒険者ダンジョンに行った時のマッピングをしているんですよ。宝箱があった場所とか、隠し通路とか、危険な罠の場所とか。細かいところまで忘れないように記録しておかないと」
そう嬉しそうに話しながら、リリスさんは楽しそうにペンを走らせていく。そう言えばパーティーを組んでいた時も、リリスさんはいつも、ダンジョンに潜ると何か熱心にメモを取っていたな……それを見せてもらったことはなかったけど、きっとこんな風に様々な情報を書き込んでいたんだろう。
すると、黙って聞いていたジェシカさんが、リリスさんの手元の地図を興味深そうに覗き込み話しかけた。
「すごっ……マッピング?しかも、これほどまでに正確な地図を……あの、リリスさんは盗賊のジョブかそれに類するスキルを持っているの?」
ジェシカさんはそれを見て驚く。オレはただ「何か書いているな」としか思わなかったのに、ジェシカさんはその内容の正確さまで見抜いたのか。
「はい。盗賊だけじゃありませんよ?私は、この世に現存するすべてのジョブのスキルを習得してます。まぁ、あまり使わないスキルは思い出すのに少し時間がかかりますけどね。こう見えてもついこの前まで、王国でも指折りの最強のギルド冒険者パーティー『精霊の剣』のリーダーだったんですから!」
リリスさんはペンを置いて、誇らしげに胸を張ってそう言った。その瞬間、ジェシカさんの動きがピタリと止まる。彼女の目が驚愕に見開かれた。
「え……『精霊の剣』!?」
「そうですよ。私の本名はリリス=エーテルツリーです。最強の銀髪美人で有名ですよね!」
「最強の銀髪美人は聞いたことないけど……本当なの!?パーティーを解散したと噂は聞いていたし、リリス=エーテルツリーの名前は知っていたけど……まさか本人だと思わなかった……」
「……そのまま冒険者を続けていたら最強に上り詰めたはずなのに、ギルド受付嬢?バカだなぁって思いますか?」
「それは別に思わないけど。はぁ。マスター?」
ジェシカさんは、信じられないものを見るような目で、オレの方をジロリと睨み付けてきた。え?オレなんかしたか?
「マスター。……目の前にあるじゃない。具体的な方法が。そんなことにも気づかないなんて」
へ?どういうことだ?コンセプトが決まって、1日色々考えていたが、それが一体なぜ、今、目の前にあるリリスさんのスキルに繋がるのかオレにはさっぱり分からなかった。頭の中に疑問符がいくつも浮かぶ。
「いい?よく聞いて」
ジェシカさんは真剣な眼差しでオレを見つめる。
「お、おう」
なんだか、ものすごい剣幕だ。その剣幕に少しだけ身構えてしまう。
「……リリスさんの、その驚異的なスキルを生かした運営をすればいいの。そうすれば、コンセプトの『初級冒険者大歓迎』唯一無二の冒険者ギルドになれる。例えば、その正確なマッピングの地図を売る。依頼を受ける冒険者は、少なからずダンジョン攻略の準備をする。その時、攻略するダンジョンの詳細な地図があれば、わざわざ盗賊などの索敵や罠解除に特化したジョブの仲間を、無理にパーティーに入れる必要がなくなるじゃない」
ジェシカさんの言葉は、論理的で筋が通っている。次々とアイデアが飛び出してくる。彼女の頭の中ではすでに具体的な計画が組み立てられているのだろう。
「なるほど……」
ジェシカさんは淡々と話しているけれどオレは心底驚いた。まさか、そんなことまで考えているとは……オレはリリスさんのスキルの凄さはもちろん知っていたけど、それをどう運営に活かすかなんて、全く思いつかなかった。
確かに、リリスさんの描く地図は、素人のオレが見ても、信じられないくらい正確だ。細かい地形や目印、そして宝箱の位置や罠の記号までびっしりと書き込まれている。これがあれば、初級冒険者ならダンジョン攻略がどれだけ楽になるか。
「あと。盗賊のジョブの人は、地図の販売があるとダンジョン攻略の依頼に不公平がでる。だから、依頼の報酬を少し多めに設定するとかそういう工夫は必要よ?あと、地図は詳細度合いによって3種類くらい用意するのがベスト。銅貨1枚、2枚、3枚で内容を変えれば、色々な冒険者が、自分のニーズに合わせて選んでくれると思うし」
ジェシカさんの提案は、さらに具体的ですぐにでも実行できそうだ。価格設定や他のジョブへの配慮まで抜かりがない。本当に優秀だよ。
やはり、ジェシカさんは凄いな……頭が切れるというか……オレたちよりも、ずっと先を見据えているような、大人っぽい感じがする。オレなんて、目の前のことで精一杯で長期的な視点や具体的な戦略なんて全く考えられていなかった。このギルド『ストレイキャット』に加入してくれて良かった。
「あとはクエストボードに、リリスさんのワンポイントアドバイスみたいなものを貼り付けるといいかもね。『この薬草は、少し湿った場所に生えていることが多いですよ』とか、『このダンジョンの魔物は何属性魔法がおすすめ』とか、そういう細かいところまで教えてくれるギルドはないから」
「それならエミルくん。Sランクの冒険者である私が、依頼を受理する時やパーティーを組むときに、色々とアドバイスしてあげれば他の冒険者ギルドと簡単に差別化できますね!」
なるほど。具体的で分かりやすい。依頼の情報だけでなく、Sランク冒険者の知恵がボードに貼り出されているなんて、他にはないサービスだ。初級冒険者だけでなく、経験者にとっても役立つ情報があるかもしれない。
オレは、2人の次々と飛び出すアイデアにただただ感心するばかりだった。1人で悩んでいてもこれほど具体的で魅力的なアイデアは決して生まれなかった。ジェシカさんは論理的で戦略的、リリスさんは経験豊富で柔軟な発想力を持っている。ギルド運営なんて初めてで、何をどうすればいいか手探り状態だったオレにとってやはりこの2人の存在は大きい。
「確かに。なんか凄く簡単なことだったんだな……ありがとう、ジェシカさん本当に助かったよ!」
「別に……当たり前のことを言っただけだから」
オレは、心からの感謝を伝えた。ジェシカさんのアイデアがなければ、オレはきっといつまでも具体的な一歩を踏み出せずにいたかもしれない。