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第16話 大切なもの


 そして翌日。オレはジェシカさんと二人で、街の隅にある小さな素材屋へと足を運んだ。古びた木製の看板がゆらゆらと風に揺れ、店の前には乾いた薬草の束が規則正しく吊るされている。


 ここはジェシカさんがホワイトナイツで働いていた時の馴染みの人が営んでいる店らしく、顔馴染みということもあって、気持ちばかり色をつけて買い取ってくれるらしい。店の中は薄暗く、埃っぽい中に独特の匂いが充満していた。薬品と得体のしれない素材が混じり合った不思議な香りだ。


「今日もありがとう、おじさん。またお願いね」


 ジェシカさんの明るく朗らかな声が店内に響く。少しガタイいい店主は、にこやかに笑いながら受け取った素材を検品している。


「こちらこそいつも助かるよ。ああそうだ、ジェシカ」


「うん?」


「いい人に拾って貰ったんだな。マスターさん。ジェシカは素直じゃないところもあるけど、いつも一生懸命でおれの可愛い娘みたいなもんなんだ。よろしく頼むな」


「ちょ……なに言ってるのよおじさん!変なこと言わないで!」


 店主の言葉に、ジェシカさんは途端に顔を真っ赤に染め上げて、慌てたように反論する。その様子はまるで湯気が出ているかのようだ。


 本当に素直じゃないよなジェシカさんも。その様子を見て、オレは思わず苦笑した。気恥ずかしそうなジェシカさんの表情が、なんだか面白かった。


 用を終えて店の外へ出る。先ほどまでの薄暗い店内とは打って変わって、日差しが目に眩しい。少しの間、心地よい沈黙が流れた。そして、しばらく無言で歩いていたジェシカさんが、ふいに口を開いた。


「そういえばマスター。昨日リリスさんに怒られたんだって?」


「まぁ……でもあれはオレが悪かったし、確かにストレイキャットの初級冒険者のために依頼書を早く持ち帰るべきだったから。いつまでも怒られてばかりいないように、ギルドマスターとして頑張らないと」


「ふふ、私も期待してるからねマスター?」


 ジェシカさんはそう言って悪戯っぽく笑った。


「期待に応えられるように、頑張るよ」


 オレはそう答えた。ジェシカさんの言葉は、不思議とオレの背中を押してくれる。リリスさんだけでなくジェシカさんもオレに期待してくれている。そのことが何よりの力になった。


 街の賑やかな通りを歩きながら、オレはこれからのことを考える。ストレイキャットのギルドマスターとして、やるべきことは山ほどある。それこそジェシカさんがこの前言っていた専属の冒険者……


 その時ふと、あの盾騎士の冒険者エドガーさんのことを思い出す。20年間も同じジョブでしかもランクCのまま。やっぱり何かおかしい気がする。そんなことを考えれば考えるほど、違和感が募る。普通の冒険者なら、もっと上を目指すはずだ。強くなりたい、名を上げたい、あるいは金持ちになりたい。誰もがそう願うはずなのに、彼はその欲求とは無縁のようだった。そんな時ジェシカさんが口を開く。


「あのねマスター。どんなにベテランの冒険者でも初級クエストは受けられるし、依頼だって出来る。別に私たちのギルド『ストレイキャット』に来てもおかしくはないよ」


「え?」


「昨日も思ったんだけど、ずっと気になってるんでしょあの盾騎士の冒険者のこと?そんな顔してるよ?」


 ……まさか、ジェシカさんも心の声が聞こえていたりするのか?なんて冗談はさておき、ジェシカさんの言う通り、理屈の上ではそうなのだが……彼はなぜか、毎日のようにギルドに来ては、クエストボードを眺め、まるで何かを探しているかのように指でなぞり、しばらく休憩スペースで時間を潰し、結局何も依頼を受けずに帰っていく。


 その行動が全く理解できない。それに、リリスさんが話しかけても、曖昧な返事しかしないし……ますます謎が深まるばかりだ。まるで、彼の周りに透明な壁があるかのように感じられた。


 そんなことを考えながら歩いていると、ふと、ある冒険者の姿が目に飛び込んできた。


「あら?噂をすれば……えっと、エドガーさんだっけ?」


 ジェシカさんがそう呟く。見ると、確かに大柄な盾騎士、エドガーさんが少し離れた場所に立っていた。街角の人通りの少ない場所だ。


「ああ……でも、なんか様子がおかしいぞ?」


 エドガーさんの目の前には、数人の男女が立っている。皆、険しい表情で、何やら言い争っているようだ。男たちの声は怒気に満ち、女性の声はそれを止めようとしているようだった。もしかしたら、パーティーメンバーだったりするのかもしれない。


 オレとジェシカさんは、邪魔にならないように物陰に隠れて、その様子をそっと窺うことにした。風に乗って、彼らの声がはっきりと聞こえてくる。


「おいエドガー。お前いつまでランクCのままでいるつもりだ。そろそろいいかげんにしろ!」


 男の苛立った声が響く。まるで怒鳴りつけるような声だ。エドガーさんは何も言わずただ俯いているだけだ。


「……」


「聞いてんのか!!」


「やめなさいよジャック。あなたが怒鳴っても仕方がないでしょう?」


「うるせぇ!!やっとの思いでランクBになったっていうのに、こいつはオレたちの忠告を無視して、盾騎士なんてハズレジョブから転職しねーし、スキルも大したことねーし、正直イラついてしょうがねーよ!」


 男は吐き捨てるように言い放った。その言葉には、見下すような響きが含まれていた。エドガーさんは耐えかねたように、その場を立ち去ろうとした。


「待てよ!逃げるんじゃねーよ!こっち向けよ!エドガー!」


 男はさらに声を荒げる。エドガーさんは一度立ち止まり、静かに言葉を紡いだ。その声はどこか諦めを含んでいるように聞こえたが、同時に強い意志も感じられた。


「……だから、パーティーは抜けただろ?もうオレに関わるな」


「ルシーナの為に情けをかけてやってるのによ……そうかよ。じゃあな。クソ野郎!」


 男は捨て台詞を吐き、仲間たちと連れ立って去っていった。一体、彼らは何の話をしていたんだ?


 しばらくすると、エドガーさんがゆっくりと動き出した。街の賑やかな大通りから一本外れた、少し寂れた通りへと入っていく。その先には古びた建物が並んでいた。そして、その中の一際大きな建物の前でエドガーさんは立ち止まった。


 そこは、孤児院だった。


 エドガーさんが孤児院の門をくぐると、すぐに大勢の子どもたちの賑やかな声が聞こえてきた。ワアワアと騒ぐ声、楽しそうな笑い声。そしてその子どもたちは、先ほどまで暗い表情をしていたエドガーさんの周りにわっと群がっていった。まるで太陽に引き寄せられるヒマワリのように。


「おじちゃんだ。これあげる」


「ボクもこれあげる」


「これは私が作ったんだよ!食べてくれる?」


「ああ。みんなありがとな。でも、せっかくだから半分ずつ貰おう」


 エドガーさんは、先ほどの険しい表情とは打って変わって、優しい笑顔を浮かべながら、子どもたち一人ひとりに声をかけている。その顔はまるで別人のようだ。すると、1人の女性がエドガーさんに話しかけた。


「エドガーさん」


「ルシーナ。今月分だ」


 エドガーさんは、そう言って小さな革袋を女性に手渡した。ルシーナという名前。あの男が言っていたルシーナとは、この女性のことだったのか……


「ありがとうございます。本当に助かります……でも、こんなに……エドガーさんは大丈夫ですか?」


「問題ない。オレにはコレがある」


 エドガーさんは、そう言って両手を広げた。まるで、そこに存在する全てを包み込むかのように。すると、子どもたちが一斉に声を上げた。


「おじちゃん!スキル見せてよ!」


「そうだそうだ!見せてよ!」


 子どもたちの純粋な期待に応えるように、エドガーさんは前に一歩踏み出し、背中に背負っている大きな金属の盾を構えた。


「ガードアップ!」


 低い声でそう唱えると、盾の表面に柔らかな光が宿った。それはまるで彼の心の光が、盾に映し出されたかのようだった。金色にも見えるその光は子どもたちの顔を明るく照らす。


「おお~!すごい!光った!」


「悪者をやっつける正義のヒーローだ!」


「カッコイー!」


「ははは。そうか?みんなが困ったら、必ずおじさんが助けてやるぞ?正義のヒーローだからな!」


 そう言って、彼は満面の笑みで笑った。その笑顔はこれまでのどの表情よりも輝いて見えた。


 そうか……彼は盾騎士じゃなきゃいけないんだ。


 オレはその場で、まるで石のように動けなくなっていた。彼の笑顔の奥に隠された、深い信念が理解できた気がした。彼は、守るべきものがあるからずっと盾騎士だったんだ。この孤児院の子どもたちと、彼らを支えるルシーナさん。ランクや名声なんかよりも彼にとってはるかに大切なもの。それが彼の信念なんだ。

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