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第13話 君と王国一のギルドに


 王都の喧騒の中、一軒の小さなギルド『ストレイキャット』の噂が奇妙な形で広まり始めていた。『あの貴族の冒険者ギルドロイヤルファングを一瞬で沈めた恐ろしい受付嬢がいるらしい』と。


 しかし、その実態はほとんど知られておらず「近づくべきではない危険な場所」という警戒心だけが先行していた。


「マスター。入り口の掃除お願いしてもいい?」


「分かりました」


 オレはそのまま箒を持って入り口を掃除しに行くことにする。いつもと変わらない日常。そして、オレたち以外がまだ跨いだことのないこのギルド。


 しかし、今日だけは違った。


 ドアノブに手をかけ、ギィ、と開ける。いつものように静かな外の世界が広がるはずだった。しかし、オレの視界には見慣れない数人の冒険者がいた。その手には皆、ストレイキャットのチラシを手に持っている


「え?……ええっ!?」


 思わず声が出た。いや、声どころじゃない。脳みそが沸騰した。


「うわああああああ!ついに来たあああ!お客さんだああああ!」


 箒を取り落としそうになりながら、オレは興奮のあまりドアの前で騒いでしまった。ギルド『ストレイキャット』を開いて、いったいどれだけのこの瞬間を待っていたか!


 冒険者たちは、突然目の前で騒ぎ出したオレを見て、ポカンとしている。一部は警戒しているようにも見える。そりゃそうだ、あの『ロイヤルファングを一瞬で沈めた』という恐ろしい受付嬢がいると噂のギルドの入り口だ。どんな化け物が出てくるかと思ったら、マスターらしき男が奇声を上げて騒いでいるんだから、逆に不気味かもしれない。


 すると、オレの騒ぎ声を聞きつけたジェシカさんが奥からスタスタと歩いてくる。


「うるさいマスター。なに?」


「ジェシカさん!お客様ですよ!」


「え?あ。いらっしゃいませ冒険者ギルド『ストレイキャット』へようこそ。お待ちしておりました。どうぞ、中へお入りください」


 ジェシカさんに続いて冒険者たちがギルドの中に足を踏み入れる。彼らは恐る恐る、といった様子でギルド内を見回していた。オレは慌てて箒を壁に立てかけギルドの奥へと駆け戻る。興奮で心臓がバクバク鳴っている。ついに、ついにこの時が来たんだ!


「ええと……チラシを見て来たんですが……相談に乗ってほしくて」


「私もです」


「オレも!」


 皆、口々にそう言った。話を聞けば、ようやく冒険者になったばかりで右も左も分からず、上級者ギルドに相談に行っても冷たくあしらわれることが多かった。「そんな簡単な依頼で来るな」「お前らみたいな弱いやつは冒険者なんてやめておけ」——心ない言葉に何度も傷つき、自信を失いかけていたらしい。


 そして噂を耳にしながらも「初級冒険者大歓迎」というチラシを見て来てくれたという。


「では、順番にお話を聞きますよ。並んでください」


 そうリリスさんが受付カウンター越しに優しい口調で声をかけた。一人目は、細身でどこかおどおどした様子の少年、フィン。彼は植物の知識が豊富で薬草の採取は得意なのだが、魔物との戦闘はからきしで、他のギルドでは「戦えない冒険者に用はない」と門前払いされてばかりだという。


「あの……僕は、薬草探しとかはできるんですけど、その、魔物が出るところは怖くて……そういう依頼ってありますか?」


「ええ、もちろんです。戦闘を伴わない採取依頼や、安全な場所での探索依頼などもありますよ。あなたの植物の知識はきっと大きな役に立ちます。例えば、採取依頼でも希少な薬草の見分け方を知っている冒険者は重宝されます。すぐに戦闘を避けるのは悪いことではありません。まずはあなたの得意なこと、できることから始めて、少しずつ自信をつけていきましょう。そうすれば特定の薬草に特化した依頼も探せます。ジョブは学者などの知識を活かせるものがおすすめですよ」


 フィンの顔に初めて希望の色が灯った。次にやってきたのは、小柄だが手先が器用な少女ソラだった。彼女は戦闘職ではなく、簡単な仕掛けや道具作りが得意なのだが、他のギルドでは「補助職は一人前になってから」「そんなスキルで何ができるんだ」と馬鹿にされ、正当に評価してもらえなかった。


「私は、その……罠とか、簡単な道具とか作るのが得意なんですけど、他のギルドの人には全然わかってもらえなくて……私でも、冒険者としてやっていけますか?」


 と、少し難しそうな表情でリリスさんに問いかけた。リリスさんはソラのまっすぐな目を見て微笑んだ。


「素晴らしい特技じゃないですか。冒険には戦闘だけではなく、様々な状況への対処が必要です。あなたの道具作りや罠の知識は、偵察や情報収集、特定の目的達成など多岐にわたる依頼で必ず役に立ちます。例えば、対象を傷つけずに稀少な魔物を捕獲する依頼や、安全なルートを確保するための仕掛け作りなど、あなたのスキルを活かせる依頼は多いです。きっと、あなただからこそ達成できる依頼があるはずですよ?ジョブは盗賊系統からの、自然を味方にできるレンジャーがおすすめです。そしたら戦闘でも役に立てますよ」


 ソラは、初めて自分のスキルを認められたことに驚き、目を見開いていた。次にカウンターに立ったのは、どこか人見知りな様子の少年レオだった。彼は弓の扱いはそこそこ得意だったが、人と話すのが苦手でパーティーにうまく馴染めず、常に一人で無理な依頼に挑み失敗を繰り返していた。


「えっと……オレは、一人でできる依頼を探してて……でも、どうしても難しくて……パーティーとか、どうすればいいか分からなくて……」


 と、視線を彷徨わせながら消え入りそうな声で言った。リリスさんはレオの様子を察しゆっくりと語りかけた。


「一人で全てを抱え込むのは難しいことですね、レオさん。あなたの弓の腕はきっと役に立つはずです。冒険者にとって、互いを補い合える仲間を見つけることはとても重要です。このギルドには……きっとあなたと同じように仲間を探している人もたくさん来るはずですよ。いきなり話しかけるのが難しければ、ギルドの掲示板で自己紹介をしてみたり、まずは少人数の安全な依頼で様子を見てみたりしてはどうでしょうか?あなたの静かさは、偵察や後方支援で大きな利点にもなります。無理に明るく振る舞う必要はありません。あなたのままで、心許せる仲間をゆっくり探していきましょう」


 レオは、人見知りな自分を否定されなかったことに安堵し、わずかに顔を上げた。次にやってきたのは不安げな顔をした少女アニャ。彼女はヒーラー志望だったが、まだ回復魔法の精度が低く、パーティーに入れてもらうどころか、「足手まといになる」と敬遠されてばかりだった。


「あの……私、回復魔法を使えるんですけど、まだ下手で……みんなの役に立てなくて、怖くて……」


 と、今にも泣き出しそうな声でリリスさんに訴えた。リリスさんはアニャの手を優しく取り、力強く頷いた。


「アニャさん、あなたは素晴らしい道を選びましたね。ヒーラーは、どんな強いパーティーにも必要不可欠な命綱です。回復魔法がまだ完璧でなくても、誰かを癒したいという気持ちこそが一番大切なのですよ。ギルドでは、まずは他の初級冒険者と組んで、実戦に近い形で練習しましょうか。あなたの魔法が、いつかたくさんの冒険者を絶望の淵から救い出す日が来ます。決して諦めないでください。ここで、焦らずに一緒に練習していきましょう」


 アニャは、初めてヒーラーとしての自分を肯定され、温かい励ましの言葉に涙をこぼした。


 リリスさんの周りには、まるで磁石に引き寄せられるように、様々な悩みを抱えた冒険者たちが集まっていた。彼らは皆、どこかで「自分はダメだ」という烙印を押され、居場所を失っていた者たちだ。だが、リリスさんの言葉を聞くたびに、その烙印が剥がされ、代わりに「可能性」という名の輝きが与えられていくのが分かった。


 そしてフィンやソラなど、最初に相談した冒険者がその変化を身をもって感じ、同じ境遇の他の初級冒険者に『ストレイキャット』のことを熱心に勧め始めたのだ。


「あそこで相談したら、自分にもできることがあるって分かったんだ!」

「リリスさんが、私のスキルを褒めてくれたんだよ!」

「1人じゃ無理だった依頼も、ここで知り合った人と一緒に行けるようになったんだ」


 そんな口コミは少しずつ広がり、『ストレイキャット』は王都中の初級冒険者たちの間で、まるで秘密の隠れ家のように知られるようになっていった。毎日のように、新たな顔ぶれがギルドのドアを開ける。その目は最初は不安げでも、リリスさんの言葉を聞き、ギルドの温かい雰囲気に触れるうちに次第に輝きを取り戻していく。


 その日から『ストレイキャット』は、かつての閑散とした姿が嘘のように、冒険者が少しずつやってきた。談話スペースで互いの悩みや得意なこと、リリスさんから受けたアドバイスについて話し合ったり、依頼内容を相談し合ったりする声が響き渡っている。


 ギルドの中はいつも活気に満ちていた。談話スペースでは、フィンが薬草について他の冒険者に教えていたり、ソラが自作の簡易罠を見せて感心されていたりする光景が見られる。レオは、以前より少しだけ他の冒険者と距離を縮め、弓の練習について話したりしている。アニャは、回復魔法の練習相手を探したり、依頼で怪我をした冒険者を癒したりと、ヒーラーとしての一歩を踏み出していた。


 彼らは、このギルドで初めて、自分たちの弱さや得意なことを隠す必要がないと感じているようだった。他のギルドではバカにされたり無視されたりしたスキルや経験が、ここでは誰かの役に立ち認められる。だからこそ、皆が互いを尊重し助け合おうという気持ちになれるのかもしれない。


「この採取依頼、一緒に行きませんか? フィンさんの植物の知識があれば助かります!」

「ソラさんの作った道具、次の依頼に持って行きたいです!」

「レオさん、後衛をお願いできませんか?」

「アニャさん、もしもの時、頼りにしてます!」


 自然と、パーティーが結成されていく。初めて依頼を共にする仲間たちとの間には、ぎこちなさもありながらも、共通の目標に向かう連帯感が芽生えていく。そして、無事に依頼を達成してギルドに戻ってきた彼らの顔には、達成感と仲間への感謝の気持ちが浮かんでいた。


 依頼掲示板には、初級冒険者向けの依頼が常に補充されている。それは、リリスさんが冒険者1人1人の話を聞き、彼らに合った依頼を考え、簡単な採取や運搬だけでなく、特定のスキルを活かせるような、他のギルドでは見向きもされないような依頼も多くなっていた。


 オレは、賑わうギルドの中央で、ふと足を止めてその光景を眺めていた。初級冒険者たちの話し声、笑い声、依頼を受ける際の真剣な声。かつての閑散とした日々が嘘のような、確かな熱気がここにはあった。


「ふふ。嬉しそうですね、エミルくん?」


 背中にいつもの声がかかる。振り返ると、リリスさんがカウンター越しにいた。いつもの柔らかな笑みは浮かべているが、その瞳の奥には、深い満足感とそして——ほんの少しだけ、素直な感情が揺れているのが見えた気がした。


「はい。夢みたいです。……でも、それはリリスさんもじゃないんですか?」


「ええ。嬉しいですよ。だって……ギルドの受付嬢になるのが、私の夢でしたから」


「そうでしたね。一つ夢が叶ったところで……リリスさんの次の夢はなんですか?」


 リリスさんはオレの質問にすぐには答えず、ただ、ギルドの中をゆっくりと見回した。楽しそうに話す冒険者たち、真剣に依頼を探す者たち、そして仲間と肩を並べて笑う若者たち。その全ての光景を慈しむように見つめている。


 そして、もう一度オレに視線を戻した時、その瞳は真っ直ぐにオレを捉える。


「……次の夢は……君と、この冒険者ギルド『ストレイキャット』を王国一のギルドにすること……ですかね?期待してますよ。……マスター?」


 普段の毒舌や、時に見せる恐ろしい顔はそこには微塵もなかった。その言葉の重さ、その眼差しの真剣さにオレは息をするのも忘れていた。リリスさんが、こんなにも素直に自分に期待してくれている。足元から力が湧き上がってくるような感覚。喉の奥が熱くなる。


「はい。必ず」


 絞り出した声は、掠れていたかもしれない。でも、その中に込めた決意は誰にも負けない強さがあった。必ず、リリスさんと共にこのギルドを王国一にしてみせる。ここから巣立つ冒険者たちが、胸を張って『ストレイキャット出身だ』と言えるようなそんなギルドに。


 リリスさんはその答えを聞くと、満足したような最高の笑顔を見せた。その笑顔はこれまで見たリリスさんのどんな笑顔よりも綺麗だった。

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