オレは何もできないのか?このまま、ジェシカさんをそのまま勧誘できないまま終わってしまうのか?そんな様子を見て、リリスさんが溜め息をつきながら口を開く。
「はぁ……嘘も大概にしてください。そんな悲劇のヒロイン症候群みたいな雰囲気を出して、同情なんて私はしませんよ。故郷に帰ろうと思っている?そんなの口だけじゃないですか。この部屋の荷物は何一つ片付いていない。本当に故郷に帰るつもりなら、今日の朝もう出て行ってますよ」
リリスさんの言葉は、相変わらず辛辣だったが、その声にはどこか見透かしているような響きがある。リリスさんの言う通り、ジェシカさんの部屋には、故郷に帰る準備をした形跡なんて一切ない。まだ本の山が机の上に積み重ねてあるのが見えるし。
「それは……」
「本当に故郷に帰るつもりなら、今すぐ荷物をまとめて出ていけばいいじゃないですか。それができないのは、まだギルド受付嬢に未練があるからですよ。それとも何ですか?新しいギルドを探すアテもないから、とりあえず故郷に帰るフリで同情を誘って、ホワイトナイツの誰かが引き止めてくれるのを待っているんですか?」
「……っ、違う!故郷に帰ろうと思ったのは、ギルドで働くのが嫌になったからじゃない。私のやり方が、ギルドの方針と合わなくなったから……」
「だから逃げるんですか?上級者ギルドに上がったばかりのホワイトナイツの方針が合わない。金銭的な物事を優先し、今までギルドで頑張ってきた冒険者を蔑ろにする側面が出始めた。それが嫌で、ギルドマスターに意見を出したらクビになった。でも……そんな自分の信念があるのに、故郷に逃げ帰ってしまったら自分でそれを認めることになりますよ。それでいいんですか?」
「私は……っ、私はただ、自分らしく仕事がしたかったそれだけよ……」
ジェシカさんの声が震えている。その姿に、リリスさんはふっと口元に薄い笑みを浮かべた。
「そう。なら話は早いです。あのですね、ジェシカちゃん。このエミルくんはですね、戦闘の才能も皆無ですし、弱すぎて話にならないですし、男として良いところがあまりない人間なんですけど、それでも私とのギルド『ストレイキャット』のことを一生懸命に考えて必死なんです。だから、どうかこのどうしようもないギルドマスターに協力してあげてください!」
めちゃくちゃ毒舌だ。容赦ないなリリスさん。まるでオレの欠点を並べ立てるかのような酷い言われようだ。ギルドマスターとしての威厳も何もあったもんじゃない。だけど、それが図星すぎて、オレは何も言い返すことができない。悔しいけど本当のことだ。
「あの、ジェシカさん。オレにギルドのことを教えてくれないか?」
オレは、飾らない正直な気持ちをぶつけた。隠しても仕方がない。右も左も分からないオレにとって、ジェシカさんの持っている知識と経験は、何よりも必要だった。ギルドを立て直すためにどうしても彼女の力が必要なんだ。
しばらく沈黙が続く。そして口を開いたのはジェシカさんだった。
「……コンセプト」
「え?」
「あなたのギルドには、まずコンセプトがない。だから特徴もないし、どこにでもあるギルドという印象しかない。ギルドをどうしていきたいか、目標となるものがなければ人は集まらないし、活動の方向性も定まらない。何を目指すギルドなのか、誰をターゲットにするのか、それが明確じゃないと、誰も魅力を感じない。今の『ストレイキャット』は言ってみれば『ただの箱』。中に何があるのか、何ができるのか、それが分からない箱に誰が入ろうと思う?」
すごく的確な言葉だった。図星すぎて何も言えない。反論の余地もなかった。オレは、ギルド経営の先を何も考えていなかったのだ。ただ漠然と、どうにかしないとという焦りだけがあって、具体的に何をどうするのかまるでヴィジョンがなかった。
「コンセプトを決める。そして、そのコンセプトに基づいた目標を立てる。それが、冒険者ギルドの第一歩だから」
ジェシカさんの言葉にオレは必死で頷いた。頭では理解できた。でも、具体的にどうすれば良いのか……
すると、それまで黙ってオレたちのやり取りを見ていたリリスさんが、ふわりとオレの肩に手を置いた。その手はどこか温かかった。
「……悩む必要はありませんよエミルくん。私たちはギルド経営の初心者です。いきなり上級者ギルドなんて目指しても仕方ありません。私たちは私たちなりに、ギルドの冒険者と共に成長していく。どの冒険者ギルドも上級者ギルドを目指しています。でも私たちは違う。野良猫のように誰にも縛られず自由に。そして王都で唯一無二の初級冒険者をターゲットにする冒険者ギルドになればいいです!」
リリスさんの言葉は、暗闇に閉ざされていたオレの頭の中にぼんやりとした光を差し込むような感覚があった。野良猫のように誰にも縛られず自由に。そして王都で唯一無二の初級冒険者をターゲットにする。それはリリスさんらしい、型破りなどこか温かいコンセプトだった。
「……初級冒険者、専門」
オレは、その言葉を噛み締めるように復唱した。他のギルドがベテランや中堅、あるいは特定の分野に特化しようとする中であえて初級に絞る。それは、確かに他のどこにもない特徴になるかもしれない。
そして何より、今のオレたちにはそれが一番現実的だと思えた。オレはまだギルド運営の経験は皆無だ。いきなり難しいことなんてできるわけがない。初級冒険者相手なら、一緒に学んでいくこともできるかもしれない。それは目指すべき方向として腑に落ちるものがあった。
「はい。上級者向けのギルドはたくさんありますが、本当に初心者を大切に育ててくれるギルドは少ない。特に冒険者ギルドが多いこの王都には。そして右も左も分からない初級冒険者は、ギルドに入っても馴染めなかったり、危険な任務に巻き込まれたりすることもあります。私たちは、そういう初級冒険者が安心して頼れるギルドを目指すんです。最初の一歩を踏み出す彼らを手助けする。共に成長していく。それが『ストレイキャット』のコンセプトです!」
リリスさんの言葉を受けて、オレは頭の中でそのイメージを巡らせた。初級冒険者がここで経験を積み、力をつけて、そしていつかこの『ストレイキャット』を支えてくれる存在になる。それは、なんだかすごく素敵なことのように思えた。ただ箱だったギルドに、魂が吹き込まれるような感覚だった。そんなことを思っているとジェシカさんが静かに呟いた。
「確かに珍しいかも。初級冒険者を一人前の冒険者になるための手助けをする。そうすれば冒険者として成長してからも、きっと『ストレイキャット』のことを覚えていてくれる。いつかギルドを支えてくれる柱になるかもしれないし……あ。いやこれは……」
「……ということでエミルくん。私たちは今2人です。せっかくのコンセプトも決まったのに人手不足ですよね?この『ストレイキャット』のコンセプト、『野良猫のように自由に、初級冒険者と共に成長する』という考えに共感してくれるような、素敵な仲間。私たちと同じように、ゼロから何かを一緒に作り上げてくれるギルドに詳しい、出来れば受付嬢が出来る人、どこかにいませんかね?」
リリスさんはそう可愛くウインクを一つ寄越した。もう答えを言っているようなものだけどな……
「ジェシカさん。オレたちにはジェシカさんが必要なんです。どうかオレたちのギルドで働いてもらえませんか?お願いします!」
「……1つ約束してほしい。私はきっと、ギルド経営について色々意見を言うと思う。2人が考えていることと違うことも、もっとこうした方がいいと思うことも、遠慮なく言わせてもらうことになる。それでも、私の言葉にちゃんと耳を傾けてくれる?どんな意見でもちゃんと考えて……判断してくれる?」
「もちろんです。ジェシカさん。一緒に頑張りましょう!」
「なら……よろしく」
こうして、冒険者ギルド『ストレイキャット』に3人目の仲間が加わったのだった。