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第15話 真の強さとは


 そして翌日。オレはギルドの運営に必要な様々な手続き書類を提出するために、ギルドの管理機関に来ていた。


 これは、ギルドマスターであるオレの数少ない重要な仕事の一つだ。管理機関の担当者が提出された依頼書の内容を一つ一つ丁寧にチェックし、冒険者にとって危険な内容が含まれていないか、報酬額は適切かなどを確認し、問題がなければギルドのクエストボードに貼り出す許可が下りた依頼書を受け取ることができる。


 まだギルドが、ようやく軌道に乗り始めたばかりということもあり、受け取れる依頼書の枚数は正直言ってそれほど多くはないけれどな。それでも少しずつではあるけれど、確実に増えてきているのがささやかな喜びだ。


「さて、そろそろギルドに戻るか。今日も……盾騎士のエドガーさん来るのかな?とにかく色々と忙しくなりそうだ」


 そんな独り言を、誰もいない帰り道で小さく呟きながら、ギルドへと続く見慣れた石畳の道を歩いていると、後ろから突然聞き覚えのある声が聞こえてきた


「そこにいるのは、野良猫ギルドのマスターではないか。相変わらず冴えない風貌だな!」


 オレが振り向くと、そこにはこの前リリスさんに軽くあしらわれた『ロイヤルファング』のアルベールとアメリアがいた。オレの背後に立っていた。おそらくギルド管理機関からの帰りなのだろう。アルベールは、リリスさんがいないことに気づくと勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「ほう?今日はあの銀髪の女はいないようだな!この私に言わせれば、お前はあの銀髪の女の後ろに隠れているだけの腰抜けだ!今日も一人でコソコソと書類提出か?情けないやつめ!」


「お兄様!あまり他のギルドをからかうのはやめてくださいまし」


 しかし、その言葉にアルベールは耳を貸さない。オレを指差しさらに高圧的な態度で言った。


「アメリア。こいつは私の気に食わない野良猫ギルドのマスターだ!情けないやつめ!」


 まったく本当に面倒なやつだ。オレはため息をつく。こんなところで時間を潰すのは御免だ。早くギルドに戻らないとリリスさんにどんな毒舌を放たれるか分からない。


「あの、忙しいんだ。もう行ってもいいか?」


 そう言って、オレはアルベールたちから距離を取ろうと足を踏み出した。しかしアルベールはそれを許さない。ぬっとオレの前に立ちはだかり、その顔には勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。朝の柔らかな日差しが嫌味な笑顔を際立たせる。


「なにを焦っている?」


「いや……どこが?」


 オレは思わず首を傾げた。焦っているつもりはまったくない。ただ、無駄な時間を過ごしたくないだけだ。そのオレの素朴な疑問が、アルベールの逆鱗に触れたらしい。その表情が一瞬で険しくなる。


「黙れ。貴様のような弱小ギルドのマスターが、この私に口答えをするな!」


「お兄様、落ち着いてくださいまし!ここで騒ぎを起こせば、またこの前みたいに……」


 アメリアの声はどこか必死さを帯びていた。「この前みたいに」という言葉に、オレはリリスさんがアルベールたちをあっさりと倒した光景を思い出した。アメリアは、アルベールがまた恥をかくことを恐れているのだろうか。それとも、単に面倒事を避けたいだけなのか。


 アルベールは、アメリアの言葉に渋々といった様子で腕を下ろした。だが、その目は依然としてオレを睨みつけている。


「チッ、貴様は運がいいな。だが、今日はこのままで終わらんぞ。貴様もマスターを名乗る者ならば、勝負しろ!」


「え。勝負?」


「剣で勝負しても構わんが……貴様には戦闘の才能がなさそうだからな。そうだな……今日は別の勝負にしてやる」


 アルベールはニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。いや……まだやるとは言ってないんだが?しかし、ここで何もせずにギルドへ帰れば『我らロイヤルファングに恐れをなした!』とか変な噂を流されても困るしな……


「ギルドマスターとして、一番重要なのは何かわかるか?」


 ギルドマスターとして重要なことはたくさんある。ギルドの運営、依頼の斡旋、冒険者の育成、そして何よりもギルドの安全を確保すること……しかし、この場で何を言ってもアルベールが納得するとは思えない。


「……何が言いたいんだ?」


「ふん、決まっているだろう。ギルドマスターとして最も重要なのは、確固たるリーダーシップ!そして、その能力の高さから管理機関の信頼を得て、冒険者のために依頼をどれだけ多く獲得できるかだ。野良猫ギルドの貴様には理解できないだろうがな!」


 そう言って、アルベールはオレの手に持っていた書類をちらりと見た。その視線が、自分が受理された書類の枚数とオレの持っている書類の枚数を比較しているのが分かった。


「多ければいいってもんじゃないだろ?それより勝負ってなんなんだ?オレは早くギルドに戻らないといけないんだ」


「はっはっは!威勢だけはいいな!ギルドマスターというのは運も味方につけるものだ!いいか、勝負はこれだ!」


 そう言って、アルベールは懐から銀色のコインを取り出した。そして、それを手のひらに乗せて、ちらりとオレに見せる。


「このコインがどちらの手に隠されているか当てる。たったそれだけだ!どうだ簡単だろう?ただし、負けた方は今持っている受理された依頼書を全て相手に渡す。これはギルドマスターとしての力量を測る勝負だ!それに、貴様が負けたところで大した枚数ではないだろう?」


 挑発的な言葉にオレは思わず眉をひそめた。これはただの運ゲーだろ……ギルドマスターの力量を測るというのは大袈裟だぞ。しかし、ギルドストレイキャットはまだ軌道に乗り始めたばかりで、ロイヤルファングに比べれば依頼書の枚数は少ない。一つ一つの依頼はとても大切なものだ。


 それにここまで言われて、簡単に引き下がるわけにはいかない。オレだってギルドマスターだ。


 しかしコインを使った勝負。まさかこんな古典的な方法で来るとは思わなかった。アルベールは手を後ろに回しコインをシャッフルしている。そしてオレの目の前に差し出した。その左右の拳が、どちらもコインが隠されているのかを主張しているようにも見える。


 外せば依頼書を失う……


 失えば今後の運営に響く……


 そして何よりリリスさんに報告するとき、どんな毒舌を放たれるか分からない。


『は?そんなゴミみたいなギルドマスターのプライドとやらで勝負を受けて、負けて、依頼書を取られたんですか?はぁ……どんな方法で死にますか?』


 そんなリリスさんの罵声が、幻聴のように聞こえてくる。考えるだけで胃がキリキリと痛んだ。絶対に外すわけにはいかない。しかしただの二択だ。運に任せるしかないのか?


 その時、「こほん」と、控えめな咳払いが聞こえた。


 オレは思わず音のした方へ目を向けた。アメリアだ。彼女は困惑した表情を浮かべながらも、オレの視線に気づくと、アルベールの左手に僅かに視線を向けた。


 もしかして……オレを助けてくれているのか?


 アルベールは依然としてニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべ、左右の拳をオレの目の前に突き出している。


「さあ、選べ!右か、左か!」


 オレは迷わず、アルベールの左手を指差した。


「なっ……!?」


 アルベールは信じられないといった様子で、自分の手とオレの顔を交互に見た。しかしアルベールはすぐに顔を真っ赤にして叫んだ。


「まぐれだ!こんなもの、まぐれに決まっている!貴様のような弱小ギルドのマスターが、この私の勝負に勝てるはずがない!もう一度だ!もう一度勝負しろ!」


 そう言って、アルベールは乱暴にコインを掴み、再び後ろ手に回した。


「お兄様!もうやめてくださいまし!」


 アメリアの悲痛な声が響く。しかし、アルベールは聞く耳を持たない。顔を真っ赤にしてさらに激しくコインをシャッフルしている。


「うるさい!こんなまぐれ、許してたまるか!さあ、もう一度だ!今度こそ当ててみろ!」


 アルベールは、まるで子供のように駄々をこねている。そして、再び両手をオレの前に突き出した。その拳は、先ほどよりも小刻みに震えているように見えた。しかし、アメリアが再び控えめに咳払いをしてアルベールの右手に視線を向けた。


「……右だ」


 オレがそう告げると、アルベールは驚きと怒りが入り混じった顔で、おずおずと右の拳を開いた。そこには、やはり銀色のコインが鎮座している。


「馬鹿な……!ありえない!なぜだ!?なぜ貴様が当てられる!?」


 アルベールは錯乱したように叫び、再びコインを乱暴に掴んで後ろ手に回した。その後も何度も何度も勝負を挑まれる。アメリアは、そのたびに困ったように眉を下げそれでも健気にオレに助け舟を出し続けた。


 オレは正直なところ、この状況にうんざりしていた。早くギルドに戻って今日の依頼書をクエストボードに貼り出さなければいけないのに……


 しかし、アルベールは一向に諦める気配がない。何度目かの勝負を終え、またしてもオレが正解した時だった。


「もういいだろ?」


「なぜだ……運だけは良いようだな!こんなまぐれ、認めるわけにはいか……」


「何やってるんですか?」


 いきなり後ろから、氷のように冷たい声が聞こえた。その声に、オレは背筋が凍りついた。反射的に振り向くと、そこに立っていたのはリリスさんだった。銀色の髪が朝日にきらめき、その瞳はいつものように冷たい光を宿している。


「ぎ、銀髪の女……なぜここに……!?」


 アルベールはリリスさんの姿を見た途端、血の気が引いたように顔を青ざめさせた。その震える声にリリスさんの冷たい視線が突き刺さる。


「帰ってくるのが遅いから心配だと、ジェシカちゃんに言われて来てみれば……これは一体、どういう状況ですか?」


 リリスさんが一歩踏み出すと、その場の空気がさらに凍りついたように感じられた。アルベールは完全に怯えきっている。


「おおそうだ!我にはやることがあったな!アメリア!帰るぞ!」


 アルベールはそう叫ぶや否や、背を向けて急ぎ足でその場を去っていった。その足取りは、まるで獲物から逃げ出す獣のようだった。アメリアも慌てた様子で兄の後を追おうとする。


「あ、アメリア!」


 アメリアが数歩進んだところで、オレは思わず声をかけた。アメリアは振り返り、その表情は少し驚いているように見えた。


「助けてくれて、ありがとう」


 オレの言葉に、アメリアの頬がほんのり赤くなった。彼女は少し戸惑ったように視線を彷徨わせたが、すぐに、にこりと微笑んだ。その笑顔は、兄のアルベールとは似ても似つかない、純粋で優しいものだった。


「いえ……わたくしは、ただ……」


 彼女はオレを助けてくれたのだ。その勇気に胸の奥が少し温かくなった。


「またな」


 オレが軽く手を振ると、アメリアは小さく頷き、今度こそアルベールの後を追って走り去っていった。アメリアたちの姿が見えなくなると、リリスさんの冷たい視線が今度はオレに向けられた。その目は何もかも見透かしているようだった。


「はぁ……君は依頼書の大切さが分からないんですか?あのアルベールという愚か者に付き合って、くだらないコイン遊びに興じる暇があるのなら、今すぐにでもギルドに戻って、今日の依頼をクエストボードに貼り出してください。君のその無駄な行動が、どれだけ多くの冒険者の機会を奪っているか理解できますか?その責任取れますか?」


「それは……でもギルドマスターとしてオレは……!」


「はい?それが君のギルドマスターとしてのリーダーシップだと思ってるんですか?まったく、呆れてものも言えません。君が求められているのは偶然の幸運や君自身の強さではなく、確かな手腕と判断力、そして何よりもギルドマスターとしての自覚です!」


 リリスさんの言葉は、まさに正論だった。ギルドマスターとして依頼書の管理は最も重要な業務の一つだ。冒険者たちが今日も安全に効率的に活動できるよう、クエストボードは常に最新の情報で満たされている必要がある。


「……いいですかエミルくん。本当のリーダーシップとは自分が強いことじゃありません。周りが『あの人は強い』と認めてくれること、『あの人がいるから大丈夫だ』と安心できること。真の強さは、個人の能力や身体的な力だけでは測れない。それは、他者への影響力、周囲を巻き込む力、そして困難な状況でも揺るがない信頼を築ける人間性です。君が今やっていたことは、ただの自己満足です。君自身が強くならないと!という男としてのプライドなんか要りません」


「すいません……」


「まぁ……結果論ですが、その行動は少しは評価します。でも、君はストレイキャットの初級冒険者、もちろん私やジェシカちゃんの生活を背負っていることを忘れないでくださいね?これでも……私は君にほんの少しは期待していますから」


 そう少し笑みを浮かべながら言ったリリスさん。確かに軽率だったかもしれない。相変わらず毒舌ではあったけど、その言葉には、どこかかすかにオレに対する期待と激励が込められているように感じられた。

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