ギルドに初めて冒険者が訪れてからあっという間に1ヶ月が過ぎ去った。手探りだった日々にも少しずつ確かな手応えが生まれ始めている。
ギルド『ストレイキャット』は、まだ生まれたての小さな子猫のようなものだけど、毎日コツコツと続けたチラシ配りや地道な努力がようやく実を結び始めたのか、新しい冒険者がギルドに顔を出すようになってきた。ギルドの中にも、少しずつ活気を取り戻しつつあるようなそんな空気を感じ始めていた。
ジェシカさんの提案で始めたリリスさんのマッピング地図は、冒険者の間で評判が評判を呼び、心強い味方となっている。依頼を受けると同時にその地図を購入していく冒険者も増え、カウンターの横にある地図の在庫が減っていくのを見るのはささやかだけど嬉しい光景だ。
クエストボードには、リリスさんの可愛い丸文字で書かれた『おすすめワンポイント』がいくつか貼られている。魔物の生態や採集ポイントの注意書きなど、どれも経験者ならではの具体的な情報で、見ているだけで依頼のイメージが湧いてくる。
それを眺めながら、オレは小さく笑みを浮かべていた。正直、ギルド経営なんて右も左も分からず、不安で押しつぶされそうな日もあったけれど、こうして少しずつでも前に進めているんだと思うとじんわりと胸に安堵が広がった。
「おはようマスター。何してるの?早く依頼書をクエストボードに貼ってよ」
背後から、いつもの張りのあるジェシカさんの声が飛んできた。カウンターの中でテキパキと手を動かしながら、オレに指示を飛ばしている。
「ああ。ジェシカさん。ごめんごめん」
「もう。しっかりしてよ」
「ハハッ。悪い」
「あの。2人でキャッキャウフフするのは勝手なんですけど、今は仕事の時間です。それは仕事外の時間でやってもらえませんか?エミルくんの顔に『ジェシカさん、今日も可愛いな〜』と書いてありますよ?まったく。自分の仕事が終わったら他の人を手伝うとか、自分で率先して仕事を探すとか出来ないものですかね?これだから最近の若い子は。自主性がない指示待ち人間で困ります!」
カウンターの中で掃除をしていたリリスさんから、華麗な毒舌が飛んできた。その声は穏やかなのに、言葉の刃は鋭い。なんで朝っぱらからそんなこと言うかな……いや、そもそも毒を吐かないでほしい。
「そういえばマスター、ちょっといい?」
「どうしましたジェシカさん?」
「ストレイキャットも少しずつ軌道に乗り始めてきた。これから忙しくなることも考えたら、ギルド冒険者の中で、このギルドに在籍して貰える人を探した方がいいよ?」
「在籍してくれる冒険者?普通に来ている冒険者と何が違うんですか?」
オレの素朴な疑問に、ジェシカさんは優しく教えてくれる。
「普段、ギルドに依頼を受けに来たり休憩したりする冒険者たちは、言ってみれば『お客さん』みたいなものよ。ギルドのシステムを使って自分の活動に役立てているだけ。どこのギルドを使ってもいいし、気に入らなければ別のギルドに行くことだってある。フリーランスの冒険者が集まる『場所』を提供しているのが、一般的な冒険者ギルドの役割の一つね」
なるほど。確かに今まで来てくれた人たちは、依頼を選んで受けて、終わったらすぐに帰る人がほとんどだ。
「でも、在籍する冒険者というのは、文字通りこの『ストレイキャット』に正式に所属してくれる人のことよ。私たちギルドと契約して、このギルドを活動の拠点として、仲間として一緒に活動してくれる冒険者のことを専属冒険者と呼ぶの」
「専属……契約……?」
「そう。そういう冒険者がいるとギルドは安定する。特に、私たちみたいに立ち上げたばかりで、まだ名前も知られていないギルドにはね?定期的に依頼をこなしてくれたり、ギルドの活動に協力してくれたり。更に腕の立つ専属冒険者がいれば、ギルドの信頼度も上がって、もっと大きな依頼も受けやすくなる。言ってみれば、ギルドの『核』となるメンバー探しが、今の私たちがやらなきゃいけないことの1つなのよ」
「要するに、ただの『利用者』ではなく、『構成員』を増やしたい、ということですね」
ジェシカさんの説明に、少しずつ頭が整理されていく。専属冒険者か……その時、リリスさんが掃除を終えたのか、カウンターの中から口を挟んだ。
「言葉を選ばなければ、冒険者ギルドを維持・発展させるための人材確保といったところでしょうか。メリットはギルドからの支援もありますし、安定した賃金も貰えます。デメリットとしては、当然、専属冒険者には相応の責任も出てきますし、やりたくなくても依頼書の鮮度が悪いものや人気のない依頼をこなして無駄にならないようにしたりもしますし、自由もなくなります」
「なるほど……」
そっか。今まで来てくれてた冒険者は、あくまで『お客さん』だったんだ。うちのギルドの看板を背負ってくれるような、『仲間』を探さなきゃいけないってことか。
そしていつものようにギルドが開店し、しばらく経った頃だった。ギィ、と重そうな音を立ててギルドの扉が開いた。入ってきたのは、大柄な体格の男性冒険者だ。肩幅が広く、存在感を放っている。背中には、使い込まれた風合いの大きな盾がドッシリと背負われているのが見えた。
「クエストボードは……」
その冒険者はそう呟きながら、壁に貼られた依頼書の方へゆっくりと歩み寄った。1枚1枚、じっくりと、まるで何かを探し求めるかのように静かに見つめ始めた。指先でなぞるように見ている姿に、何か気になる依頼でもあるのだろうか?彼の纏う空気が他の駆け出し冒険者とは明らかに違う。どこか場慣れしたベテランのような雰囲気だ。
しかし、しばらくすると彼はそのままギルドの休憩スペースにゆったりとした動作で移動し、椅子に腰を下ろした。なんだろう?特に目当ての依頼がなかったのかな?それにしては真剣に見ていたが……?初めて見るタイプの冒険者だ。彼の行動に少しだけ引っかかりを感じた。
「エミルくん、あれを見てください」
「え?」
「あの人の冒険証を見てください。ランクCの冒険者ですよ。初めてですね、初級冒険者以外の人が来るのは」
リリスさんの言葉に、オレは彼を改めて見た。ランクCか。確かに、その冒険者からはどこか経験豊富そうな雰囲気が漂っている。体格もがっしりとしていてなんとなく強そうだ。
「そうですね。Cランクなんて、うちに来る人の中では飛び抜けて高いですね。何かうちのギルドに用事でもあったんでしょうか?」
オレがそう問いかけると、リリスさんは少し顎に手を当てて考え込んだ。
「……どうでしょう。とりあえず私が対応してみます」
「分かりました。任せます」
リリスさんはすぐにその冒険者の元へ歩み寄り、プロの受付嬢らしい明るい声で話しかけた。本当にいつも毒舌を吐いてるなんて誰も思わないよな。
「こんにちは。ようこそ冒険者ギルドストレイキャットへ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
冒険者はゆっくりと顔を上げた。その顔には、特に驚いた様子も、何かを期待している様子もなかった。
「ん?あんたは……受付嬢か。いや大丈夫だ。すまなかった」
そう言うと、その冒険者はリリスさんに特に何かを尋ねるわけでもなく、そのまま椅子を立ちギルドの入り口へ向かった。ギィ、と再び重い音を立てて扉が開き、彼は静かにギルドを後にした。
行ってしまった…… 一体何だったんだ?やっぱり特に探している依頼があったわけじゃないのか。単に休憩に立ち寄っただけ?いや、それにしてはクエストボードを熱心に見ていたし、どこか様子がおかしかった。その時はそう思ったのだが、その冒険者は次の日も、そしてその次の日も、まるで日課のようにギルドにやってきたのだ。
来るたびにクエストボードを眺め、休憩スペースに座り、そしてすぐに帰っていく。毎回、リリスさんが声をかけるのだが、具体的な依頼の話をすることもなく、曖昧な返事をしてすぐにギルドを去っていく。彼の行動にどんどん疑問が募っていった。
なんだか気になるな……別に悪いことをしているようには見えない。でも、連日となると少し警戒してしまう。あまりいい気分じゃないが、少し調べてみる必要があるかもしれない。このまま放置するのは、ギルドのマスターとして無責任な気がした。
そして、その日の閉店後。昼間の出来事を思い返し、オレはここ数日毎日ギルドに現れるあの冒険者のことについて、リリスさんに相談してみることにした。
「あの、リリスさん。聞きたいことがあるんですけど……最近毎日来る、あの大きな盾を背負ってる冒険者の男性のことなんですけど?」
カウンターの奥で片付けをしていたリリスさんに声をかけた。
「え?ああ。エドガーさんのことですか?」
リリスさんの口から、あっさりとあの冒険者の名前が出てきた。オレは思わず目を丸くする。
「なんで名前知ってるんですか!?」
「そんなの冒険証を見たからに決まってるじゃないですか。まぁ、基本的なことはレンジャーや盗賊のスキルでステータスを覗きましたし。あと、細かいものはカウンターでギルド受付嬢の仕事をしながらアークビショップの魔法スキルで調べましたよ?私クラスのSランクの冒険者なら、そのくらいのことは余裕ですよね!」
「えぇ……?それって、もはや犯罪に近い行為なのでは……?冒険者の個人情報を勝手に、しかもスキルを使って覗き見るなんて……」
「はぁ。エミルくん。ギルドの安全を守るため、怪しい人物が居たら、危険か判断するのはマスターの役割じゃないんですか?そもそも君は誰でも信じちゃうほどの、頭のネジが外れてるほどのお人好しですしね。期待してません。それを仕方なくサポートしてるんですよ私は。必要なことじゃないですか。エミルくん任せで何かあってからでは遅いですし。もし、戦闘とかになったら責任取ってくれるんですか戦えないのに?」
リリスさんは全く悪びれる様子もなく、涼しい顔でサラリとオレに毒舌を吐く。
「私に隠し事は無駄です。すべてお見通しですからね。エミルくんも気をつけてくださいね?仕事中に冒険者の女の子の身体とか見てると、私にはその心の声は筒抜けですからね?」
……いや、胸を張って言うことではないと思いますよリリスさん?それに、そんなことができる人、オレが知る限り他に誰もいませんけどね……あと断言しますけど、オレは仕事中に女の子の身体なんて見てませんから!心の中で強く反論した。
「彼はエドガーさん。ギルド冒険者歴は約20年。ジョブは盾騎士ですね。基本的な仕事はパーティーのタンク役です。まぁ、私ならシールドバッシュとかで相手を破壊するくらいの攻撃もワケありませんけどね?」
リリスさんは、満面の笑みで恐ろしいことを言った。いやいや、怖いから!破壊するって武器とか防具ですよね!?まさか人間の身体じゃないですよね!?彼女の笑顔の裏に潜む圧倒的な力の片鱗を感じて、思わず身震いした。
「ギルド冒険者になってからずっと盾騎士をやっているみたいですね。盾騎士のスキルくらいしか持ってないようなので」
「そうなんですか。それにしても、20年も冒険者をやってランクCってのはどうなんですか?オレはよく分からないですけど……」
正直、冒険者の世界の常識が全く分かっていないオレにはピンとこなかった。ランクCがどれくらい凄いのか、20年がどれくらい長いのか、その組み合わせが普通なのかどうかも判断がつかない。
オレがそう呟くと、リリスさんが心底呆れたような顔をした。やばい……またやらかしたか。さすがに分かる。この後の展開が。
「あのですね、エミルくん?君はギルドマスターなんだから、少しくらい冒険者のことに興味を持ってくださいよ。一体何に頭使ってるんですかね。不思議です」
ため息交じりの言葉が、グサリと胸に突き刺さる。そんなオレの様子を見かねてか、隣にいたジェシカさんが優しい声で教えてくれた。
「マスター。普通は途中でジョブを変えて、色々なスキルを鍛えたりするものよ。特に盾騎士は守りのスキルしかないから。攻撃職に転職するのが一般的。例えば守りのスキルを持ったまま魔法使いになるとかね。色々なジョブを経験した方が、冒険者として成長できるし、より幅広い依頼に対応できるようになる。それと、ランクが上がらないのは盾騎士だからよ。基本的に攻撃職の方が魔物を討伐する機会が多くて、討伐報酬も多いし、盾騎士が自分で魔物を倒すことは少ないから、評価が上がりにくい傾向にある。だからエドガーさんのように、ずっと盾騎士一筋というのは珍しいよ」
「なるほどジョブを変えないのは珍しい、と……それがランクが上がらない理由に関係あるんですか?」
「うん。関係あるよ。ランクは主に魔物の討伐数や難易度で評価されるの。盾騎士はパーティーの壁役で、自分で魔物を倒す機会は少ない。だから、討伐を生業とする攻撃職の方がランクは上がりやすい傾向にあるね。もちろん例外もいるけど、エドガーさんのようにジョブを変えずに20年となると、Cランクの冒険者……一般的な評価として、順調とは言えないかもね」
そういうものなのか。ジェシカさんは本当に頼りになる。オレは冒険者について、まだまだ知らないことが多すぎるな。もっとちゃんと勉強しないと、ギルドマスターなんて務まらない。
でも、なぜエドガーさんは一度もジョブを変えないのだろうか?20年もの間、ずっと盾騎士として生きてきた理由は何なんだろう?そしてなぜ、毎日クエストボードをただ見に来るだけなんだろう?彼の存在がオレの中で大きな疑問符となって膨らんでいく。
あの、無言でギルドの扉を開けて入ってくる大きな背中と、使い込まれた盾。その背中に何か隠された物語があるような、そんな気がしてならなかった。オレはそのことが、妙に気になってしまい頭から離れなくなっていた。